1968年生まれ。
1300年の歴史でまだ2人しか成し遂げていない「大峯千日回峰行」を達成。往復48kmを16時間かけて。高低差1,300m。 9年かけて1000日。
病気になってもケガになっても止めない。
周りは真っ暗。提灯の明かりだけ。年間120日×9年。
23歳から初めて31歳で達成。
50歳を越えて大変さを実感した。人間がするものでないと思った。
何度か命がけの体験。血尿が出るほど体力が落ちる。
涙で字が滲んでいる。自分の身体に謝っている。
辛いことは背中合わせ。感謝の気持ち。
仙台にお寺を建てる。50歳で世界に出ていく。その希望を持っていた。ここで諦めたらそれがなくなる。
実家は普通の家。祖母と母がたまたま「千日回峰行」のTVを見ていて、それをやりたいと思った。
母が中学の時、離婚した。母は夫に「世話にならない」と言って、周りの世話を受けた。
母が食器を洗った後、私の食器をすべて捨てた。もう帰ることがないと。
千日回峰行達成した翌年、“四無行”(飲まず、食わず、寝ず、横にならず)を9日間耐える。
死の確率50%。毎朝の水のうがいだけは許された。
3日目くらいから周りの人が死臭を感じたと言われた。
間隔は研ぎ澄まされた。
伝達事項があるとそれが先に分かった。
10日行うと人は死ぬ。ぎりぎりまでやると分かることがある。
本山に残っていれば安住だったが、仙台の実家に帰った。でもお金がなかった。
母が「亮潤が帰ってきました。20年後、30年後を考えてイジメてください」と周りの人に行った。35歳で「慈眼寺」を建立。檀家は作らず、お葬式をしない。祖母が若干のお金があったので本堂を作った。自分で多くのことを行った。そこには法話を聞きに多くの人が集まってくる。
若い時は険しい山々を駆け回ることができた。今はもうできない。
今はストイックに追い込まなくても、自分を高めることができる。
イラっとするとき、理由を考えると、相手のせいになる。恨みになる。
そうすると自分の気もちも悪い方に行く。
それを明るい方、感謝のことを考える。無理に持って行く。
人間ですから嫌なことがある。それに囚われない。
”運“とは運ばれると書く。それを日常に実践している。
コロナで苦労している人には?
「笑いましょう」 笑っている人と会うと楽しくなる。
あるがままを受け入れることが大切だと思います。
これまでインタビューしてきて思うことは、「苦しい思いをした人は強くなる」なと思う(サワコ)。
荒行で身体がボロボロ。脳のMRIでは論理的思考ができないのに、足りない部分を補っている。
ないものはないと考える。与えられたものを活用する。
50年の間は眉間にしわを寄せて頑張っていた。これからは一瞬一瞬を楽しもう。
そうしているとそれが伝わってくる。
慈眼寺を大きくしたいと思わない。そうすると広がっていく。
肩に力を込めているとダメだった。
来たいときに来て、来たくないときは来なくてよいですよと言っている。
お寺に行かなくてもできることがある。
楽しく本来生きていくための教えが宗教。
自分の楽しみを見つけていくことが信仰心だと。
心に残る曲、世界で一番会いたい人の曲 レディ・ガガ「ボーン・ディス・ウェイ」
後二年後に死ぬと言われたら、楽しみたい。生きた痕跡を一切残さずに旅立ちたい。
感想;
過酷な、死の一歩手前の体験をされたからこそ、感じられたことがあるのでしょう。
そして、多くの人に法話をされて、少しでも幸せになって欲しいとの願いで実践されています。
悟りとは全てを捨てる。拘る心を持たないと言われていますが、その悟りの境地を実践されているように思いました。
1300年の歴史でまだ2人しか成し遂げていない「大峯千日回峰行」を達成。往復48kmを16時間かけて。高低差1,300m。 9年かけて1000日。
病気になってもケガになっても止めない。
周りは真っ暗。提灯の明かりだけ。年間120日×9年。
23歳から初めて31歳で達成。
50歳を越えて大変さを実感した。人間がするものでないと思った。
何度か命がけの体験。血尿が出るほど体力が落ちる。
涙で字が滲んでいる。自分の身体に謝っている。
辛いことは背中合わせ。感謝の気持ち。
仙台にお寺を建てる。50歳で世界に出ていく。その希望を持っていた。ここで諦めたらそれがなくなる。
実家は普通の家。祖母と母がたまたま「千日回峰行」のTVを見ていて、それをやりたいと思った。
母が中学の時、離婚した。母は夫に「世話にならない」と言って、周りの世話を受けた。
母が食器を洗った後、私の食器をすべて捨てた。もう帰ることがないと。
千日回峰行達成した翌年、“四無行”(飲まず、食わず、寝ず、横にならず)を9日間耐える。
死の確率50%。毎朝の水のうがいだけは許された。
3日目くらいから周りの人が死臭を感じたと言われた。
間隔は研ぎ澄まされた。
伝達事項があるとそれが先に分かった。
10日行うと人は死ぬ。ぎりぎりまでやると分かることがある。
本山に残っていれば安住だったが、仙台の実家に帰った。でもお金がなかった。
母が「亮潤が帰ってきました。20年後、30年後を考えてイジメてください」と周りの人に行った。35歳で「慈眼寺」を建立。檀家は作らず、お葬式をしない。祖母が若干のお金があったので本堂を作った。自分で多くのことを行った。そこには法話を聞きに多くの人が集まってくる。
若い時は険しい山々を駆け回ることができた。今はもうできない。
今はストイックに追い込まなくても、自分を高めることができる。
イラっとするとき、理由を考えると、相手のせいになる。恨みになる。
そうすると自分の気もちも悪い方に行く。
それを明るい方、感謝のことを考える。無理に持って行く。
人間ですから嫌なことがある。それに囚われない。
”運“とは運ばれると書く。それを日常に実践している。
コロナで苦労している人には?
「笑いましょう」 笑っている人と会うと楽しくなる。
あるがままを受け入れることが大切だと思います。
これまでインタビューしてきて思うことは、「苦しい思いをした人は強くなる」なと思う(サワコ)。
荒行で身体がボロボロ。脳のMRIでは論理的思考ができないのに、足りない部分を補っている。
ないものはないと考える。与えられたものを活用する。
50年の間は眉間にしわを寄せて頑張っていた。これからは一瞬一瞬を楽しもう。
そうしているとそれが伝わってくる。
慈眼寺を大きくしたいと思わない。そうすると広がっていく。
肩に力を込めているとダメだった。
来たいときに来て、来たくないときは来なくてよいですよと言っている。
お寺に行かなくてもできることがある。
楽しく本来生きていくための教えが宗教。
自分の楽しみを見つけていくことが信仰心だと。
心に残る曲、世界で一番会いたい人の曲 レディ・ガガ「ボーン・ディス・ウェイ」
後二年後に死ぬと言われたら、楽しみたい。生きた痕跡を一切残さずに旅立ちたい。
感想;
過酷な、死の一歩手前の体験をされたからこそ、感じられたことがあるのでしょう。
そして、多くの人に法話をされて、少しでも幸せになって欲しいとの願いで実践されています。
悟りとは全てを捨てる。拘る心を持たないと言われていますが、その悟りの境地を実践されているように思いました。