幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「たいのおかしら」さくらももこ著 ”十七年寝太郎”

2022-10-31 22:18:55 | 本の紹介
・あるマッサージ師のおばさんは、私をひと目見るなり「うちの娘に似ている」と言い出し、マッサージをする間中ずっと娘の話をしていた。おばさんは、娘に彼氏がいない事をとても心配している様であった。私に似ているという娘に彼氏がいない事をきかされた私は首筋を揉まれながら少しやるせない気分になった。

・『三年寝太郎』は怠けていた日々が三年であったからまだよい。私は17歳まで怠けていた。寝てこそいなかったが、起きて怠けていた分、ちらかしたりしたので寝太郎の方がまだましであった。
 生まれた時から17年間、親の手伝いなどした事がなかった。小学校を卒業するまでの十余年間、外で遊び狂い家に帰る頃には泥人形のようになっていた。家に帰ればご飯を食べて寝るだけである。
 小学生のうちはまだそれでも仕方ないと許されていた。子供は遊ぶものなのだ。しかし、中学校に入学したとたん母はうるさくなってきた。
 寝ころんで漫画を読みふけっている私にむかって「あんたねぇ。女の子なんだから、ちょっとはお母さんの仕事手伝ってちょうだい」と言うのだ。それを一日三回から五回言う。
 また、「勉強をしなさい」とも盛んになっていた。しかし私は手伝いも勉強もせず、毎日のんべんだらりと過ごし続けていたのだ。・・・
 母は怒っていた。私の顔を見るたびに「将来バカになっておわりだよ」という恐ろしいセリフを吐いていた。
 将来バカになっておわると言われてもまだ私は愚行を繰り返していた。そのころ『ドカベン』という水島新司先生による野球漫画が流行っており、私はその漫画にでてくる里中君という少年に熱を上げていたのだ。・・・
 私は(親戚のおばさんが「漫画だけど役に立つから」と言ってもらった)『ベルサイユのばら』全十巻を抱えて古本屋に直行した。『ベルサイユのばら』は一冊50円で引き取られ、合計500円の利益になった。その500円を握りしめ、その足で『ドカベン』の新品320円を一冊購入しに行ったのである。
 ベルサイユ10冊がドカベン1冊に変わっている事に気付いた母はカンカンに怒った。
「バカッ、なんであんなにいい本を売っちゃったのっ。あんたは正真正銘の大バカだ。もういい加減でドカベンはおよしっ」と怒鳴り、眩暈を催して床に伏してしまった。
 それでも私は反省など全くせず、これでいいのだと固く信じていた。ドカベンが全てである。母は怒っていればよいのだ。・・・
 そんなある年の夏休み、母の怒りは遂に爆発した。・・・
 母は私を呼び出し、とうかその腐った怠け心を入れかえてくれと。真顔で懇願し始めた。そして自分は戦争中は子供だったがこんなにも親の手伝いをしただとか、貧しかったが一生懸命生きていただとか、寒い日に大根を洗っただとか、数限りない苦労話をとくとくと語り始めたのである。
 私は”いつものことだ”と思い、真面目に話をきいていなかった。母が「お母さんの言う事がわかってくれたかね。これからはしっかり者になってちょうだい」と言ったので、私は「話をきけと言われたから一応きいただけだよ」と言ってまたゴロリと横になった。
 母は「クゥ」という絞り出す様なうなり声を小さく発し、鼻をすすりながら「こんな子供を産むんじゃなかった・・・あたしゃつわりもひどくて死にそうだったのに・・・命がけで産んだのに・・・情けないったらありゃしない」と言いながら泣いていた。
 私は不良になったわけでもなく、家で暴力をふるうわけでもなかったのに”怠け者”というだけで親を泣かせてしまったのだ。”怠け”が原因で親を泣かせた人の話など、自分以外にきいた事がない。
 親を泣かしてもまだ私は凝りていなかった。母の再三に亘る忠告も無視し続け、怠ける事に打ち込んでいた。
 夏休みの終わり頃、怒りが頂点に達した母の手により、とうとう『ドカベン』数十冊が二階の窓から下の空き地に投げ捨てられるという大惨事が起こった。私は泣きわめきながら散乱したドカベン数十冊を拾いに行った。父も姉も誰も私の味方をしてくれる者はいなかった。全部身から出たサビである。
 それから数年経ち、18歳から私は働き者になった。家の手伝いこそしなかったが、学校とバイトと漫画を描くのに精を出し、働き続けて今日に至る。
 あんなに怒っていた母も今ではすっかり優しい初老の婦人になり、「あんた少しは休んだ方がいいよ」と言いながら、御飯をつくりに通って来てくれている。
 私が17年間怠けていたのは、その後で働くために力を蓄えていたのだ。三年寝太郎の五倍以上働かなくてはならない。彼の五倍といったら大変だ。せめて三倍の怠けにしておけばよかったとやや思う。

・主人は意外な動転し、「実は、僕達夫婦は生まれてこのかた一度もおとし玉をあげるという経験をしたことがないのです」と、訥々と語り始めてしまった。
 「僕ら、子供の頃はあんなに楽しみにしていたのに、自分達があげる番になったら、あげる機会もなかったもので、すっかり忘れてしまっていて・・・フッ現金なものですよね・・・だから、今日初めておとし玉をあげる体験をする記念すべき日なのです。もらっていたのがあげる立場になり、こうして世代は替わってゆくのですね。だからもらって下さい」と言い、ギョッとしている知人を尻目にお嬢さんにおとし玉袋(おとし玉袋がなかったので封筒にさくらももこさんが鳥の絵を描いた)を熱く手渡していた。
 主人が俵万智だったら今日を『おとし玉記念日』として一首ひねっているところである。
 我々はおとし玉をあげた喜びにしばし酔い痴れ、大人になった事を噛みしめていた。そして来年こそは忘れずにおとし玉袋を用意しておこうと誓ったのである。

三谷幸喜さんとの対談
三谷 さくらさんはテレビの『ちびまるこちゃん』の脚本をご自分で書かれていたんですってね。
さくら ええ、毎週毎週、もういまはやってませんけど十年近くやってました。あれ、やっていると、すごく拘束されるんですよね。その間に漫画の連載があったり、エッセイの仕事があったり、もうてんてこまいでした。ちょっと書きだめしても、すぐに書かなければいけなくなっちゃうし。取材旅行なんかに行こうものなら、それこそ前もって、何週分の書いておかなければいけないでしょ。こんな人生、いつまで続くんだろう・・・と思ったら気が遠くなって「もうやめたい」って言ったんです。
三谷 絵を描く才能と脚本を書く才能とは別々だと思うんですけど、さくらさんは、両方できるっていうのが信じられない。
さくら 絵は私、うまくないですよ。三谷さんの前で脚本ならうまいですなんてことも言えないですけど。
三谷 でも、ほんと、それを聞いた時は驚いた。さくらももこさんがご自分で脚本を書いているって聞いた時は、まずウソだろうと思いましたから。・・・ 家事をやりながら、脚本書いて、絵を描いて、合い間に離婚までしたでしょ。すごいですよ。
さくら うちの前の夫が三谷さんみたいに、勝手にコンビニに行って、お弁当やサラダを買って食べて、〇〇がおいしいよ、新発売だよとか言ってくれたりするような優しい夫だった、離婚の苦労まではしなくてすんだんですけど。
三谷 忙しかったでしょうね。
さくら あの頃は、毎日三時間くらいしか寝てなかったですからね。離婚騒動の真っ最中は十日間、ほとんんど寝ずに食べものも食べませんでしたから、たぶん十キロ以上やせたと思います。いま思うと、よくくぐり抜けられたと思いますね。その最中も、脚本を三本書きました。必死でしたね。一本三十枚ぐらいの原稿を3~4時間で書きました。
三谷 エーッ! ちょっと待ってください。三十枚って四百字詰めで?
さくら ええ、ガーッと。しかも、一本ではなく、二本とか書くことはしょちゅうありましたよ。
三谷 じゃ、五百本は書いているわけですね。考えられない。よくストーリーが出て来ますよね。
さくら 自分の作ってる世界だから簡単なんです。話を作っているうちに、どんどん広がっていく感じですね。
 脚本は脚本家にまかせておけばいいって、皆に言われて、最初の内は脚本家さんの書いたものを手直ししていたんですね。そのうちに、手直しするより自分で書いた方が早いかも・・・と思って、自分で書くことにしたんです。
三谷 ああ、それはものすごい迷惑な原作者ですね。脚本家からみると(笑)。
さくら イヤな原作者だと思いますよ(笑)。でも、自分の創作の世界観を守りたかったです。若かったんですよ。 

感想
「もものかんづめ」さくら ももこ著 ”ちびまる子ちゃんの面白さとほっとするのがわかったように思いました”

「さるのこしかけ」さくらももこ著 “独特の人生観/普通でないのが普通なのかも”

さくらももこさんは、漫画、アニメだけでなく、このエッセイ三部作以外にも多くのエッセイを書かれています。

三年寝太郎の三年をはるかに超える、十七年寝太郎と

何かをなし遂げるには雌伏の時が必要とも言います。
ジャンプするには先ずはしゃがむ必要があるとも言います。
事を成すには準備や努力が必要です。
さくらももこさんはご自分で17年間がその期間だったと述べられています。

ご自分がやりたいことが見つかり、それからは必死に精一杯頑張られたように思いました。
親にしたら、我慢できないというか、見守ることは難しいですね。

今のその人を見るのではなく、その人の未来をみるようにと言われますが。
自分のことも今だけでなく、未来の自分を描くことが希望になり、日々の取り組みになるのでしょう。
それが、未来に今のことが生かされるのでしょう。

カンニング竹山 自民党の杉田水脈氏に「物議を醸した方は比例じゃなく小選挙区で出ると決めて」 ”国民に選ばれていない議員!”

2022-10-31 18:00:48 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/21c4f2c37687cfb0f88964f9b7f3b21d79de4f49 10/31(月) 16:21 東スポWEB カンニング竹山

 TBSラジオの「たまむすび」で31日、LGBTなどの性的少数者を「生産性がない」と表現した自民党の杉田水脈氏が、取り消しと謝罪に応じなかったことについて取り上げた。

 2018年7月発売の月刊誌に「生産性がない」と書き記した杉田氏は、27日の衆院総務委員会で杉田氏は「傷ついた方々が不快に思っていらっしゃることについては重く受け止めている」と話したが、取り消しと謝罪に応じない姿勢を見せた。

 この問題についてライターの望月優大氏が「一番の疑問は議員を続けてるってこともそうですし、自民党が彼女を認めているというか。しかも彼女は小選挙区じゃなくて比例なんで、党として送り込んでる」と指摘した。

 月曜レギュラーのカンニング竹山は「こういう方こそ国民の審判を問われなきゃいけないから、これは小選挙区で出さなきゃいけないと思う。でもそうじゃなくて比例でやっている。『比例も選挙だろ』って言われればその通りなんだけど、そしたらさらに比例で受かって政務官に抜擢するんだったら今こそ、そこの説明ですよ、総理っていう。やらないと誰も納得しないでしょ」とコメント。

 さらに「今後決めてほしいのは、ちょっと物議を醸した方は比例じゃなく小選挙区で出てほしい。だって国民が選んだ議員が代表でしょ? なのに比例も選んだことになるんですよ。この方を国民の何割くらいが今、国会議員として認めているのかっていうデータは間接的にしか分からないから」と訴えた。

感想
杉田氏は、27日の衆院総務委員会で杉田氏は「傷ついた方々が不快に思っていらっしゃることについては重く受け止めている」と話したが、取り消しと謝罪に応じない姿勢を見せた。

このコメントは、「不快に思っている方々がおられることはきちんと理解しているが、発言は取り消さない」ということです。
そうすると、不快に思わせていることを選択していることです。

選挙区から出て欲しいですね。
またこのような議員がいる場合は比例区は自民党に投票しないことなのでしょう。

「さるのこしかけ」さくらももこ著 “独特の人生観/普通でないのが普通なのかも”

2022-10-31 03:30:30 | 本の紹介
・私の様子を見た夫が「何かうれしいことでもあったのか」と尋ねるので私はやむをえず、「肛門が死ぬほど痛い(痔)」と打ち明けた。・・・
 夫の情報によれば、ぢにはどくだみの葉が効くという。・・・
 私はかつて水虫がお茶っ葉で治ったことを思い出していた。民間療法というものは、意外とあなどれないものである。
 その日の夜中、私はコソコソと近所の道端に生えているドクダミを採ってきた。四枚のドクダミの葉をよく揉み、青汁が出てきたところでトイレに入った。
 ドクダミの汁は肛門にしみ、私は三回位「ヒィィ」と声をあげて腰を浮かした。しかしこれで治ると思えば安いものだ。私は痛みをこらえてドクダミ三枚分を尻に詰め、何事もなかったような顔をしてトイレから出、眠りについた。
 よく朝、痛みはほとんどおさまっていた。驚くべき効果である。なんと役に立つ草が、この地球上のは存在しているんだろう。もうどんなに辛いものを食べても、太い便が出ても怖くない。ドクダミさえあれば肛門世界はパラダイスだ。

・遠藤周作先生から「あなたと対談したい」という申し込みをいただき、私はマヌケ面を引っさげてノコノコで書けることになった。・・・
 先生は「僕も、もう76ですからね」と言うので、私は驚き、「えっ、そ、そんなふうにはとても見えませんのに」と、すっとんきょうな声で答えた。
 そんなふうに見えないのは当然である。先生は当時66歳であった。つまり10歳もサバを読んでいたのだ。「5つは若く見えますね」などと言わなくて本当に良かった。このようにウソを言ってはニヤリと笑うのが遠藤先生なのである。・・・
 遠藤先生はその後、腰の痛みの治し方などを詳しく語り、「いい医者を知っているから明日の朝十時に私の家に電話をしなさい。おしえてあげよう」と言って主人に電話番号のメモを手渡していた。・・・
 翌朝、朝十時に電話をしろと言われていたため、本当は医者などどうでもよかったのだが、目覚まし時計までセットして、指示通りの時間に主人は起きた。そして、遠藤先生の手渡したメモを見ながらダイヤルを回すと、つながった場所は東京ガスの営業所であった。・・・トホホ。

・ぐうたらの極意
1)ごろんと寝転んでも体が痛くない状態
2)室内は、ヒトが一番活動に適している温度であること
3)空腹でぐうたらしてはいけない
4)あまり頭を使わなくても済むt頃な娯楽を道づれにする
5)電話のベルは鳴らないようにしておく
6)ぐうたらを開始する前に、必ず便所に行っておく
7)面倒な人物に面倒なことを言われない状態にしておく

・当時、私の描いた『ちびまる子ちゃん』の原作数は50話ぐらいであったため、毎週一本放送するとなると、原作は約1年で使い果たしてしまう計算になる。
 関係者一同「・・・一体この先はどうなってゆくんだろう」という不安を抱えながらTVアニメはスタートして。しかし心配はご無用であった。
 実は私は、「ちびまる子」のネタは、三年分ちゃんと計画を立てて表にしてあったのだ。

・今回、まる子についてこのエッセイの中に記しておきたいと思った理由は、私がアニメのまる子に対して中途半端な気持ちで取り組んだことは一度もなかったことと、大切だからこそ計画通りにTV番組は終了すること、そして自分の中に何か大変素晴らしいものが残ったということを、TV版まる子を応援してくださった皆様に報告しておこたかったからである。

・ある日、高校三年の秋の終わりに、友人の友人が「うちで柴犬の雑種が二匹生まれたが、貰い手がないので明日保健所に持ってゆく」と語っているのを聞き、私は思わず「それならせめて一匹でも私がひきとる」と名乗ってしまった。
 一匹の仔犬は賢そうな顔をしている。身もひきしまり、いい犬に育ちそうだ。しかし、もう一匹の仔犬は年寄り臭い顔をしており、あまり賢そうでもない。全くの駄犬である。
 一緒についてきた友人も、友人の友人も皆賢そうな方をすすめた。しかし、もし明日までに誰かもらい手が現れた場合、残っているのがこちらのマヌケ面だとしたら、きっともらうのをやめるであろう。賢そうな方を残しておいた方が、まだ生き延びる可能性がある。
 私はマヌケ面の方を選んだ。友人達は「まァ、好き好きだから・・・」と力なく笑い、マヌケ面のためにタオルとエサを分けてくれた。
 犬を抱いて帰った私は両親からそれはもう叱られた。・・・サッサとダンボール箱の中に仔犬を入れてエサを与え始めた。

・先日、私はついに「色気がなさすぎる」と夫から指摘された。
 私は「いいじゃん。別に」と言って、鼻クソをボリボリはじっていた。
 夫は「どうしてうちの妻だけこんなチョンチョコリンなんだろう。これじゃ毎日おさると暮しているようなもんだ」と言って嘆いている。
 おさると言われた私はうれしくなり、「ウキキッ」と部屋中走り回ってティーブルの上のバナナを掴み、部屋の隅に丸くなって座ってそれをムシャムシャ食べ始めた。
 夫は私が自分の話を真面目に聞かないことに腹を立て、「なんでいつも僕のパンツをはいているのだ」と、ついにそのことまで指摘してきた。
 私が夫のパンツをはき始めて、かれこれ三年が過ぎようとしている。三年前、夫のトランクスがあまりにもラクそうだったため、試しにはいてみたところ、やみつきになったのである。
 夫にパンツを指摘された私はウヘヘと笑い「いいじゃん。だってラクなんだもん」と言いながら、腰を浮かせてオナラをプーとした。
 私のオナラで夫はますますイラ立ち、「なんでスカートをはかないのだ。みんな26歳にもなったら女盛りでキレイじゃないか・ボディコンが似合う体になれ」と言っている。
 私はオシャレなんて興味がないのだ。昔は少しはシャレっ気もあったが、ここ数年そんなもの全くなくなってしまった。そんなもんより面白いことがたくさんあるからだ。

・「集英社の『りぼん』編集部ですが、おめでとうございます。デビューが決まりました」・・・
エレベーターに乗り、『りぼん』編集部に入る。吐き気がするほど緊張しながらドアを開けた。
 そして上ずった声で「こんにちはさくらももこと申します・・・」と言ったとたん、誰かが「なんだ、普通の人じゃないか」と、すっとんきょうな声を発した。どんな者であろうと思われていたのだろうか。・・・
 (偏執部の)山本さんは、最後に隅の机で何か書いている男を紹介した。「彼は、おたよりページを書いているあの”みーやん」です」その”みーやん”というアダ名で呼ばれる男はペコっと頭を下げ、ちょっと笑顔をし、また机に向かって何か書き始めていた。
 私は”みーやん”のお便りページが気にいっていたので、「ああ、あれが・・・」と思ったのだが、顔を確認するのも失礼なので、一瞬にしてどんあ顔か忘れ去った。・・・
 ”――あの日、私がずっと専属のボーイと勘違いしていた”みーやん”と数年後結婚することになり、この”唇斜め三十五度曲げ”のゴッド・ワタナベが仲人をすることになるなんて。たとえイタコがノストラダムスを読んで予言させたとしてもわかりっこない人間関係なのであった。

・飲尿が体にいいと噂になってからもう二年余り経っている。
 私も一回だけは前試したことがあったのだが「こんなことするくらいなら死んだ方がましだ」と思い、そのときはやめてしまった。
 しかしそれがしばらくして、夫が飲尿の本を買ってくるなり「ボクはやるぞ」と、いきりたっていたので、私は非常に驚き、あわててその本を読んでみた。
 本によれば「とにかく何にでも効く」というようなことが、いろいろな実例と共に列挙されており、ものすごく説得力がある。・・・ 効果がなかったらそれでもいいじゃないか、自分のオシッコではないか、飲もう飲もう。・・・
 私の場合は、飲んで一時間以内に体内の便が全部出る。・・・
 ジャンジャン便が出たあとは気分爽快。

・周防監督との対談
 私は、取材していてもメモとったことがないんですよ。写真を撮らなければいけない時でも、もうめんどくさくて。それで、夜、寝るでしょ。本当は、夜、寝る前に今日取材したことをメモかなんか書いておけば、後で原稿を書く時に楽なんでしょうけど、寝ようと思うと、躊躇なくグーッと本格的に寝られるんです。それで朝、スッキリと目覚めればいいんですけど、モタモタして起きられない。そうしているうちに、また取材になって、夜か来て・・・。

感想
「もものかんづめ」さくら ももこ著 ”ちびまる子ちゃんの面白さとほっとするのがわかったように思いました”

世間の常識や、いわゆる普通などと関係なく、自分の考えで生きることなのでしょう。
さくらももこさんは、それで生活もできる手段を手に入れられたのだと思います。
なかなかここまではできないですが、できることは自分の考えを優先することなのでしょう。
周りの人の言う/期待する人生を選択すると、それは自分の人生でなくなってしまいます。
さくらももこさんには、周りからどう思われているか、他者と比較することよりも、自分がやりたいことをやることが優先だったのでしょう。

「ちびまる子ちゃん」の登場人物は実在した人をモデルにされています。
多くの場合は事前に了解を取られているそうです。
でも中には、この人だったら了解を取らなくても大丈夫と思う人には取っていないとのことでした。

登場人物と実在はキャラクターを変えている場合もあるとのことです。
その代表が祖父のようです。
TVの祖父は、さくらももこさんの望む祖父像なのでしょう。