・3.11東日本大震災は、数えきれないほどの喪失をもたらしたが、その耐え難い悲しみの禍のなかから、心に沁みる一冊の絵本が生まれて。『ハナミズキのみち』が、それだ。
この絵本の文を書いた浅沼ミキ子さんは、プロの絵本作家ではない。・・・
健さん(25歳息子)の遺体が確認されたのは、十日後だった。浅沼さんのショックは大きかった。
浅沼さんは悲しみのどん底に落ち込み、「なぜあのとき、車に乗せて一緒に避難させなかったのか」「なぜ自分は生きているのか」と、自分を責める日々が続いた。眠れない夜、呼吸困難に陥ることさえあったという。
そんな歳月が過ぎるうちに、ある夜、健さんが夢枕に現れて、浅沼さんに語りかけた。
「みんなで話して決めたから、津波からの避難路にハナミズキを飢えてほしい」
そして、健さんは悔しさに満ちた叫び声をあげたが、そのあとで、静かな口調になり、
「泣いてばかりいないで、楽しいことを思い出して」
と言うと、消えていったという。
この時から浅沼さんの心に少しずつ前向きに生きようという気持ちが芽生えてきた。・・・
読み進むうちに、平安を願う穏やかな気持ちが全身に沁み渡り、心の中で手を合わせている自分に気づかされる。人は亡くなっても、魂はあとを生きる人の心の中で生き続ける。私は、あらためてそのことを確信した。
・もう一冊の『ロロとレレのほしのはな』は、津波や原発事故によって大変な境遇に置かれた子どもたちを支援しようという国際的な絵本作家たちと賛同者たちの活動から生まれた絵本だ。
・『うまれかわったヘラジカさん』
主人公のヘラジカさんは、何事につけ引っ込み思案だ。友達のクマとビーバーが、雨のなか水たまりでとびはねて遊び、風が吹くと凧あげをして遊び、雪が降るとスキーに夢中になるのを見ても、濡れるのが嫌い、強い風が嫌い、寒いのが嫌いと言って、遊びに加わらない。しょんぼりと立つヘラジカさんの目は、どことなく空ろだ。
「ぼくって、ほんとうに、このままで、いいのかな」
ある日、そう思ったヘラジカさんは、一生懸命考えたり、インターネットで検索したり、うらないをしたり・・・と、いろんなことをやってみるのだけれど、答えが見つからない。でも、ヘラジカさんは自身の決心がが、自分を変えるきっかけになる。
「なんにも、わからないなら、なんでも、やってみよう」
ヘラジカさんは、ヨットに乗って海に出る。やがて風が強くなり、ひどい嵐になる。ヘラジカさんは生まれてはじめて、嵐に立ち向かったのだ。気がつくと小さな島に打ち上げられていた。それからというもの、水を探し、たき木を集め、小屋を建て・・・と何でも一人でやっていく。そのうちに一匹のカメと出逢い、カメと一緒なら、できないと思っていたことさえできるようになる。生きるために、ともなく何かをしなければならなくなり、そのうちに心の通じ合う誰かと出逢うという、再生の構図だ。
長い年月が経ち、ヘラジカさんは通りかかった大きな客船に助けられ、クマたちのいる故郷に帰る。そして、あの臆病だったヘラジカさんが、「がけから、とびこんで、あそぼうか」と言って、クマたちを驚かせる。まさにこの絵本の対ロつにあるとおりに、ヘラジカさんは生まれ変わったのだ。
・『筑豊のこどもたち』は、記者は何を見なければならないか、その指針を与えてくれたと言えるほど、私にとって貴重な出会いだった。
・『いちりんの花』は、亡くなられた日本画家・平山郁夫氏の遺志を継いで、娘さんで詩人の平山弥生さんが文を書き、妻・平山美知子さんが絵を描いた作品だ。
この絵本は、ふたつの点で、平山郁夫氏の遺志にそって成り立っている。ひとつは、妻・美知子さんに宛てたメッセージだ。平山氏はある雑誌に寄せた文のなかで、「自分が死んだあとは、また絵を描いてほしい」という遺言とも取れる言葉を語っていた。編集者によると、美知子さんは、東京芸術大学の日本画家を首席で卒業したのに、平山氏と結婚してからは絵筆を断ち、ひたすら子育てと夫を支えることに専念してきた。そして、気がつけば、とうに八十歳を過ぎていた。しかし、平山氏が遺した言葉に気づくと、年齢のことなど気にせず、創作活動を始めたのだという。
平山氏のもうひとつの遺志とは、戦争の時代を過ごし、多くの先輩・友人が戦争の犠牲となった世代のひとりとして、戦争のない平和な世界を築くことを強く願っていたことだ。その遺志を言葉で表現したのが、弥生さんだった。聖書のマタイ伝の冒頭に似た地球の創世記ともいえるこの絵本の物語は、詩のような文体で、簡素に、しかし強い願望をこめて語られていく。
<それは むかしもむかし はるかなむかしのころ はじめは 天も地も わかれていませんでした>・・・
神さまは「握手」をすればわかりあえることを教えてくれたが、悲しいことに、あらそいが起こり、たくさんの人々が亡くなり、
花も草も木もなくなり、小鳥や動物たちもいなくなってしまう。それでもお日さまは大地を照らし、自然界のいのちを再生させてくれる。月はやすらぎををもたらし、たくさんの星たちが迷子にならないように案内してくれる。
<だから 私たちは 深い 深い悲しみから また 歩き出せるのでしょう>
こう結ぶこの絵本の最後に、弥生さんは、あとがきとして、<どうか心に咲いているみなさまそれぞれの花を、いつまでも、いつまでもたいせつに、育ててあげてください>と記す。
・私が東京の荒川区で、「家で絵本を読んでもらったり自分で読んだりして、感動したり楽しかったりしたら、柳田さんにそのことを伝える手紙を書こう」という運動をしていることについては、これまでに何度も紹介してきた。子どもの部と大人の部の二つの分野に分けて、毎年夏から秋にかけて募集しているのだが、毎回数百通の手紙が寄せられる。それらの一通一通が、絵本で語られる物語に自分を重ね合わせて、大事なことに気付いた経験を書いてくれるので、読んでいると感動の連続だ。
『あんなになかよしだったのに・・・』
<このえほんのたいせつなところは、けんかしたらあやまるんだよ。あいてのきもちをかんがえるんだよ。>
・子どもは叱られてばかりいると、どんどん自己肯定感をもてなくなり、粗暴になったり、逆に引きこもったりするなど、素直に自己表現をすることができなくなる。大人だって、人にほめられると悪い気はしない。子どもは、その何倍もの反応をする。子どもを見ていると、親の子への接しかたがわかると言われるが、それはたぶんほうんとうなのだろう。もちろんあまり定型的に考えすぎてはいけないのだが。
そのことを、心理学者が本格的にやさしく説いた絵本がある。九つのテーマについての『子どもの心理臨床』だ。そのなかの第四巻は、思いやりをなくして弱い者いじめをする子をテーマにしている。その絵本のタイトルは、『ふわふわころりんのプーミン(と、えっへん3兄弟)』・・・
このストレスフルの時代に、子どもたちも内面にいっぱい問題を抱えている。子どもの心を見つめると、実はそれは大人の問題であり、自分の問題であることに気づかされる。
・『てのひら』
作者の瀧村有子さんは、自らの育児体験を活かして、子どもが困ったときのお母さんの対処のしかたを、心憎いまでうまく表現している。
これに対し、『アルフィーのいえで』のお母さんは、孫悟空に対する三蔵法師に似て、幼いアルフィーを大きな包容力で一見なすがままにさせる。
・『ぼくはここにいる』、(彼の)これまでの作品以上に心を動かされ、《そうだったのか、彼(ピーター・レイノルズ)はそこまで深く子ども一人ひとりの個性というものを考え、分かり合うとはどういうことなのかについて思索を深めていたのか》とうなずいたのだった。
私たちは、相手が内面にどんな問題をかかえているのか、何か困難にぶつかっているのではないかなどと深く考えることもなくつき合っている。大した根拠もなく、相手は自分のことを理解していると思いこんだり、自分も相手のことを理解していると思って会話しているのが大半だろう。しかし、人が他者を理解するとは、そんなに簡単なことなのだろうか。『ぼくはここにいる』は、そういう人間理解の根源に触れる問題を語りかける絵本なのだ。
・アメリカの絵本『オーパルひとりぼっち』は、まさに幼い少女が辛い境遇のなかで、何を感じ何を考えていたかを、本人が書き留めていた断片的なメモをもとにして構成したノンフィクションの絵本だ。
オーパルはひとちぼっちでも、野の花や森の大きな木や動物たちと会話をし、その世界で悲しみでいっぱいの自分の心を支えているが、そういう感性と心の持ち方は、なく両親が元気だったことに幼いオーパルとそういう毎日を過ごしてきたなかで育まれたものに違いない。
目次
1.絵本は人生のパンセ
2.大変な時代の子どもの心
3.自然はいのちの湧き出る現場
4.大人に絵本を語っている私
絵本の読み方は、人生の経験を積むことによって変わっていき、深くなっていく、私自身がそうでした。
この年になてあらためて読んで見ると、深い意味がくみ取れる。
絵本というのは不思議な表現媒体だと思います。
1.「寄り添う心」の芽生え
2.悲しみからの再生
3.生きなおす力
4.いのちを守る勇気
5.子どもをまるごと愛する心を
感想;
絵本は子どもだけのものだと思っていました。
東京医科歯科大附属病院で”遊びのボランティア”(入院児と遊ぶ)をしたときに、たくさんの絵本を大人になってから子どもに読み聞かせながら自分も読みました。
絵本は素晴らしいなと思いました。
そして柳田邦男さんが「大人も絵本を読もう」の啓発をされていることを知りました。
良い絵本は心の栄養にもなるようです。
大人にこそ絵本を こころに深く響く新しい表現 ノンフィクション作家・柳田邦男さん
この絵本の文を書いた浅沼ミキ子さんは、プロの絵本作家ではない。・・・
健さん(25歳息子)の遺体が確認されたのは、十日後だった。浅沼さんのショックは大きかった。
浅沼さんは悲しみのどん底に落ち込み、「なぜあのとき、車に乗せて一緒に避難させなかったのか」「なぜ自分は生きているのか」と、自分を責める日々が続いた。眠れない夜、呼吸困難に陥ることさえあったという。
そんな歳月が過ぎるうちに、ある夜、健さんが夢枕に現れて、浅沼さんに語りかけた。
「みんなで話して決めたから、津波からの避難路にハナミズキを飢えてほしい」
そして、健さんは悔しさに満ちた叫び声をあげたが、そのあとで、静かな口調になり、
「泣いてばかりいないで、楽しいことを思い出して」
と言うと、消えていったという。
この時から浅沼さんの心に少しずつ前向きに生きようという気持ちが芽生えてきた。・・・
読み進むうちに、平安を願う穏やかな気持ちが全身に沁み渡り、心の中で手を合わせている自分に気づかされる。人は亡くなっても、魂はあとを生きる人の心の中で生き続ける。私は、あらためてそのことを確信した。
・もう一冊の『ロロとレレのほしのはな』は、津波や原発事故によって大変な境遇に置かれた子どもたちを支援しようという国際的な絵本作家たちと賛同者たちの活動から生まれた絵本だ。
・『うまれかわったヘラジカさん』
主人公のヘラジカさんは、何事につけ引っ込み思案だ。友達のクマとビーバーが、雨のなか水たまりでとびはねて遊び、風が吹くと凧あげをして遊び、雪が降るとスキーに夢中になるのを見ても、濡れるのが嫌い、強い風が嫌い、寒いのが嫌いと言って、遊びに加わらない。しょんぼりと立つヘラジカさんの目は、どことなく空ろだ。
「ぼくって、ほんとうに、このままで、いいのかな」
ある日、そう思ったヘラジカさんは、一生懸命考えたり、インターネットで検索したり、うらないをしたり・・・と、いろんなことをやってみるのだけれど、答えが見つからない。でも、ヘラジカさんは自身の決心がが、自分を変えるきっかけになる。
「なんにも、わからないなら、なんでも、やってみよう」
ヘラジカさんは、ヨットに乗って海に出る。やがて風が強くなり、ひどい嵐になる。ヘラジカさんは生まれてはじめて、嵐に立ち向かったのだ。気がつくと小さな島に打ち上げられていた。それからというもの、水を探し、たき木を集め、小屋を建て・・・と何でも一人でやっていく。そのうちに一匹のカメと出逢い、カメと一緒なら、できないと思っていたことさえできるようになる。生きるために、ともなく何かをしなければならなくなり、そのうちに心の通じ合う誰かと出逢うという、再生の構図だ。
長い年月が経ち、ヘラジカさんは通りかかった大きな客船に助けられ、クマたちのいる故郷に帰る。そして、あの臆病だったヘラジカさんが、「がけから、とびこんで、あそぼうか」と言って、クマたちを驚かせる。まさにこの絵本の対ロつにあるとおりに、ヘラジカさんは生まれ変わったのだ。
・『筑豊のこどもたち』は、記者は何を見なければならないか、その指針を与えてくれたと言えるほど、私にとって貴重な出会いだった。
・『いちりんの花』は、亡くなられた日本画家・平山郁夫氏の遺志を継いで、娘さんで詩人の平山弥生さんが文を書き、妻・平山美知子さんが絵を描いた作品だ。
この絵本は、ふたつの点で、平山郁夫氏の遺志にそって成り立っている。ひとつは、妻・美知子さんに宛てたメッセージだ。平山氏はある雑誌に寄せた文のなかで、「自分が死んだあとは、また絵を描いてほしい」という遺言とも取れる言葉を語っていた。編集者によると、美知子さんは、東京芸術大学の日本画家を首席で卒業したのに、平山氏と結婚してからは絵筆を断ち、ひたすら子育てと夫を支えることに専念してきた。そして、気がつけば、とうに八十歳を過ぎていた。しかし、平山氏が遺した言葉に気づくと、年齢のことなど気にせず、創作活動を始めたのだという。
平山氏のもうひとつの遺志とは、戦争の時代を過ごし、多くの先輩・友人が戦争の犠牲となった世代のひとりとして、戦争のない平和な世界を築くことを強く願っていたことだ。その遺志を言葉で表現したのが、弥生さんだった。聖書のマタイ伝の冒頭に似た地球の創世記ともいえるこの絵本の物語は、詩のような文体で、簡素に、しかし強い願望をこめて語られていく。
<それは むかしもむかし はるかなむかしのころ はじめは 天も地も わかれていませんでした>・・・
神さまは「握手」をすればわかりあえることを教えてくれたが、悲しいことに、あらそいが起こり、たくさんの人々が亡くなり、
花も草も木もなくなり、小鳥や動物たちもいなくなってしまう。それでもお日さまは大地を照らし、自然界のいのちを再生させてくれる。月はやすらぎををもたらし、たくさんの星たちが迷子にならないように案内してくれる。
<だから 私たちは 深い 深い悲しみから また 歩き出せるのでしょう>
こう結ぶこの絵本の最後に、弥生さんは、あとがきとして、<どうか心に咲いているみなさまそれぞれの花を、いつまでも、いつまでもたいせつに、育ててあげてください>と記す。
・私が東京の荒川区で、「家で絵本を読んでもらったり自分で読んだりして、感動したり楽しかったりしたら、柳田さんにそのことを伝える手紙を書こう」という運動をしていることについては、これまでに何度も紹介してきた。子どもの部と大人の部の二つの分野に分けて、毎年夏から秋にかけて募集しているのだが、毎回数百通の手紙が寄せられる。それらの一通一通が、絵本で語られる物語に自分を重ね合わせて、大事なことに気付いた経験を書いてくれるので、読んでいると感動の連続だ。
『あんなになかよしだったのに・・・』
<このえほんのたいせつなところは、けんかしたらあやまるんだよ。あいてのきもちをかんがえるんだよ。>
・子どもは叱られてばかりいると、どんどん自己肯定感をもてなくなり、粗暴になったり、逆に引きこもったりするなど、素直に自己表現をすることができなくなる。大人だって、人にほめられると悪い気はしない。子どもは、その何倍もの反応をする。子どもを見ていると、親の子への接しかたがわかると言われるが、それはたぶんほうんとうなのだろう。もちろんあまり定型的に考えすぎてはいけないのだが。
そのことを、心理学者が本格的にやさしく説いた絵本がある。九つのテーマについての『子どもの心理臨床』だ。そのなかの第四巻は、思いやりをなくして弱い者いじめをする子をテーマにしている。その絵本のタイトルは、『ふわふわころりんのプーミン(と、えっへん3兄弟)』・・・
このストレスフルの時代に、子どもたちも内面にいっぱい問題を抱えている。子どもの心を見つめると、実はそれは大人の問題であり、自分の問題であることに気づかされる。
・『てのひら』
作者の瀧村有子さんは、自らの育児体験を活かして、子どもが困ったときのお母さんの対処のしかたを、心憎いまでうまく表現している。
これに対し、『アルフィーのいえで』のお母さんは、孫悟空に対する三蔵法師に似て、幼いアルフィーを大きな包容力で一見なすがままにさせる。
・『ぼくはここにいる』、(彼の)これまでの作品以上に心を動かされ、《そうだったのか、彼(ピーター・レイノルズ)はそこまで深く子ども一人ひとりの個性というものを考え、分かり合うとはどういうことなのかについて思索を深めていたのか》とうなずいたのだった。
私たちは、相手が内面にどんな問題をかかえているのか、何か困難にぶつかっているのではないかなどと深く考えることもなくつき合っている。大した根拠もなく、相手は自分のことを理解していると思いこんだり、自分も相手のことを理解していると思って会話しているのが大半だろう。しかし、人が他者を理解するとは、そんなに簡単なことなのだろうか。『ぼくはここにいる』は、そういう人間理解の根源に触れる問題を語りかける絵本なのだ。
・アメリカの絵本『オーパルひとりぼっち』は、まさに幼い少女が辛い境遇のなかで、何を感じ何を考えていたかを、本人が書き留めていた断片的なメモをもとにして構成したノンフィクションの絵本だ。
オーパルはひとちぼっちでも、野の花や森の大きな木や動物たちと会話をし、その世界で悲しみでいっぱいの自分の心を支えているが、そういう感性と心の持ち方は、なく両親が元気だったことに幼いオーパルとそういう毎日を過ごしてきたなかで育まれたものに違いない。
目次
1.絵本は人生のパンセ
2.大変な時代の子どもの心
3.自然はいのちの湧き出る現場
4.大人に絵本を語っている私
絵本の読み方は、人生の経験を積むことによって変わっていき、深くなっていく、私自身がそうでした。
この年になてあらためて読んで見ると、深い意味がくみ取れる。
絵本というのは不思議な表現媒体だと思います。
1.「寄り添う心」の芽生え
2.悲しみからの再生
3.生きなおす力
4.いのちを守る勇気
5.子どもをまるごと愛する心を
感想;
絵本は子どもだけのものだと思っていました。
東京医科歯科大附属病院で”遊びのボランティア”(入院児と遊ぶ)をしたときに、たくさんの絵本を大人になってから子どもに読み聞かせながら自分も読みました。
絵本は素晴らしいなと思いました。
そして柳田邦男さんが「大人も絵本を読もう」の啓発をされていることを知りました。
良い絵本は心の栄養にもなるようです。
大人にこそ絵本を こころに深く響く新しい表現 ノンフィクション作家・柳田邦男さん