・私がサンコーインダストリーに入社したのは1956年、25歳のときでした。
・私が15歳だっと1945年、約4年間続いた太平洋戦争が終わりました。くしくもこの年、一家の大黒柱だった父親が亡くなりました。56歳の若さでした。15歳の私の下には12歳の妹、それに8歳と5歳の弟がいました。当時、母は39歳でしたが、お嬢様育ちで身体も丈夫でなかったことから、「父に代わって、私が頑張らないと一家が路頭に迷ってしまう」という義務感が私に目が得たのです。
あのときの義務感は、今日まで私が働くうえでの原動力になっています。
・大阪府内の商業高校を卒業した私は、すぐに働き始めました。
・すぐ辞めたいと思った会社で勤続66年
自分のやりたい仕事とは違うと思い悩み、出社するのがイヤになって1週間ほど休んだこともありました。すると、会社を紹介してくれた従姉妹から、「あなたは仕事をなんだと思っているのか? あなたに一体、何ができるの!」とすごく怒られたのです。
その言葉で私は目が覚めました。「まだ何も満足にできもしないのに、与えられた仕事を途中で放り出すなんてとんでもないことだ。働いて給料をもらっているのだから、まずは与えられた仕事を着実にこなせるようにならなくては」と思い直し、それからは気持ちを新たにして仕事をしました。
・「感謝」と「報恩」が人生の指針になりました。
・40年ほど前の1981年会社にパソコンが導入されたとき、私は51歳でした。・・・
導入当時は毎日ワクワクしながら働いていたことを覚えています。
・今日頑張れたら、明日も頑張れる。
・「積小為大(せきしょういだい)」二宮尊徳
「小さな努力の積み重ねが、大きな成果につながる」
・「今を生きることに集中する」
・私は92歳になるいまでも、昨日よりは今日、今日よりも明日のほうが、ちょっぴり成長しているという実感があります。
・凡事徹底、なかでも掃除を重視
・できない理由ではなく、できる方法を探す
・「休んでリフレッシュするのも仕事のうち」
・何歳になっても学ぶ姿勢を忘れない
・生きていることは素晴らしいと気づいたら、「今を生きる」に、「楽しく」という言葉を加えてみてください。
・仕事をするうえで、私が長年信念としているのは、「ミスを起こさないのが最速の仕事術」ということ。
・デスク上には、ToDoリストの最上位で、いまやるべき仕事関連に絞って書類を置いておくことです。
・私は「急がないでコツコツやる」と自分に言い聞かせて、焦らないようにしつつ、変化に対応することを意識しています。
・私は毎朝20分かけて、新聞の見出しをチェックしています。そして、わからない言葉に出くわしたら、意味を調べるようにしています。
・「エンディングはつねに笑顔」というのも、私が大事にしているモットーです。
・毎朝30分のヨガを欠かさない。ヨガの瞑想を終えたら、「般若心経」を読んでいます。
・私がもっとも大切だと思っているのは、仕事の目的と納期を確認することです。
・「すみません」を「ありがとう」にかえる
・読書はもっとも手軽な「生涯学習」
・「冷暖自知」で失敗から学ぶ(創業者がよく言っていた言葉)
水が冷たいか、温かいかは、飲んでみないとわからないという意味で、「何事もやってみないとわからない」ということです。
・失敗を他人のせいにしない
・失敗は隠さず即座にオープンにする
・やはり環境の変化を楽しみながら対応していくことが、長く仕事を続けるうえでの必須条件なのです。
・100歳まで現役で働き、エッセイストデビューを夢みる
感想;
環境の変化に対応して、新しいことにも果敢に挑戦されて来られたようです。
そして常に仕事に前向きに取り組んでこられたようです。
92歳の方が選ばれた言葉だからこそ、重みをもって来るのでしょう。
ミス無く高速処理「総務部勤務・92歳エクセルの達人」が机に向かうとき絶対にしないこと
【92歳の現役総務課長が教える】
会社員だからこそ絶対に忘れてはいけないたった1つのこと
・私が15歳だっと1945年、約4年間続いた太平洋戦争が終わりました。くしくもこの年、一家の大黒柱だった父親が亡くなりました。56歳の若さでした。15歳の私の下には12歳の妹、それに8歳と5歳の弟がいました。当時、母は39歳でしたが、お嬢様育ちで身体も丈夫でなかったことから、「父に代わって、私が頑張らないと一家が路頭に迷ってしまう」という義務感が私に目が得たのです。
あのときの義務感は、今日まで私が働くうえでの原動力になっています。
・大阪府内の商業高校を卒業した私は、すぐに働き始めました。
・すぐ辞めたいと思った会社で勤続66年
自分のやりたい仕事とは違うと思い悩み、出社するのがイヤになって1週間ほど休んだこともありました。すると、会社を紹介してくれた従姉妹から、「あなたは仕事をなんだと思っているのか? あなたに一体、何ができるの!」とすごく怒られたのです。
その言葉で私は目が覚めました。「まだ何も満足にできもしないのに、与えられた仕事を途中で放り出すなんてとんでもないことだ。働いて給料をもらっているのだから、まずは与えられた仕事を着実にこなせるようにならなくては」と思い直し、それからは気持ちを新たにして仕事をしました。
・「感謝」と「報恩」が人生の指針になりました。
・40年ほど前の1981年会社にパソコンが導入されたとき、私は51歳でした。・・・
導入当時は毎日ワクワクしながら働いていたことを覚えています。
・今日頑張れたら、明日も頑張れる。
・「積小為大(せきしょういだい)」二宮尊徳
「小さな努力の積み重ねが、大きな成果につながる」
・「今を生きることに集中する」
・私は92歳になるいまでも、昨日よりは今日、今日よりも明日のほうが、ちょっぴり成長しているという実感があります。
・凡事徹底、なかでも掃除を重視
・できない理由ではなく、できる方法を探す
・「休んでリフレッシュするのも仕事のうち」
・何歳になっても学ぶ姿勢を忘れない
・生きていることは素晴らしいと気づいたら、「今を生きる」に、「楽しく」という言葉を加えてみてください。
・仕事をするうえで、私が長年信念としているのは、「ミスを起こさないのが最速の仕事術」ということ。
・デスク上には、ToDoリストの最上位で、いまやるべき仕事関連に絞って書類を置いておくことです。
・私は「急がないでコツコツやる」と自分に言い聞かせて、焦らないようにしつつ、変化に対応することを意識しています。
・私は毎朝20分かけて、新聞の見出しをチェックしています。そして、わからない言葉に出くわしたら、意味を調べるようにしています。
・「エンディングはつねに笑顔」というのも、私が大事にしているモットーです。
・毎朝30分のヨガを欠かさない。ヨガの瞑想を終えたら、「般若心経」を読んでいます。
・私がもっとも大切だと思っているのは、仕事の目的と納期を確認することです。
・「すみません」を「ありがとう」にかえる
・読書はもっとも手軽な「生涯学習」
・「冷暖自知」で失敗から学ぶ(創業者がよく言っていた言葉)
水が冷たいか、温かいかは、飲んでみないとわからないという意味で、「何事もやってみないとわからない」ということです。
・失敗を他人のせいにしない
・失敗は隠さず即座にオープンにする
・やはり環境の変化を楽しみながら対応していくことが、長く仕事を続けるうえでの必須条件なのです。
・100歳まで現役で働き、エッセイストデビューを夢みる
感想;
環境の変化に対応して、新しいことにも果敢に挑戦されて来られたようです。
そして常に仕事に前向きに取り組んでこられたようです。
92歳の方が選ばれた言葉だからこそ、重みをもって来るのでしょう。
ミス無く高速処理「総務部勤務・92歳エクセルの達人」が机に向かうとき絶対にしないこと
【92歳の現役総務課長が教える】
会社員だからこそ絶対に忘れてはいけないたった1つのこと