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鎖で留学生をつないだ動画が波紋 「助けて」とSNS投稿、日本語学校釈明「悪ふざけ」 ”日本の信頼に関わる問題 きちんと調査して欲しい”

2021-12-04 16:14:18 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/953420a33b089374b589dc6235478d849c36c13e【独自】12/4(土) 6:00 西日本新聞

福岡市の日本語学校とみられる場所で、ベトナム人男性が職員に鎖でつながれた動画=SNSから(写真の一部を加工しています)

 福岡市の日本語学校とみられる場所で学生のベトナム人男性が鎖につながれている動画が、会員制交流サイト(SNS)に投稿され、西日本新聞「あなたの特命取材班」(あな特)に「何とかできないか」と心配する声が寄せられた。学校側は取材に「悪ふざけ。(内容が)誤解されている」と釈明したが、国内のベトナム人コミュニティーや日本語学校関係者には憤りや動揺が広がっている。

【動画】職員に鎖でつながれたベトナム人学生

 関係者によると、10月に複数の動画が投稿された。日本語学校の男性職員が自分のベルトと、投稿者とみられるベトナム人男性のベルトを南京錠が付いた鎖でつなぎ、何かを聞く様子が映っている。別の動画では「私トイレ行きたい」など、たどたどしい日本語も聞こえる。

 「健康上の理由で帰国したいと言ったが、理由なく学校に閉じ込められた。ベトナム大使館に助けてもらいたい」などと、ベトナム語で訴える文章も添えられていた。現在、投稿は削除されている。

 この学校に通う別のベトナム人学生(21)は動画を見て「確かに学校の職員で、校内での出来事。トラブルがあったようだ」と証言した。

 学校の広報担当者は「(悪ふざけの動画や画像をインターネットに投稿し、社会問題になる)『バカッター』のような動画だった。(職員の行為は)ふさわしくないので学校業務から外した」と説明。投稿者とみられる男性は在籍していたが、現在は所在不明となり、除籍扱いにしたという。学校側は「(これ以上の)取材は遠慮したい」と詳しい説明を拒んでいる。

 取材班は当事者の男性に関係者を通じて連絡したが、返信がなかった。知人のベトナム人女性によると、男性は20代で、昨年12月ごろ同校に入学。動画を見て心配になり、先月末に電話で話した際、男性は「転校したいが、転校させてもらえなかった」と話していたという。

 在福岡ベトナム総領事館(福岡市)も動画の内容を把握。男性と連絡が付かず、知人経由で総領事館に連絡するようメッセージを送ったところ、知人を通じて「誰とも話したくない」と返事があったという。総領事館は「動画がどこまで真実か分からないので、見守っている状況だ。本人から正式に通報があれば対応する」としている。

 福岡県内のある日本語学校の校長は、新型コロナウイルスによる入国制限などで日本語学校の経営環境は厳しさを増し、学生の管理に神経質になっている学校があると指摘。その上で「動画はひどい人権侵害だ。県内のベトナム人コミュニティーで広まり、動揺している学生もいる」と憤った。 (内田完爾)

感想
これが欧米人だったら、政府はすぐに調査すると思います。
アジアの人だからそのままにしているのでしょう。
国際問題であり、日本人の品位が問われています。

きちんと学校側に、学校を認可している機関から正式に調査の指導が入るべきだと思います。
入管で治療されずに亡くなられました。
欧米人には絶対にしなかったでしょう。
どうして、日本は同じアジアの人に対して冷たいというか、優しさがないのでしょうかと思ってしまいます。

ロジカルに夢を実現。ハーバード卒の弁護士が大津市長になった理由 "大津市の学校での虐めできちんと第三者委員会を立ち上げる姿勢を

2021-12-04 15:20:15 | 社会

12/3(金) 16:45Forbes JAPAN

上下関係、ジェンダー、社内外の枠組みなどに縛られずに、チームや組織、あるいは業界に多くの実りをもたらした女性たちは、何を考え、どう行動したのか。

Forbes JAPANでは、これまでの考え方や既存のシステムを超えて活躍する女性にフォーカスした企画「Beyond Systems」を始動。翻訳コンテンツを含めたインタビュー記事を連載していく。

「女性が自由に選択できる社会をつくりたい」という想いに突き動かされた弁護士・越直美は、2012年36歳のときに大津市長に就任。「史上最年少の女性市長」として注目を集めるなか、保育園の大幅増設や予算を捻出するための行財政改革など、女性が働きながら子育てをしやすいまちづくりに尽力してきた。

任期を終えた現在は、三浦法律事務所パートナー弁護士として、また女性役員の育成や紹介を行うOnBoardの代表取締役CEOとして、さらに活躍の幅を広げている。

法律家だった越は、なぜ市長への出馬を思い立ったのか。越の人生の転機と、仕事への向き合い方を追った。

■女性が自由に選択できる社会を

何か特殊な事情がない限り、人生で「市長になる」が選択肢にあがる人はほとんどいないかもしれない。

越も、身近に政治家がいる環境で生まれ育ったわけではない。北海道大学院在学中に司法試験に合格すると、卒業後は現在の西村あさひ法律事務所に所属。先輩たちと同じように企業弁護士としてのキャリアを重ねていくものと思っていた。入所6年目に留学したハーバード大ロースクールで、ある衝撃的な光景を目にするまでは。

「当時はオバマ大統領が初めて立候補する大統領選挙が行われる直前でした。若い学生たちが積極的に選挙運動をしているのを見て、政治への関心の高さに驚くとともに、私も世の中を変えるために何かしたいと思いました」

その翌年、越はもう1つのカルチャーショックを経験する。働き始めたニューヨークの法律事務所で、アメリカ人の男性弁護士が1年間の育児休暇を取得したのだ。「正直、ものすごく驚きました」と、当時の衝撃を語る。

「日本で育休を取る男性は見たことがありませんでしたから。気になって調べてみると、当時日本では5、6割の女性が第一子の出産と同時に仕事を辞めていました。私の周りにも出産を機にキャリアを諦めた友人や、仕事と子育ての両立に苦労している友人がいて、日本は女性ばかりが子育てをしている国だと気づいたんです」

仕事か子どもか。女性がどちらかを選ばされる“二者択一”の状況を変えたい。『女性が自由に選択できる社会』をつくりたいと、このとき越は強く思った。

「そもそも、女性が仕事を辞めてしまう大きな要因は保育園不足にありました。保育園をつくる権限があるのは市町村です。だったら私が市長になって、まずは地元の大津市の保育園を増やしたいと思いました」

越は至極ロジカルに、「市長になる」という選択肢を導き出したのだった。

迷いの中で出会った友人の言葉
「そうは言っても、市長選に出るべきかはものすごく迷いました。もやもやしていた期間も含めると2年ぐらい。迷い続けて、疲れ果てた時期もあります」

市長というキャリアを現実的に考え始めた越は、就任後に実現したいことを資料にまとめ、国会議員などの有識者に意見を求めて回った。

そこでは決まって、2つのことを言われたという。1つは「若すぎる」。もう1つは「政治の経験がない」。30代半ばという若さで市長選に挑もうとする越に、肯定的な言葉をかけてくれる人は少なかったという。

確かに、政治家として経験を積まなければできないことはあるかもしれない。でも、本当にそうなのか──。

迷い続ける越の前に1つの答えをくれたのは、留学先で知り合った友人だった。その温かくも力強い言葉を、越は昨日のことのように思い出す。

「悩む私の様子を見て、その友人は『迷えることはラッキーだ』と言いました。世の中には選択肢を持てない人の方が多いのだから、迷えるだけ迷ったらいい。迷えるのは自由の証だよ、と。その言葉のおかげで、納得いくまで考え続けられたんです。

また『自分にしかできないことをやるべき』とも言ってくれました。確かに、当時私が所属していたアメリカの法律事務所には500人もの弁護士がいて、私の代わりはいくらでもいる状況でした。でも、市長は違う。『市長は1人なんだ』と気づいたとき、考え方が変わり始めたんです」

若さや政治経験のなさは、欠点だと思っていた。しかし、若い感性が政策に活かされたり、経験のなさゆえの市民に近い感覚が役立ったりする場面だって、あるに違いない。

「私が市長になって、『自分にしかできないこと』をしよう」

立候補を決めた越の表情から、逡巡の色は嘘のように消え去った。

子育て支援策を中心に据えたマニフェストは多く市民に支持され、越は2012年に大津市長に当選。その出来事は「史上最年少の女性市長誕生」と、地元で大きく報じられた。

■8年で54園増設、働く女性70%増

しかし、越の本当の戦いが始まるのは、市長になってからだった。終身雇用、年功序列のいわゆる“日本的”な職場に彗星の如く現れた女性リーダーに対し、就任当初はあからさまに嫌な態度を取る職員がいたという。

机をバンと叩かれたり、ドアを思い切り閉めて出ていかれたりすることもあった。それでも越は「辞めたいと思ったことは一度もなかった」と当時を振り返る。

「市長になる前にも、若いとか経験がないとかマイナスなことを散々言われましたが、それでも市長を目指す気持ちが完全に消えることはありませんでした。やりたいことに対して反対の言葉をかけられたからこそ、自分のなかにある“真の情熱”に気付けたのだと思います」

納得いくまで悩み抜いて生まれた強い決意は、市長になった越をどんなときも支え続けた。

圧倒的な行動量に裏打ちされた高い成果
2期8年の任期中、越は約3000人分にあたる保育園など54園を増設。大津市内の待機児童はゼロとなり、5歳以下の子どもを持ちながらフルタイムで働く女性は70%増加した。子育て環境の改善は、大津市の人口増加にもつながった。

また、自動運転、MaaS(Mobility as a Service)、いじめAI予測等のテクノロジーを導入しスマートシティを進め、競輪場跡地の再生、ガス事業コンセッション等の新しい公民連携を取り入れた。そのほか市の事業・補助金の見直しによる132億円の歳出削減など、幅広い領域で改革を実行してきた。

こうした高い成果の背景には、圧倒的な行動量があった。そして、弁護士とは違うやりがいを感じたという。

「弁護士の頃は、常に自分と同僚や他人を比較していました。でも市長になったら、自分と誰かを比べる必要はありません。ただひたすら市民と向き合えばよかった。それが多くの行動につながったんだと思います」

■大きな仕事は「10年」でやり切る

大津市長の任期を終え、まもなく2年が経とうとしている。

政治家の看板を下ろした越は、三浦法律事務所でスマートシティや公民連携を扱う弁護士として、また友人の松澤香弁護士とともに立ち上げた、女性役員の育成や紹介を行うOnBoardの経営者として、精力的に活動を続けている。

現在の活動のほとんどは、「市長としてやっていたことの続き」だそうだ。市長時代とは異なるアプローチで、女性が自由に選択できる社会の実現に、今も尽力している。

燃え尽きることなく、走り続けられるのはなぜなのか。その秘密は「10年単位の人生設計」にあるという。

「振り返ってみると、今までの人生は約10年単位でステージを変えてきました。市長になる前は法律家として10年、市長になってから任期後の期間を含めて10年。現在取り組んでいることも、10年以内には結果を出したいと思っています。期間を決めているのは、そのほうが情熱が持続するから。自ら期限を切ることによって、集中して取り組めるんです」

次の10年はどう過ごすつもりなのか。そう問うと、越は迷いなく「白紙です」と答えた。

「自分の人生が全部決まってしまうのは嫌なんです。先が見えてしまうと窮屈だし、ワクワクしませんよね?できるだけ自由でありたい。これが私の原動力のような気がします」

やると決めたら、徹底的にやる。でも、自由な心を持つことも忘れない。白紙の未来を堂々と掲げるリーダーの背中には、人生を心から楽しむ人の輝きがあった。

感想
大津市長が3選不出馬表明
https://www.nishinippon.co.jp/item/o/559629/


大津中2自殺10年「悲劇繰り返すまい」対策へAIも
https://www.sankei.com/article/20211011-K4KG6FAQZVN7NIGJHVMT3BFVWY/

男子生徒の自殺では、加害生徒によるいじめを学校が認識していたにも関わらず、報告していなかったことなどが問題化し、市教委や学校に批判が集まった。市は再発防止として越直美・前市長のもとで、全国に先駆けたいじめ対策「大津モデル」を推進。同室は市教委ではなく、市長部局に設置され、学校外で被害者の声を聞くことで、いじめを見逃さないようにする狙いがあるという。

待機児童ゼロはやろうと思えばできることを証明されました。
やる気がなかった元総理とは大きな違いです。

そして3選不出馬で、新しいことにチャレンジされています。
次の10年はまだ白紙とのことです。
何にチャレンジされるか楽しみです。

「愛する人を亡くした時」E・A・グロルマン編著 エリザベス・キュブラ=ロス序説 ”自分の悲しみを語る”

2021-12-04 04:14:04 | 本の紹介
・エリザベス・キュブラ―・ロス
博士は最愛の義弟の死というつらい体験を通して、数々の貴重な教訓を得、それを契機として、死及びしぬことにかんする研究分野で先駆者となったのです。

・私は最近、アメリカの太平洋沿岸の北西部で未亡人や妻を亡くした夫を前にして、講演をしました。・・・
それが終わった後、司会者が私のところへ飛んできて「次の講師がまだお見えになっておりませんので、恐れ入りますが、いましばらく代わりをつとめていただけませんか、講師は間もなくお見えになります」といったのです。
そこで、私は、その司会者の願い出を受け容れることにし、聴衆に向かったこう切り出しました。
「私の話は十分聞いていただきましたので、今度はみなさんから話を聞かせていただきたいと思います。実は、みなさんこそ、死や死ぬことに関する分野の本当の専門家なのです。最愛の人を亡くされたとき、心の支えとなったものは何であったのかについて、お教え下さい」
私は何人かの体験談を聴きましたが、なんとすばらしいことだったでしょう。ある人は、最愛の人との死別を体験したときに味わった孤独感や疎外感を語り、別の人は、人生の暗闇の中で、一条の光明を見出したいきさつを語りました。
これらの話を聴いて聴衆はうなずき始めました。・・・
私たちの話題は、死の問題から、いかに生きていくべきかという問題に移りました。だれかが、この話し合いを比ゆ的に“レモンで作ったレモネード”だと特徴づけました。つまり、ほろ苦い味のするレモネードも飲めば驚くほど気分が爽快になるように、つらい体験を語り合うことによって、お互いに心がすっきりしたからです。

・最愛の人を失ったいま、あなたは自分がどうしていいかまったくわからなくなっています。その悲しい現実を受け入れる心の準備は、何ひとつできていませんでした。
そういうあなたに知っておいていただきたいことがいくつかあります。まず第一に、悲しんでいるのはあなた一人ではないということ。次に、あなたの心を支えてくれるものがいろいろとあるということです。本書は、あなたの心の支えとなるものを提供させていただきたいとの願いから書かれたものなのです。
かといって、いわゆるハウツーものの本ではありません。第一、他人にいかに悲しむべきかなどという“方法”を教えることは、不可能です。
悲しみが癒される標準的な時間などというものはありません。人によって、長短があります。また、悲しみはさまざまな過程をへて消えていくものですが、その過程も人によってさまざまです。

・あなたが過去の体験の中から、忘れてはならないものを選び取り、現在、喜びを感じていることを大事にしながら、将来の明るい生活設計を立てていかれるように-これがこの本の願いです。

・だれかから、「いま、ここに座ってください」と頼まれたら、明日では遅すぎるかもしれないと心して、とくに時間をさいて頼まれるままに即座に座ってあげるようにしよう、と決意しました。

・死別の悲しみを癒すための10の指針
1) どのような感情もすべて受入れよう
2) 感情を外に表わそう
3) 悲しみが一夜にして癒えるなどとは思わないように
4) わが子とともに悲しみを癒そう
5) 孤独の世界へ逃げ込むのは、悲しみを癒す間違った方法
6) 友人は大切な存在
7) 自助グループの力を借りて、自分や他の人を助けよう
8) カウンセリングを受けることも、悲しみを癒すのに役に立つ
9) 自分を大切に
10)愛する人との死別という苦しい体験を意味ある体験に変えるよう努力しよう

・故人を愛していたからこそ、悲しみを感じるのであって、悲しみは、いわゆる人生という銀貨の裏面です。悲しみは、だれもが感じる自然な感情であると自覚することが、健全な悲しみのための第一歩です。

・牧師さんは、まったく純粋なお気持ちで、私の悲しみと一つになって心を通い合わせてくださいました、。ひたすら沈黙しておられましたが、そのおかげで、私は心に受けた大きな痛手を言葉で表現することができました。

・娘を亡くした後、新しい生きる目標を見つけました。それは、がんに冒された子どもを持つ親たちと苦楽をともにし、援助する組織を作ること、がんの治療法発見など、がん征圧のために努力している人々を陰ながら支援すること、がんに冒された子どものいる家族に各種の情報を提供することなどでありました。

・ダイアナ・ガブリエルという女の子は、十歳を少し過ぎたばかりのとき、交通事故で死亡しました。母親のポーラ・シャムレスも重症を負いましたが、その自己の二年後、母親と父親のアーノルドはいとし子を亡くした親たちを支援する国際団体「思いやり友の会」のアメリカ最初の支部を結成しました。
この会の支部がイギリスを始め、世界各地に次々と結成されています(イギリスでスタート)。
この会の目的は、愛児との死別の悲しみを癒す安易な方法を教えるのではなく、悲嘆にくれている親たちがその悲劇的体験を通して、同じ境遇の人たちの気持ちを理解するようになり、同時に自分たち自身も人間として大きく成長できたのだという自信と慰めをうるようにすることにあるのです。

・1973年にイーグルスのフレッド・ヒル選手の七歳になる愛娘キムが、エバンズ博士を主治医として白血病の治療を受けていたとき、フレッド・ヒル選書とジム・ミュレイ総支配人の二人がエバンズ博士を訪れ、白血病の子どもたちを援助するために何か自分たちにできることはないか、と尋ねたという一件でした。
その後、イーグルスと地元のマクドナルドのレストランの経営者や支店長が力を合わせて、白血病の子どもを抱えている家族が滞在できる住宅を建設する資金の調達を始めました。この特別な家は「ロナルド・マクドナルド・ハウス」と名づけられました。

・1978年の夏からは、がんや白血病にかかっている子どものためのサマー・キャンプが始められるようになりました。
十歳以下の子どもは親につきそわれて参加しました。
私たちはディズニー・ランドをはじめ、海へ行ったり、サーカスを見物をしたりしました。この間、子どもたちは、はじめてシャチを見たり、サーカスに登場する道化師のしぐさに大笑いしたり、すばらしいディズニーランドの魔法の世界にひたったりしました。・・・
このような旅行ができたということじたいが有益であったのですが、旅行を通して同じ境遇の親子同士が一緒に過ごせたというのは、それにもまして価値あることであったと思います。

・自分の人生経験を通して私自身が大きく成長したというそのことが、何よりも頼りになることですし、それがつねに私の精神的活力の源泉になっているのです。

・最愛の人が亡くなると、残された者は罪悪感にさいなまれます。たとえば「もし、このことさえしていたなら・・・」といった自責の念が、繰り返し繰り返し湧いてくるのです。

・日記は私にとって、生きていくうえで大事な道具です。私の人生を立て直すのに非常に役に立っています。・・・
最近では、日記をつけるということがそれほど重要なことではなくなりました。とはいえ、日記帳は持つべき親友のような存在です。日記帳に向かうと、自然体で自分の気持ちがそのままかけるのです。

・ウイリアウ・M・ラマーズ二世という精神科医は、マリンにあるホスピスの創始者であり院長でもあります。彼は患者が亡くなったときの気持ちを次のように述べています。
「私は故人となった患者から教えられることが多いのです。患者が亡くなると悲しいのは、その患者を愛していたからだと思います。患者が亡くなるたびに、私自身もやがて死ぬべき運命にあるのだということをはっきりと自覚させられます」

・つらいときには勇気という名の王様から次のことを学んでほしいと思います。つまり、勇気というのは、何事も恐れないということでもなければ、どんなに苦しい目に遭っても弱音を吐かないということでもなくて、恐ろしいことに出会ったら恐れ、苦しいときには苦しみながらも人生に絶望しないで、一回限りの人生を大切にしよう、という気概なのです。
あなたがいまどんなにつらい思いをしていようとも、未来という空には大きな希望の虹がかかっているということ、いろんな人々があなたに援助の手をさしのべようとしていることを知ってほしいのです。あなたがユーモア感覚を取り戻して、心から笑えるようになったら、それはあなたの沈んだ心が晴れてきている証拠です。また、日々重要な決断を下しながら生きていくことができ始めたら、あなたの気持ちはさらに上向いてきいているといえます。そして、あなたがしまっておいた故人の思い出の品々を取り出して、じっくりと眺めることができるようになり、いまは亡き愛する人と一緒に体験した幸せな思い出をふりかえって、涙ながらにも笑えるようになれば、あなたの状態は一段と改善されているのです。
あなたのこれからのいちばん大きな仕事は、悲しみから立ち直って命あるかぎり生きていくことである、ということがわかるようになれたら、あなたは真に大きく成長をとげて完全に自分を取り戻しているのです。

感想
愛する人を亡くすことの辛さ。どうしていけばよいかわかりません。
愛が深ければ深いほどその悲しみ、苦しみが大きいです。

でも遺された人は生きていかなければなりません。
またそれは亡くなった人の願いでもあったはずです。

どう気持ちを立て直すかは人さまざまです。
その時に自分の苦しみを語る、同じような境遇の人に語る、一緒に何か行動することが支えになるようです。

入院児との遊びのボランティアをしていました。
殆どががんや白血病の子どもたちでした。
2~3割の子どもたちが亡くなって逝きました。
子どもを亡くした母親との交流もありました。
亡くなった子どものことを忘れない、忘れないで欲しいと語っておられました。
そして同じ境遇の仲間と一緒に病気の子どもたちの支援を行っておられました。
それは亡くなった子どもと一緒に活動されているようでした。

悲しみが深くても遺された者はどう生きるか。
苦しくてもそれを考え生きていくと新しい世界が待っているようです。
その世界は自分のためだけでなく困っている人を支える優しい活動になっていました。
この本にはその新しい世界の話が多く紹介されていました。

まさに人生からの過酷な問いかけに応えて行かれたのでしょう。
ロゴセラピーでは、人が人生に意味を見出すのではなく、人生から意味を問われると考えます。
キューブラロス女史は義弟の死を受け止め、それに意味を見出されたのでしょう。
義弟の死はキューブラロス女史の活動の気づきとなり、その後の伴走者となったのだと思います。
ロゴセラピーは過酷な問いかけにどう対処するかのヒントを与えてくれると思います。
また自分が人生に希望を見出せなくても、人生は自分に希望を与えていると考えます。