・ハーバード大学では2017年現在、大学・大学院含めて、約100人の日本人留学生が学んでいる。中国からの留学生が約900人、韓国からの留学生が300人もいることを考えると、日本からの留学生は非常に少ないという印象を受ける。
・追い風となったのは当時の田中角栄政権がアメリカにおける日本研究を支援する方針を打ち出したことだった。1972年に内閣総理大臣に就任した田中角栄は、国際交流基金を通じ、ハーバード大、プリンストン大、コロンビア大など、日本研究プログラムを持つ10の大学に総額1,000万ドル(当時のレートで約30億円)を提供。
・今、日本について専門的に学ぶ授業は全部で150ほどあり、そのうち開講しているのは年間50~60にも及ぶ。
アンドルー・ゴードン
「教養としての『源氏物語』と城山三郎
・「チョコレートと兵隊」(1938年)という日本映画をとても気に入っています。この映画を上映するたびに、多くの学生から「感動した」という声が寄せられます。「チョコレートと兵隊」は戦時中のプロパガンダ映画で、日本でもアメリカでも長らく見ることができなかった作品です。・・・戦地で受け取る慰問袋には大量のチョコレートが入っていたので、チョコレートの包装紙を集めて、手紙とともに息子に送ることにしました。息子が包装紙を一生懸命集めていたことを思い出したからです。その包装紙には点数がついていて、100点分集めると、もう一つのチョコレートをもらえることになっていました。・・・ところが製菓会社からチョコレートが届いた日に父親戦死の知らせが届く・・・という悲しい物語です。
非常に興味深いのは、「チョコレートと兵隊」がプロパガンダでありながら、直接的に戦争を礼賛していないことです。
・「チョコレートと兵隊」について学んだ後は、日本の高度経済成長について学びますね。その課題図書の一つが城山三郎の「メイド・イン・ジャパン」(1959年)です。
・1900年代初頭、岡倉と弟子たちが羽織・袴という装いでボストンの街を闊歩していると、地元のアメリカ人から「お前たちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? ジャワニーズ?」(中国人? 日本人? ジャワ人?)とからかわれました。すると岡倉は「私たちは日本の紳士です。あなたこそ何キーでしょうか? ヤンキー? ドンキー? モンキー?」(アメリカ人? ロバ? 猿?)と流暢な英語で言い返したそうです。
・日清戦争、日露戦争を経て、インドだけでなく、アジア各国で日本から学ぼうという機運が高まり、多くの留学生が来日したそうですね。中国からは数千人規模の留学生がやってきました。ところが、残念ながら、希望を持って来日した留学生たちは、「結局のところ、日本は西洋の帝国主義と変わらないじゃないか」と失望することとなります。日本政府が表では「世界の侵略からアジアを守る」と言いながらも、裏では欧米諸国と密約を交わし、アジア人を排斥することにしたからです。
・国民が「我が国は特別でも完璧でもなく、我が国にも暗い歴史はあるのだ」と認めたうえで、自国を誇りに思う・・・これこそ品格ある国家の姿です。
デビッド・ハウエル
「『忠臣蔵』に共感する学生たち」
・16世紀後半から17世紀前半にかけて来日したスペイン人が、日本から漆器を持ち帰り、その技術がスペイン領のメキシコやペルーにまで伝わったのです。
・どうすれば、お互いを利する関係を結べるのか。それには、人と人が交流して、互いに学び合うしかありません。
アルバート・クレイグ
「龍馬、西郷は『脇役』、木戸、大久保こそ『主役』
・幕末の討幕運動の根底にあるのは、徳川幕府体制に対する長年の恨みです。
・二人とも正直だったことです。頂点にいるものが不正直であれば、どんな国でも腐敗してしまうものです。また彼らは国の利益を優先しました。
イアン・ジャレッド・ミラー
「ハーバードの教授が涙する被災地の物語」
・開国要求にはもう一つ理由がありました。それは中国へ行く貿易港だけではなく、捕鯨船のためにも補給港を確保することです。捕鯨の主な目的は鯨油の獲得です。
・明治時代の近代化を支えたのは繊維産業でしたが、繊維工場を動かしていたのは石炭、水力、そして人力でした。もし石炭が採掘しにくい場所、運搬しにくい場所に埋まっていたら、日本はこれほど早く近代化できなかったと思います。
・日本は戦後、様々なイノベーションを起こしてエレクトロニクスの分野の先駆者となりましたが、その発端ともいえるのが、1921年の東芝の三浦順一技師による「世界初の二重コイル電球の発明」です。二重コイル電球は、従来の単一コイルよりも発行効率が良く、大ヒットしました。
・電球もどんどん普及していきました。なぜ量産が可能だったかというと、電球のフィラメントの材料となるタングステンが比較的容易に手に入ったからです。日本は1910年に韓国を併合しますが、朝鮮半島は世界有数のタングステンの産地でした。日本の電化の歴史はある意味、日本の帝国主義のたまものでもあったわけです。
・国家の危機に際してリーダーはどのように対応するべきかを考えるための題材として第一原子力発電所事故も取り上げます。
・岩手県上閉伊郡大槌町の港を見下ろす丘に「風の電話」という電話ボックスがあるのをご存じでしょうか。
・何よりの強みは、日本人の「人情」でしょう。
・アメリカ人の私から見れば、戦後日本が戦争の放棄を貫いていることも、尊敬すべきことだと思います。情に厚い国民、民主主義、戦争の放棄、これらの強みが今後も生かされていくかどうか注目しています。
エズラ・ヴォーゲル
「格差を広げないサムライ資本主義」
・「ジャパン アズ ナンバーワン-アメリカへの教訓」の著者
「日本は今後もっと強くなる。アメリカは日本に学ばないと大変なことになる」と思いました。
・ところが日清戦争の結果を見て、日本はこれほど進化していたのかと驚いた。それで、(中国)政府は日清戦争後から1905年ごろまでの約10年間で一万人ぐらいの留学生を日本に送り出しました。その中には、孫文や蒋介石もいました。
・江戸時代の藩の指導者は、藩の力を強くするためには、藩の人々の教育水準や経済力を上げなくてはならないことを認識していました。農民であっても、女性であっても、学校に行き、読み書き計算を学ぶことができましたし、農村社会においても、お互いに助け合う経済システムが導入されていました。他の国のように格差が拡大することがなかったのは、こうした藩の指導者の考え方によるところが大きいと思います。
・一方、江戸時代の日本は、富と権力が地方(藩)に分散した状態にありました。そしてその藩の指導者は、それらをできるだけ人々に分け与えようとしたのです。
ジェフリー・ジョーンズ
「渋沢栄一ならトランプにこう忠告する」
・西暦578年創業の建築会社「金剛組」は世界最古の企業と言われています。その(存続することができた)理由は金剛家の家訓とビジネスの性質にあります。・・・金剛家には「後継者を実力主義で選ぶ」という家訓がありました。・・・もう一つの理由は、金剛家が神社仏閣の建築をビジネスにしていたことです。・・・また金剛家は創業から明治維新まで約1300年間、四天王寺の再建と補修を主要なビジネスとしてきましたから、四天王寺が存続する限り、ビジネスも存続することができたのです。
・渋沢栄一がルーズベルトの行動に直接的な影響を与えた証拠はないのですが、ルーズベルトが渋沢に対して好意的な印象を持っていたのは確かなようです。渋沢もルーズベルトのことを「個人的にも親しい友人」と自伝に書いています。
・トランプ政権が進めている政策には、何一つ賛成しないと思います。・・・彼は自由貿易の信奉者でしたし、ヒト、モノ、思想が自由に行き交うことが、世界の人々の反映につながる、と信じていました。
・渋沢が理想として掲げていたのは、倫理的な責任制を伴った株主資本主義です。彼は・・・勝者と敗者の格差を助長する経済システムは、人々から支持されない、と考えていました。国が豊かになり、一部の人に富が集中すれば、必ず問題が起きます。この問題に正しく対処できなければ、資本主義は正当性を失ってしまうのです。
サンドラ・サッチャー
「昭和天皇のモラルリーダーシップ」
・トルーマンは原爆投下を決断したのでしょうか。
三つあります。
一つめが「功利主義」。・・・「戦争における最大の思いやりは、戦争を早く終われせることなのだから、原爆投下は人道的に正しい決断だ」という考え方です。
二つめが「戦争は地獄」。「真珠湾攻撃によって、アメリカに対する戦争を始めたのは日本だ。だから、日本人が始めた戦争を終結させるのに最も早い方法、つまり、原爆を使ったとしても、アメリカに罪はない」という結論になります。
三つめが「スライディング・スケール」。「正義の度合いが高いほうが、より正しい」という考え方です。この原則に基づけば、「正義の度合いが高ければ、戦い方も大きくしてよい」、つまり、「真珠湾攻撃の犠牲者であるアメリカ側の正義の度合いはかなり高いのだから、それに見合った攻撃をしてもよい」ということになります。この考え方も原爆投下を正当化するのに使われました。
・戦争における最も重要なルールは「非戦闘員の保護」です。それはつまり「戦争は戦闘員同士の戦いでなければならず、非戦闘員である民間人を敵とみなして攻撃したり、巻き込んだりしてはいけない」という基本原則です。多くの民間人が犠牲になった原爆投下がこの原則に違反しているのは明らかです。
「ダブル・エフェクト」の原則にも反しています。「ダブル・エフェクト」とは、「意図的に非戦闘員を攻撃することは人道的に許されない」「戦闘員は非戦闘員の被害を最小限に食い止めるために最大限の努力をしなければならない」というルールです。・・・広島と長崎の市民に避難する猶予を与えることなく原爆を投下したわけですから、「民間人に被害が及ばないように最大限の努力をした」と言えないのは明らかです。
「比例性のルール」にも反しています。これは過度の気概を与えることを禁じる原則であり、「実質的に勝利に向かわない危害、もしくは危害の大きさに比べて目的への貢献堂が小さな危害をむやみに与えることは許されない」というルールです。アメリカ政府は、原爆が人間に与える危害の大きさを理解することなく使用し、戦争を終結させました。危害の大小も目的への貢献度も把握しないまま、原爆を投下したのは、比例性のルールに反しています。
・現在、米軍では、どの組織であっても、トップは他の隊員からの意見を聞くことなく、最終決断を下してはならないそうです。
・ということは、トルーマンの良心は麻痺していなかったということですか。
そうです。少なくともルールを守ろうとしていたことは確かです。トルーマンの自伝には次のようにも書かれています。
「原爆投下を決断する前に、私は原爆が戦時国際法に定めれているルールにのとって使用されるのかどうかを確認したかった。原爆を軍事施設のみに投下することを望んでいたからだ。そこで私はスティムソン(陸軍長官)に、『原爆投下のターゲットは、日本軍にとって最も重要な軍需生産拠点に限定すべきである』と念をおした」
広島と長崎はいくつか上がっていたターゲット候補のうちの二つでした。京都も候補にあがっていましたが、スティムソンが「京都は日本の文化的、宗教的な中心地だ」と主張し、候補からはずされました。
・(終戦の詔書)
昭和天皇は国民に向けて「皆さんの気持ちはよくわかるが、共同宣言を受諾したのは国を存続させるためである」とはっきり伝えています。
・私たちが、リーダーの道徳的な行動、勇気ある行動について学ぶ際、一般的に「勝者」を模範にすることが多いですが、「敗者」からも学ぶべきことがあるkとおを理解してほしいと思います。
・学生にこの授業から最も学んでほしいことは何ですか。
一つめは、私たちはビジネスリーダーであると同時に地球市民であることを忘れてはならないこと。
二つ目は、リーダーは決断した事例だけではなく、決断に至る過程についても責任を負うということ。
一方的な論理で原爆投下を決断したトルーマン大統領はの決断プロセスは、欠陥だらけでした。多くの人間で議論することもなく、代替案について検討することもなく、もちろん日本側の意向を再度確かめることもしなかったのです。こうした決断プロセスがどれほど危険からいうことも学生には認識してもらいたいと思います。
・ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領が真珠湾攻撃50周年式典行った演説
「私はドイツに対しても日本に対しても何の恨みも持っていません。憎悪の気持ちなど全くありません。真珠湾攻撃により多くの人々が犠牲になりましたが、このようなことが二度とおこらないことを心から願っています。報復を考えるのはもうやめにしましょう。第二次世界大戦は終わったのです。戦争は過去のことなのです」
第二次世界大戦中、日本軍に自ら搭乗する飛行機を撃墜された経験を持つブッシュ大統領の言葉はとても重いと感じています。この演説をどのように評価しますか。
これはまさにリーダーシップの模範例です。・・・もうお互い避難しあう時代ではないと。
オバマ元大統領は、また次のように世界に呼びかけました(広島訪問時)。
「私たちは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選択することができます。子どもたちに新しい物語を言い伝えることができます。それは、私たちには共通の人間性があることを伝えるストーリーであり、今よりも戦争の数が減って、残虐な行為が簡単に許されなくなるような世界を実現することが可能であることを示すストーリーです」
・私は日本が今後も「世界の良心」であり続けることを願います。・・・戦争責任という点から、日本はよくドイツと比較されます。ドイツは、第二次正解対戦中の軍の行動が誤りであったことを明確に認めているが、日本ははっきりと認めていないのではないか、と非難する意見もあります。日本がもし軍隊を持てば、結局のところは日本は何も学んでいないのではないか、と世界から思われるでしょう。
テオドル・ベスター
「築地市場から見えてくる日本の強みと弱み」
・和食を特別なものにしているのは、その「下ごしらえ」です。繊細で正確な下ごしらえが食材の美しさを引き立てています。
・和食の由来をさかのぼっていくと大きく分けて三系統あります。
一つめが「大饗料理」
二つめが「精進料理」
三つめが「茶の湯料理」すなわち「懐石料理」
ジョセフ・ナイ,
「日本は核武装すべきか」
・シャルル・ド・ゴールが「国と国との間に友情はない。あるのは利害だけだ」
両者(米国と日本)の利害が一致しているからでしょうか。
三つの理由があります。
一つめは軍事戦略上の必要性です。
二つめは、日本が戦後、民主主義国家をつくりあげることに成功し、アメリカの同盟国にふさあしい国になったことです。
三つめは、経済的な相互依存です。
・日本の課題は何でしょうか。
最も大きな課題は人口減少です。つまり「日本人」がどんどん減っていくにつれて、国としての力が落ちていってしまうことです。この問題を解決する方法は三つあります。
一つめは移民の受け入れです。
二つめがテクノロジーの活用です。
三つめが人的資源を生かすことです。日本には「女性」という優秀な人的資本が眠っているのに、その資産が有効利用されていません。
アマルティア・セン
「世界に日本という国があってよかった」
・仏教が日本の立憲的な考え方に影響を与えたことも学びました。
聖徳太子の「十七条憲法」の中に、「ものごとをひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい」という条項があったのを今でもよく覚えています。
・日本には「知識」によって国を発展させようとしてきた歴史があることです。
・インドには古くから「善き人になるためには三つの道がある」という考え方があります。
一つめは知識を得る道(Jhana)
二つめが紙に帰依する道(Bhakri)
三つめが良い行動を実践する道(Karuma)
感想;
日本のことを良く学び良く知っておられるのに驚きました。
こういった日本を知って理解している人がいることが大きいように思いました。
このことに田中角栄元首相がお金を出していたことも初めて知りました。
日本人だから日本をことを知っていると思ってもそれは本当には知ったことにならないと思います。
他者の目を通して知る。
自己距離化でもあるように思いました。
・追い風となったのは当時の田中角栄政権がアメリカにおける日本研究を支援する方針を打ち出したことだった。1972年に内閣総理大臣に就任した田中角栄は、国際交流基金を通じ、ハーバード大、プリンストン大、コロンビア大など、日本研究プログラムを持つ10の大学に総額1,000万ドル(当時のレートで約30億円)を提供。
・今、日本について専門的に学ぶ授業は全部で150ほどあり、そのうち開講しているのは年間50~60にも及ぶ。
アンドルー・ゴードン
「教養としての『源氏物語』と城山三郎
・「チョコレートと兵隊」(1938年)という日本映画をとても気に入っています。この映画を上映するたびに、多くの学生から「感動した」という声が寄せられます。「チョコレートと兵隊」は戦時中のプロパガンダ映画で、日本でもアメリカでも長らく見ることができなかった作品です。・・・戦地で受け取る慰問袋には大量のチョコレートが入っていたので、チョコレートの包装紙を集めて、手紙とともに息子に送ることにしました。息子が包装紙を一生懸命集めていたことを思い出したからです。その包装紙には点数がついていて、100点分集めると、もう一つのチョコレートをもらえることになっていました。・・・ところが製菓会社からチョコレートが届いた日に父親戦死の知らせが届く・・・という悲しい物語です。
非常に興味深いのは、「チョコレートと兵隊」がプロパガンダでありながら、直接的に戦争を礼賛していないことです。
・「チョコレートと兵隊」について学んだ後は、日本の高度経済成長について学びますね。その課題図書の一つが城山三郎の「メイド・イン・ジャパン」(1959年)です。
・1900年代初頭、岡倉と弟子たちが羽織・袴という装いでボストンの街を闊歩していると、地元のアメリカ人から「お前たちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? ジャワニーズ?」(中国人? 日本人? ジャワ人?)とからかわれました。すると岡倉は「私たちは日本の紳士です。あなたこそ何キーでしょうか? ヤンキー? ドンキー? モンキー?」(アメリカ人? ロバ? 猿?)と流暢な英語で言い返したそうです。
・日清戦争、日露戦争を経て、インドだけでなく、アジア各国で日本から学ぼうという機運が高まり、多くの留学生が来日したそうですね。中国からは数千人規模の留学生がやってきました。ところが、残念ながら、希望を持って来日した留学生たちは、「結局のところ、日本は西洋の帝国主義と変わらないじゃないか」と失望することとなります。日本政府が表では「世界の侵略からアジアを守る」と言いながらも、裏では欧米諸国と密約を交わし、アジア人を排斥することにしたからです。
・国民が「我が国は特別でも完璧でもなく、我が国にも暗い歴史はあるのだ」と認めたうえで、自国を誇りに思う・・・これこそ品格ある国家の姿です。
デビッド・ハウエル
「『忠臣蔵』に共感する学生たち」
・16世紀後半から17世紀前半にかけて来日したスペイン人が、日本から漆器を持ち帰り、その技術がスペイン領のメキシコやペルーにまで伝わったのです。
・どうすれば、お互いを利する関係を結べるのか。それには、人と人が交流して、互いに学び合うしかありません。
アルバート・クレイグ
「龍馬、西郷は『脇役』、木戸、大久保こそ『主役』
・幕末の討幕運動の根底にあるのは、徳川幕府体制に対する長年の恨みです。
・二人とも正直だったことです。頂点にいるものが不正直であれば、どんな国でも腐敗してしまうものです。また彼らは国の利益を優先しました。
イアン・ジャレッド・ミラー
「ハーバードの教授が涙する被災地の物語」
・開国要求にはもう一つ理由がありました。それは中国へ行く貿易港だけではなく、捕鯨船のためにも補給港を確保することです。捕鯨の主な目的は鯨油の獲得です。
・明治時代の近代化を支えたのは繊維産業でしたが、繊維工場を動かしていたのは石炭、水力、そして人力でした。もし石炭が採掘しにくい場所、運搬しにくい場所に埋まっていたら、日本はこれほど早く近代化できなかったと思います。
・日本は戦後、様々なイノベーションを起こしてエレクトロニクスの分野の先駆者となりましたが、その発端ともいえるのが、1921年の東芝の三浦順一技師による「世界初の二重コイル電球の発明」です。二重コイル電球は、従来の単一コイルよりも発行効率が良く、大ヒットしました。
・電球もどんどん普及していきました。なぜ量産が可能だったかというと、電球のフィラメントの材料となるタングステンが比較的容易に手に入ったからです。日本は1910年に韓国を併合しますが、朝鮮半島は世界有数のタングステンの産地でした。日本の電化の歴史はある意味、日本の帝国主義のたまものでもあったわけです。
・国家の危機に際してリーダーはどのように対応するべきかを考えるための題材として第一原子力発電所事故も取り上げます。
・岩手県上閉伊郡大槌町の港を見下ろす丘に「風の電話」という電話ボックスがあるのをご存じでしょうか。
・何よりの強みは、日本人の「人情」でしょう。
・アメリカ人の私から見れば、戦後日本が戦争の放棄を貫いていることも、尊敬すべきことだと思います。情に厚い国民、民主主義、戦争の放棄、これらの強みが今後も生かされていくかどうか注目しています。
エズラ・ヴォーゲル
「格差を広げないサムライ資本主義」
・「ジャパン アズ ナンバーワン-アメリカへの教訓」の著者
「日本は今後もっと強くなる。アメリカは日本に学ばないと大変なことになる」と思いました。
・ところが日清戦争の結果を見て、日本はこれほど進化していたのかと驚いた。それで、(中国)政府は日清戦争後から1905年ごろまでの約10年間で一万人ぐらいの留学生を日本に送り出しました。その中には、孫文や蒋介石もいました。
・江戸時代の藩の指導者は、藩の力を強くするためには、藩の人々の教育水準や経済力を上げなくてはならないことを認識していました。農民であっても、女性であっても、学校に行き、読み書き計算を学ぶことができましたし、農村社会においても、お互いに助け合う経済システムが導入されていました。他の国のように格差が拡大することがなかったのは、こうした藩の指導者の考え方によるところが大きいと思います。
・一方、江戸時代の日本は、富と権力が地方(藩)に分散した状態にありました。そしてその藩の指導者は、それらをできるだけ人々に分け与えようとしたのです。
ジェフリー・ジョーンズ
「渋沢栄一ならトランプにこう忠告する」
・西暦578年創業の建築会社「金剛組」は世界最古の企業と言われています。その(存続することができた)理由は金剛家の家訓とビジネスの性質にあります。・・・金剛家には「後継者を実力主義で選ぶ」という家訓がありました。・・・もう一つの理由は、金剛家が神社仏閣の建築をビジネスにしていたことです。・・・また金剛家は創業から明治維新まで約1300年間、四天王寺の再建と補修を主要なビジネスとしてきましたから、四天王寺が存続する限り、ビジネスも存続することができたのです。
・渋沢栄一がルーズベルトの行動に直接的な影響を与えた証拠はないのですが、ルーズベルトが渋沢に対して好意的な印象を持っていたのは確かなようです。渋沢もルーズベルトのことを「個人的にも親しい友人」と自伝に書いています。
・トランプ政権が進めている政策には、何一つ賛成しないと思います。・・・彼は自由貿易の信奉者でしたし、ヒト、モノ、思想が自由に行き交うことが、世界の人々の反映につながる、と信じていました。
・渋沢が理想として掲げていたのは、倫理的な責任制を伴った株主資本主義です。彼は・・・勝者と敗者の格差を助長する経済システムは、人々から支持されない、と考えていました。国が豊かになり、一部の人に富が集中すれば、必ず問題が起きます。この問題に正しく対処できなければ、資本主義は正当性を失ってしまうのです。
サンドラ・サッチャー
「昭和天皇のモラルリーダーシップ」
・トルーマンは原爆投下を決断したのでしょうか。
三つあります。
一つめが「功利主義」。・・・「戦争における最大の思いやりは、戦争を早く終われせることなのだから、原爆投下は人道的に正しい決断だ」という考え方です。
二つめが「戦争は地獄」。「真珠湾攻撃によって、アメリカに対する戦争を始めたのは日本だ。だから、日本人が始めた戦争を終結させるのに最も早い方法、つまり、原爆を使ったとしても、アメリカに罪はない」という結論になります。
三つめが「スライディング・スケール」。「正義の度合いが高いほうが、より正しい」という考え方です。この原則に基づけば、「正義の度合いが高ければ、戦い方も大きくしてよい」、つまり、「真珠湾攻撃の犠牲者であるアメリカ側の正義の度合いはかなり高いのだから、それに見合った攻撃をしてもよい」ということになります。この考え方も原爆投下を正当化するのに使われました。
・戦争における最も重要なルールは「非戦闘員の保護」です。それはつまり「戦争は戦闘員同士の戦いでなければならず、非戦闘員である民間人を敵とみなして攻撃したり、巻き込んだりしてはいけない」という基本原則です。多くの民間人が犠牲になった原爆投下がこの原則に違反しているのは明らかです。
「ダブル・エフェクト」の原則にも反しています。「ダブル・エフェクト」とは、「意図的に非戦闘員を攻撃することは人道的に許されない」「戦闘員は非戦闘員の被害を最小限に食い止めるために最大限の努力をしなければならない」というルールです。・・・広島と長崎の市民に避難する猶予を与えることなく原爆を投下したわけですから、「民間人に被害が及ばないように最大限の努力をした」と言えないのは明らかです。
「比例性のルール」にも反しています。これは過度の気概を与えることを禁じる原則であり、「実質的に勝利に向かわない危害、もしくは危害の大きさに比べて目的への貢献堂が小さな危害をむやみに与えることは許されない」というルールです。アメリカ政府は、原爆が人間に与える危害の大きさを理解することなく使用し、戦争を終結させました。危害の大小も目的への貢献度も把握しないまま、原爆を投下したのは、比例性のルールに反しています。
・現在、米軍では、どの組織であっても、トップは他の隊員からの意見を聞くことなく、最終決断を下してはならないそうです。
・ということは、トルーマンの良心は麻痺していなかったということですか。
そうです。少なくともルールを守ろうとしていたことは確かです。トルーマンの自伝には次のようにも書かれています。
「原爆投下を決断する前に、私は原爆が戦時国際法に定めれているルールにのとって使用されるのかどうかを確認したかった。原爆を軍事施設のみに投下することを望んでいたからだ。そこで私はスティムソン(陸軍長官)に、『原爆投下のターゲットは、日本軍にとって最も重要な軍需生産拠点に限定すべきである』と念をおした」
広島と長崎はいくつか上がっていたターゲット候補のうちの二つでした。京都も候補にあがっていましたが、スティムソンが「京都は日本の文化的、宗教的な中心地だ」と主張し、候補からはずされました。
・(終戦の詔書)
昭和天皇は国民に向けて「皆さんの気持ちはよくわかるが、共同宣言を受諾したのは国を存続させるためである」とはっきり伝えています。
・私たちが、リーダーの道徳的な行動、勇気ある行動について学ぶ際、一般的に「勝者」を模範にすることが多いですが、「敗者」からも学ぶべきことがあるkとおを理解してほしいと思います。
・学生にこの授業から最も学んでほしいことは何ですか。
一つめは、私たちはビジネスリーダーであると同時に地球市民であることを忘れてはならないこと。
二つ目は、リーダーは決断した事例だけではなく、決断に至る過程についても責任を負うということ。
一方的な論理で原爆投下を決断したトルーマン大統領はの決断プロセスは、欠陥だらけでした。多くの人間で議論することもなく、代替案について検討することもなく、もちろん日本側の意向を再度確かめることもしなかったのです。こうした決断プロセスがどれほど危険からいうことも学生には認識してもらいたいと思います。
・ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領が真珠湾攻撃50周年式典行った演説
「私はドイツに対しても日本に対しても何の恨みも持っていません。憎悪の気持ちなど全くありません。真珠湾攻撃により多くの人々が犠牲になりましたが、このようなことが二度とおこらないことを心から願っています。報復を考えるのはもうやめにしましょう。第二次世界大戦は終わったのです。戦争は過去のことなのです」
第二次世界大戦中、日本軍に自ら搭乗する飛行機を撃墜された経験を持つブッシュ大統領の言葉はとても重いと感じています。この演説をどのように評価しますか。
これはまさにリーダーシップの模範例です。・・・もうお互い避難しあう時代ではないと。
オバマ元大統領は、また次のように世界に呼びかけました(広島訪問時)。
「私たちは過去の過ちを繰り返す遺伝子によって縛られているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選択することができます。子どもたちに新しい物語を言い伝えることができます。それは、私たちには共通の人間性があることを伝えるストーリーであり、今よりも戦争の数が減って、残虐な行為が簡単に許されなくなるような世界を実現することが可能であることを示すストーリーです」
・私は日本が今後も「世界の良心」であり続けることを願います。・・・戦争責任という点から、日本はよくドイツと比較されます。ドイツは、第二次正解対戦中の軍の行動が誤りであったことを明確に認めているが、日本ははっきりと認めていないのではないか、と非難する意見もあります。日本がもし軍隊を持てば、結局のところは日本は何も学んでいないのではないか、と世界から思われるでしょう。
テオドル・ベスター
「築地市場から見えてくる日本の強みと弱み」
・和食を特別なものにしているのは、その「下ごしらえ」です。繊細で正確な下ごしらえが食材の美しさを引き立てています。
・和食の由来をさかのぼっていくと大きく分けて三系統あります。
一つめが「大饗料理」
二つめが「精進料理」
三つめが「茶の湯料理」すなわち「懐石料理」
ジョセフ・ナイ,
「日本は核武装すべきか」
・シャルル・ド・ゴールが「国と国との間に友情はない。あるのは利害だけだ」
両者(米国と日本)の利害が一致しているからでしょうか。
三つの理由があります。
一つめは軍事戦略上の必要性です。
二つめは、日本が戦後、民主主義国家をつくりあげることに成功し、アメリカの同盟国にふさあしい国になったことです。
三つめは、経済的な相互依存です。
・日本の課題は何でしょうか。
最も大きな課題は人口減少です。つまり「日本人」がどんどん減っていくにつれて、国としての力が落ちていってしまうことです。この問題を解決する方法は三つあります。
一つめは移民の受け入れです。
二つめがテクノロジーの活用です。
三つめが人的資源を生かすことです。日本には「女性」という優秀な人的資本が眠っているのに、その資産が有効利用されていません。
アマルティア・セン
「世界に日本という国があってよかった」
・仏教が日本の立憲的な考え方に影響を与えたことも学びました。
聖徳太子の「十七条憲法」の中に、「ものごとをひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい」という条項があったのを今でもよく覚えています。
・日本には「知識」によって国を発展させようとしてきた歴史があることです。
・インドには古くから「善き人になるためには三つの道がある」という考え方があります。
一つめは知識を得る道(Jhana)
二つめが紙に帰依する道(Bhakri)
三つめが良い行動を実践する道(Karuma)
感想;
日本のことを良く学び良く知っておられるのに驚きました。
こういった日本を知って理解している人がいることが大きいように思いました。
このことに田中角栄元首相がお金を出していたことも初めて知りました。
日本人だから日本をことを知っていると思ってもそれは本当には知ったことにならないと思います。
他者の目を通して知る。
自己距離化でもあるように思いました。