https://news.yahoo.co.jp/articles/1eb42bb4a384d469f1676b74de2fa4aa4342bf45?page=1 10/5(水) 6:03 現代ビジネス
9月27日、安倍晋三元首相の国葬が行われた。事前の世論調査では、すべての媒体で反対が半数を超えたなかの実施だった。国葬の8日前、9月19日に東京大学國分研究室の主催で、東大駒場キャンパスで「国葬を考える」というシンポジウムが開催された。国葬の持つ意味とは何か、安倍元首相が国葬に値する人物なのか。シンポジウムでの個々の発言を再録する。
第4回は東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授の國分功一郎氏(哲学)だ。
安倍政権の責任の追及を
丸山眞男が言った、戦時下天皇制国家の「無責任の体系」。大変有名な言葉ですけれども、この無責任の体系というのは、戦後、天皇が戦争責任をとらなかったことによって戦後に完成したという考え方があるし、そういう考え方ができると思うんです。無責任の体系は戦後に完成している。結局あれでよかったんだ、と。
長期に及んだ第二次安倍政権が終わった後、僕がずっと思っていたのは、あれだけたくさん問題や不祥事を起こした安倍晋三政権の責任をきちんと追及しなければ、そのことによって、むしろ終了後にこの政権が完成してしまうということだったんです。安倍政権が終わったいまだからこそ、我々はこの政権の責任を追及しなければならない。
ところが安倍晋三が殺害された際、国葬という話が出てきた。これを黙認するのであれば、安倍政権を、あれでよかったのだという形で完成させることになってしまうのではないか。僕が今回の国葬についてもっとも強く違和感というか反発の意識を感じたのはそこでした。だから安倍政権なるものの問題点をその開催の前にはっきりと示しておく必要があるだろうというのが、僕がもっとも強く感じていることです。
2013年、安倍晋三は憲法96条、すなわち憲法改正の手続きを定めている条文を変えようということを言い出していた。「憲法を国民の手に取り戻す」というまろやかな口実を持ち出していましたが、それが無理とわかるとそんなことは口にしなくなった。つまりもともと「憲法を国民の手に取り戻す」気などまったくなかったということです。
憲法そのものの改正が難しいとわかると、2014年には、それまでの政府による憲法解釈を単なる閣議決定で変更してしまうということを行った。その結果、集団的自衛権の一部行使が可能だと言い始めた。しかも、こうした解釈の変更ができるように、その前年には内閣法制局という由緒ある組織の先例と慣行を無視して、自分たちに都合のいい人物をその上官に任命するという、当時も禁じ手と呼ばれた手段に訴えていた。
2015年には、これは覚えていらっしゃる方もまだ多いと思いますけれども、多くの憲法学者、歴代の内閣法制局長官、最高裁判所判事経験者など、多くの専門家中の専門家がその違憲性を指摘する安保関連法案を、憲法解釈変更に基づいて国会に提出、成立させている。この時は世論の反対も大変強烈にありました。
社会全体のモラルを崩壊させた
安倍政権の特徴というのは何より、これまで政治や社会が積み上げてきた遺産というものに対する敬意の徹底した欠如にあったと思います。
さらには、選挙で選ばれた者がすべて決めていいんだという、ある種の民主主義の悪用。「選挙で選ばれた俺が全てを決めて何が悪い」という考え。これは裏を返すと、立憲主義の無視と言ってもいいかもしれません。立憲主義が、いかなる権力も制限されるという原理だとすれば、その原理は法の解釈や法の運用の積み重ねによって維持されてきているものですね。
この原理を無視する安倍政権のあり方とは、最初の特徴、すなわち政治がこれまでに積み上げてきた遺産に対する敬意の徹底した欠如というものと結局は同じです。やや乱暴な言い方をわざとすると、「先輩、知らんぷりしてれば何でもできますよ」という不良のような態度。これが安倍政権を貫いていたと思います。
そういう態度の政権ですから不祥事は数えきれません。森友学園の問題、加計学園の問題、「桜を見る会」の問題。特に森友学園の問題は文書の改ざんを指示された近畿財務局の男性職員の赤木さんが抗議文書を残して自殺するということまで起こっている。こういうことをすべて知らんぷりで通してきている。
「桜を見る会」の問題は領収書がないとか常識では考えられないことがまかり通ってしまった。我々は1円でも数字が間違ったらオフィスから帰れないような仕事をしていると思いますけれども、こんな杜撰なお金の管理がまかり通るということをまざまざと見せつけることで、この政権はまさしく社会全体のモラルを崩壊させたと言ってよいと思います。
安倍政権成立以後、僕が一生懸命に勉強したのがハンナ・アーレントという哲学者でした。安倍政権のことを理解するためには、ワイマール期というファシズムを用意した時代、そして20世紀初頭に現れた大衆社会を徹底的に分析したこの哲学者の思想を理解する必要があると考えたのです。
そのアーレントが「真理と政治」という論文の中でこういうことを言っています。「政治の領域はその権力の及ばない人々や制度の存在にかかっている」(『過去と未来の間』)。たとえば司法制度がそうです。たとえばジャーナリズムがそうです。たとえば学校制度がそうです。たとえばアカデミズムがそうです。そういった権力の及ばない人々の制度の存在によってこそ、政治というものの中で様々な討議が行われたり、やったりやっつけたりということが行われて、いろんなこと決まって政治が進んでいく。
それに対して安倍政権がやったことを見ると、重要な由緒ある役所の慣行を無視する。これまで積み重ねられてきた法文の解釈を無視する。公文書を改竄し、ある意味で近代官僚制の根幹部分にある文書主義を破壊する。さらには政治を批判的に検討するジャーナリズムやアカデミズムに対しても徹底的な攻撃をくわえる。そういった権力の及ばない人々や制度というものがなくなったら、政治そのものが自壊していってしまうとアーレントは言います。
安倍政権が破壊していたのは、まさしく、政治の外にあって政治を支えていた権力の及ばない人々や制度ではないでしょうか。特に僕はアカデミズムの中にいるものですから、当時気になっていたのは、安倍晋三が学者と称するテレビのコメンテーターと食事を重ねながら親密な関係を作り出して、そのコメンテーターたちが安倍晋三をテレビで擁護するということが繰り返されていた事実です。そういう形で行われる切り崩しにやすやすと負けていった自称学者たちもいた。
以上のことは絶対に「あれでよかった」とされてはならないことだと思います。特に僕は自分がアカデミズムの中にいますので、アカデミズムにおいて権力の及ばない人々や制度というものをしっかり守っていかなくてはいけないと思っています。もし政府による国葬儀というものが開催され、これに対して何も言わず、ただ黙認するということになれば、安倍政権の完成というものに手を貸すことになるだろうと僕は確信しています。安倍政権を完成させてはなりません。
(2022年9月19日、シンポジウム「国葬を考える」にて)
感想;
この記事を自公の議員さんは読んでどう思うのでしょう?
国葬賛成の人はどう思うのでしょう?
国葬には以下の2つがあります。
1)国葬の手続き
2)国葬に値する人かどうか
どちらも問題があったから、賛成の倍以上の人が反対だったのです。
記事にはない、詩織さん準強姦犯(民事)山口敬之氏逮捕停止は司法を根底から否定することでしたが、まかり通ってしまいました。
そして旧統一教会への安倍元首相の行為は”売国者”と言われても否定できない実績でした。
安倍首相の葬儀は終わっていて、国葬は岸田首相のパーフォーマンスのために、税金が数十億使われました。
きちんと検証することが必要なのでしょう。
9月27日、安倍晋三元首相の国葬が行われた。事前の世論調査では、すべての媒体で反対が半数を超えたなかの実施だった。国葬の8日前、9月19日に東京大学國分研究室の主催で、東大駒場キャンパスで「国葬を考える」というシンポジウムが開催された。国葬の持つ意味とは何か、安倍元首相が国葬に値する人物なのか。シンポジウムでの個々の発言を再録する。
第4回は東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授の國分功一郎氏(哲学)だ。
安倍政権の責任の追及を
丸山眞男が言った、戦時下天皇制国家の「無責任の体系」。大変有名な言葉ですけれども、この無責任の体系というのは、戦後、天皇が戦争責任をとらなかったことによって戦後に完成したという考え方があるし、そういう考え方ができると思うんです。無責任の体系は戦後に完成している。結局あれでよかったんだ、と。
長期に及んだ第二次安倍政権が終わった後、僕がずっと思っていたのは、あれだけたくさん問題や不祥事を起こした安倍晋三政権の責任をきちんと追及しなければ、そのことによって、むしろ終了後にこの政権が完成してしまうということだったんです。安倍政権が終わったいまだからこそ、我々はこの政権の責任を追及しなければならない。
ところが安倍晋三が殺害された際、国葬という話が出てきた。これを黙認するのであれば、安倍政権を、あれでよかったのだという形で完成させることになってしまうのではないか。僕が今回の国葬についてもっとも強く違和感というか反発の意識を感じたのはそこでした。だから安倍政権なるものの問題点をその開催の前にはっきりと示しておく必要があるだろうというのが、僕がもっとも強く感じていることです。
2013年、安倍晋三は憲法96条、すなわち憲法改正の手続きを定めている条文を変えようということを言い出していた。「憲法を国民の手に取り戻す」というまろやかな口実を持ち出していましたが、それが無理とわかるとそんなことは口にしなくなった。つまりもともと「憲法を国民の手に取り戻す」気などまったくなかったということです。
憲法そのものの改正が難しいとわかると、2014年には、それまでの政府による憲法解釈を単なる閣議決定で変更してしまうということを行った。その結果、集団的自衛権の一部行使が可能だと言い始めた。しかも、こうした解釈の変更ができるように、その前年には内閣法制局という由緒ある組織の先例と慣行を無視して、自分たちに都合のいい人物をその上官に任命するという、当時も禁じ手と呼ばれた手段に訴えていた。
2015年には、これは覚えていらっしゃる方もまだ多いと思いますけれども、多くの憲法学者、歴代の内閣法制局長官、最高裁判所判事経験者など、多くの専門家中の専門家がその違憲性を指摘する安保関連法案を、憲法解釈変更に基づいて国会に提出、成立させている。この時は世論の反対も大変強烈にありました。
社会全体のモラルを崩壊させた
安倍政権の特徴というのは何より、これまで政治や社会が積み上げてきた遺産というものに対する敬意の徹底した欠如にあったと思います。
さらには、選挙で選ばれた者がすべて決めていいんだという、ある種の民主主義の悪用。「選挙で選ばれた俺が全てを決めて何が悪い」という考え。これは裏を返すと、立憲主義の無視と言ってもいいかもしれません。立憲主義が、いかなる権力も制限されるという原理だとすれば、その原理は法の解釈や法の運用の積み重ねによって維持されてきているものですね。
この原理を無視する安倍政権のあり方とは、最初の特徴、すなわち政治がこれまでに積み上げてきた遺産に対する敬意の徹底した欠如というものと結局は同じです。やや乱暴な言い方をわざとすると、「先輩、知らんぷりしてれば何でもできますよ」という不良のような態度。これが安倍政権を貫いていたと思います。
そういう態度の政権ですから不祥事は数えきれません。森友学園の問題、加計学園の問題、「桜を見る会」の問題。特に森友学園の問題は文書の改ざんを指示された近畿財務局の男性職員の赤木さんが抗議文書を残して自殺するということまで起こっている。こういうことをすべて知らんぷりで通してきている。
「桜を見る会」の問題は領収書がないとか常識では考えられないことがまかり通ってしまった。我々は1円でも数字が間違ったらオフィスから帰れないような仕事をしていると思いますけれども、こんな杜撰なお金の管理がまかり通るということをまざまざと見せつけることで、この政権はまさしく社会全体のモラルを崩壊させたと言ってよいと思います。
安倍政権成立以後、僕が一生懸命に勉強したのがハンナ・アーレントという哲学者でした。安倍政権のことを理解するためには、ワイマール期というファシズムを用意した時代、そして20世紀初頭に現れた大衆社会を徹底的に分析したこの哲学者の思想を理解する必要があると考えたのです。
そのアーレントが「真理と政治」という論文の中でこういうことを言っています。「政治の領域はその権力の及ばない人々や制度の存在にかかっている」(『過去と未来の間』)。たとえば司法制度がそうです。たとえばジャーナリズムがそうです。たとえば学校制度がそうです。たとえばアカデミズムがそうです。そういった権力の及ばない人々の制度の存在によってこそ、政治というものの中で様々な討議が行われたり、やったりやっつけたりということが行われて、いろんなこと決まって政治が進んでいく。
それに対して安倍政権がやったことを見ると、重要な由緒ある役所の慣行を無視する。これまで積み重ねられてきた法文の解釈を無視する。公文書を改竄し、ある意味で近代官僚制の根幹部分にある文書主義を破壊する。さらには政治を批判的に検討するジャーナリズムやアカデミズムに対しても徹底的な攻撃をくわえる。そういった権力の及ばない人々や制度というものがなくなったら、政治そのものが自壊していってしまうとアーレントは言います。
安倍政権が破壊していたのは、まさしく、政治の外にあって政治を支えていた権力の及ばない人々や制度ではないでしょうか。特に僕はアカデミズムの中にいるものですから、当時気になっていたのは、安倍晋三が学者と称するテレビのコメンテーターと食事を重ねながら親密な関係を作り出して、そのコメンテーターたちが安倍晋三をテレビで擁護するということが繰り返されていた事実です。そういう形で行われる切り崩しにやすやすと負けていった自称学者たちもいた。
以上のことは絶対に「あれでよかった」とされてはならないことだと思います。特に僕は自分がアカデミズムの中にいますので、アカデミズムにおいて権力の及ばない人々や制度というものをしっかり守っていかなくてはいけないと思っています。もし政府による国葬儀というものが開催され、これに対して何も言わず、ただ黙認するということになれば、安倍政権の完成というものに手を貸すことになるだろうと僕は確信しています。安倍政権を完成させてはなりません。
(2022年9月19日、シンポジウム「国葬を考える」にて)
感想;
この記事を自公の議員さんは読んでどう思うのでしょう?
国葬賛成の人はどう思うのでしょう?
国葬には以下の2つがあります。
1)国葬の手続き
2)国葬に値する人かどうか
どちらも問題があったから、賛成の倍以上の人が反対だったのです。
記事にはない、詩織さん準強姦犯(民事)山口敬之氏逮捕停止は司法を根底から否定することでしたが、まかり通ってしまいました。
そして旧統一教会への安倍元首相の行為は”売国者”と言われても否定できない実績でした。
安倍首相の葬儀は終わっていて、国葬は岸田首相のパーフォーマンスのために、税金が数十億使われました。
きちんと検証することが必要なのでしょう。