・それはある児童用の書物で偶然発見したのだが、なんと、「お茶っ葉」が(水虫に)効くというのだ。
どういう了見で、お茶っ葉が水虫に効くのか、全く理解の範囲を超える方法だが、ワラにもすがる思いの私は早速実行に移った。
まず患部を軽石で洗い。少し血がにじむ程度に皮を薄くした。これは私の勝手な療法だが、この方がお茶のエキスが水虫菌に直接作用しやすそうだからである。次にお茶っ葉に集めの湯をかけ、ふやけたところをストッキングに入れ、患部を覆って床に就いた。
どうせこんな療法は、わが清水市の茶所ならではの迷信だろうと思い、たいした期待もせずに一夜は過ぎた。
ところが、一週間この方法を続けただけで私の水虫は完治した。
どれだけ狂喜したことか。これで私の人生も、やっと普通の幸せを求める権利が与えられたのだ。
それを見て慌てたのは姉である。姉は早速私の行為とその成果を医者に告げ口した。医者は「そんなバカな。アナタ、いくら此処(清水市)がお茶所だからって、そのような話は聞いた事がない」一笑に付したそうだ。
しかし、お茶パワーをリアルタイムで目撃した姉は、もはや密教のパワーを見せつけられた信者に等しい。
彼女も毎晩お茶っ葉を足に巻いて眠った。蒲団にはお茶の汁の跡が点々と沁みつき、水虫治療の悲しさを物語っていた。
数日後、姉の水虫も完治した。驚異である。私だけではなく、姉まで治ったとなると、もう紛れではない。
医者も水虫軟膏も、思いがけない伏兵の登場に敗れ去り、闇に葬られた。
・そこで、その創作意欲をそのまま私の本業である漫画にしてやろうと思い、『盲腸の朝』という作品を描いた。
漫画のネタには毎回悩まされるものなので、命がけであったものに、盲腸になってみて、良かったなァ・・・と近頃では盲腸の評価も高まっている。
こうしてみると、私の人生ムダだらけと思っていたが、ムダな事こそネタに使えて大切なものだと、恥ずかしながら我が人生に光明あり、の気配を感じている。
・五月下旬、またも居眠りをしている私を班の係長が呼び出し、「君はよく居眠りをしているが、何か夜の商売でもしているのかね」と、いやらしい目つきで詰問してきた。
私は内心ムッとしながら「はぁ、実は漫画を描いているものですから・・・」と気弱に答えると係長は「そんなもん、会社か漫画かどっちかにしろ」と言ったので、私はすかさず「そりゃ、漫画にします」と答えた。
こうして私の辞職はあっさり決まった。課長は「いやぁ、君は面白いから会社を辞めるのは残念だが仕方ないねェ」と最後まで色物担当の私に未練を残してくれた。
この二か月で私がやった事といえば、歓迎会で場をシラけさし、桜吹雪の中で漫談をし、パソコンを壊し、宛て名書きを間違え、封筒をムダにし、花見帰りのまんじゅうだけは、上司の分までもらって帰ったという呆れた事実だけである。
土屋賢二氏(御茶ノ水女子大学教授)と対談
・土屋 あの-、私は子供の頃から、「自分はダメな人間だ」と思って生きてきたんですけど、さくらさんは、自分がやったこととか、お母さんに言い返したこととかで、「ああ、悪いことをしたな」とか、何か一つでも反省したというゆおなご経験はないんでしょうか(笑)
さくら ないですねぇ(笑)。だって、私、怒られるようなことをしていないじゃないですか。万引きしたとか、家庭内暴力で家のものを壊したりとか、人にケガさせたりとか・・・。そういうふうに人に迷惑かれたのなら、怒られてもしかたないと思うし、反省もしますけど、そういうことは一切していませんから、怒られる筋合いのもんじゃないと子供の頃から思ってました。授業中に居眠りをしてたって、人に迷惑をかけていなし・・・。
土屋 授業中、先生の話を聞かなかったり、ぼんやりしていたら、これはいけないことなんだって思うわけですけど、さくらさんにとっては、決していけないことではない、と。
さくら いけないことだなんて、思っていませんでした。さて次は、寝るか、漫画を描くか、どっちにしようかな、とか、そんな感じでした(笑)。 だって、極悪の子もいたんですよ。暴れたり、人の物を盗んだり・・・。そういう行為に比べたら、寝たり、授業を聞かなかったりするのは、悪くないでしょう。ただ人間が起きて呼吸をするか、眠って息をしているかだけのことなんですから。
土屋 まあ、それはそうですけどね。ものすごく悪い子と比較すればそういうことになりますけど、もっといい生徒もいるでしょう。そういう子とは比べなかったんですか。
さくら 別だと思っていました。でも「ああ、偉いな、あの子たち」とは思っていましたけど、自分と比較することはありませんでした(笑)。なったら怒られないだろうなとは思いましたけど、そういう子になろうなんて気は、さらさらありませんでしたから。
土屋 さくらさんは何か努力しよという気もあまりなかったと言っていいわけですか。
さくら 努力しましたよ。漫画家になりたいから、高校三年生のときは毎月一本描いて投稿していましたから。夢中でやっていました。
土屋 それ、努力かなぁ。単に好きなことをやっていただけだと思うけど(笑)。
さくら たしかに、何かを我慢していたというわけじゃないですからね。我慢して何かをするということは、私、ほんとうに嫌いでしたね(笑)。
さくら 私だって、離婚の時は大変だったんですよ、なんやかんや大騒動でした。母なんか「なんで六十過ぎてこんな目にあわなければいけないんだ。戦争中の方が楽だった」なんて言ったりして(笑)。でも、それも過ぎてしまえば想い出の中に残らないようなつまらない出来事です。
土屋 説得力がありますね。いちいち。
さくら でも、こうやって、私が真剣に離婚の相談に乗ってあげても、いままで一人も離婚した人がいないのは、なぜでしょうかね(笑)
感想;
『もものかんづめ』は、漫画家・さくらももこによる初のエッセイで、初期三部作、または『もものかんづめ』三部作の第一作。1991年3月25日に集英社から刊行され、のちに2001年3月25日に集英社文庫により文庫化。文庫版には「巻末お楽しみ対談」と題した、さくらももことお茶の水女子大学教授(対談時での肩書き)・土屋賢二による対談が収録されている。
単行本・文庫版合わせて累計250万部を販売するベストセラーとなった。(ウイキペディアより)
面白い本です。
気分転換したい人にはお勧めです。
さくらももこさんのような考え方をしていると人生ももう少し気楽になるように思いました。
享年53歳 乳がんで亡くなられました(2018年)。
茶葉に含まれているカテキンなどが抗菌作用があり、水虫に効果があるようです。
『盲腸の朝』はちびまる子ちゃんのお話のなかでも傑作とネットに漫画を挙げている人がいました。
少し見ることができます。
どういう了見で、お茶っ葉が水虫に効くのか、全く理解の範囲を超える方法だが、ワラにもすがる思いの私は早速実行に移った。
まず患部を軽石で洗い。少し血がにじむ程度に皮を薄くした。これは私の勝手な療法だが、この方がお茶のエキスが水虫菌に直接作用しやすそうだからである。次にお茶っ葉に集めの湯をかけ、ふやけたところをストッキングに入れ、患部を覆って床に就いた。
どうせこんな療法は、わが清水市の茶所ならではの迷信だろうと思い、たいした期待もせずに一夜は過ぎた。
ところが、一週間この方法を続けただけで私の水虫は完治した。
どれだけ狂喜したことか。これで私の人生も、やっと普通の幸せを求める権利が与えられたのだ。
それを見て慌てたのは姉である。姉は早速私の行為とその成果を医者に告げ口した。医者は「そんなバカな。アナタ、いくら此処(清水市)がお茶所だからって、そのような話は聞いた事がない」一笑に付したそうだ。
しかし、お茶パワーをリアルタイムで目撃した姉は、もはや密教のパワーを見せつけられた信者に等しい。
彼女も毎晩お茶っ葉を足に巻いて眠った。蒲団にはお茶の汁の跡が点々と沁みつき、水虫治療の悲しさを物語っていた。
数日後、姉の水虫も完治した。驚異である。私だけではなく、姉まで治ったとなると、もう紛れではない。
医者も水虫軟膏も、思いがけない伏兵の登場に敗れ去り、闇に葬られた。
・そこで、その創作意欲をそのまま私の本業である漫画にしてやろうと思い、『盲腸の朝』という作品を描いた。
漫画のネタには毎回悩まされるものなので、命がけであったものに、盲腸になってみて、良かったなァ・・・と近頃では盲腸の評価も高まっている。
こうしてみると、私の人生ムダだらけと思っていたが、ムダな事こそネタに使えて大切なものだと、恥ずかしながら我が人生に光明あり、の気配を感じている。
・五月下旬、またも居眠りをしている私を班の係長が呼び出し、「君はよく居眠りをしているが、何か夜の商売でもしているのかね」と、いやらしい目つきで詰問してきた。
私は内心ムッとしながら「はぁ、実は漫画を描いているものですから・・・」と気弱に答えると係長は「そんなもん、会社か漫画かどっちかにしろ」と言ったので、私はすかさず「そりゃ、漫画にします」と答えた。
こうして私の辞職はあっさり決まった。課長は「いやぁ、君は面白いから会社を辞めるのは残念だが仕方ないねェ」と最後まで色物担当の私に未練を残してくれた。
この二か月で私がやった事といえば、歓迎会で場をシラけさし、桜吹雪の中で漫談をし、パソコンを壊し、宛て名書きを間違え、封筒をムダにし、花見帰りのまんじゅうだけは、上司の分までもらって帰ったという呆れた事実だけである。
土屋賢二氏(御茶ノ水女子大学教授)と対談
・土屋 あの-、私は子供の頃から、「自分はダメな人間だ」と思って生きてきたんですけど、さくらさんは、自分がやったこととか、お母さんに言い返したこととかで、「ああ、悪いことをしたな」とか、何か一つでも反省したというゆおなご経験はないんでしょうか(笑)
さくら ないですねぇ(笑)。だって、私、怒られるようなことをしていないじゃないですか。万引きしたとか、家庭内暴力で家のものを壊したりとか、人にケガさせたりとか・・・。そういうふうに人に迷惑かれたのなら、怒られてもしかたないと思うし、反省もしますけど、そういうことは一切していませんから、怒られる筋合いのもんじゃないと子供の頃から思ってました。授業中に居眠りをしてたって、人に迷惑をかけていなし・・・。
土屋 授業中、先生の話を聞かなかったり、ぼんやりしていたら、これはいけないことなんだって思うわけですけど、さくらさんにとっては、決していけないことではない、と。
さくら いけないことだなんて、思っていませんでした。さて次は、寝るか、漫画を描くか、どっちにしようかな、とか、そんな感じでした(笑)。 だって、極悪の子もいたんですよ。暴れたり、人の物を盗んだり・・・。そういう行為に比べたら、寝たり、授業を聞かなかったりするのは、悪くないでしょう。ただ人間が起きて呼吸をするか、眠って息をしているかだけのことなんですから。
土屋 まあ、それはそうですけどね。ものすごく悪い子と比較すればそういうことになりますけど、もっといい生徒もいるでしょう。そういう子とは比べなかったんですか。
さくら 別だと思っていました。でも「ああ、偉いな、あの子たち」とは思っていましたけど、自分と比較することはありませんでした(笑)。なったら怒られないだろうなとは思いましたけど、そういう子になろうなんて気は、さらさらありませんでしたから。
土屋 さくらさんは何か努力しよという気もあまりなかったと言っていいわけですか。
さくら 努力しましたよ。漫画家になりたいから、高校三年生のときは毎月一本描いて投稿していましたから。夢中でやっていました。
土屋 それ、努力かなぁ。単に好きなことをやっていただけだと思うけど(笑)。
さくら たしかに、何かを我慢していたというわけじゃないですからね。我慢して何かをするということは、私、ほんとうに嫌いでしたね(笑)。
さくら 私だって、離婚の時は大変だったんですよ、なんやかんや大騒動でした。母なんか「なんで六十過ぎてこんな目にあわなければいけないんだ。戦争中の方が楽だった」なんて言ったりして(笑)。でも、それも過ぎてしまえば想い出の中に残らないようなつまらない出来事です。
土屋 説得力がありますね。いちいち。
さくら でも、こうやって、私が真剣に離婚の相談に乗ってあげても、いままで一人も離婚した人がいないのは、なぜでしょうかね(笑)
感想;
『もものかんづめ』は、漫画家・さくらももこによる初のエッセイで、初期三部作、または『もものかんづめ』三部作の第一作。1991年3月25日に集英社から刊行され、のちに2001年3月25日に集英社文庫により文庫化。文庫版には「巻末お楽しみ対談」と題した、さくらももことお茶の水女子大学教授(対談時での肩書き)・土屋賢二による対談が収録されている。
単行本・文庫版合わせて累計250万部を販売するベストセラーとなった。(ウイキペディアより)
面白い本です。
気分転換したい人にはお勧めです。
さくらももこさんのような考え方をしていると人生ももう少し気楽になるように思いました。
享年53歳 乳がんで亡くなられました(2018年)。
茶葉に含まれているカテキンなどが抗菌作用があり、水虫に効果があるようです。
『盲腸の朝』はちびまる子ちゃんのお話のなかでも傑作とネットに漫画を挙げている人がいました。
少し見ることができます。