・スイスの分析心理学者のユングは、人生を前半と後半に分けて考えるべきだ、と主張した。
・・・この世に生きてゆくための土台をしっかりとつくる。しかし、人生の後半になると、そのように生きている自分が死を迎えるとはどういうことか、死すべき者としての自分の生きている「意味」は何か、などという深い問題と直面していかなくてはならない。
・『らくがきフルート』ダニエル・ピンクウォーター作
・私がお会いした人たちが、本当に気の毒としか言いようのない不運、不幸に見舞われてながら、確かに長い年月や不快苦しみを必要とはしたが、それぞれの個性の輝きを見出していかれたのには頭の下がる思いがする。もっとも飛び散る火花で、私の方は何度もやけどを負いそうになったが。
・『ライオンのしっぽ』工藤直子著
・『台所のマリアさま』ルーマー・ゴッデン作
・『学び その死と再生』佐藤学著
・『阪神・淡路大震災作文集』兵庫県教育委員会編
①県立兵庫高校三年生 森本米紀さんの文
「『当たり前』ほど、お金で買えない。明るい灯の下、湯気のたつ夕食を家族で囲む。いやな英語の小テストの勉強をして、お風呂に入って、ぐっすり寝る。電車に乗って、校門をくぐり、友だちに『おはよう』と言う。-そんな『当たり前』が、こんなに貴重で貴いなんて、そしてそれが、こんなにもろくて、はかないものだったなんて。ぜいたくな暮らしはお金で買える。でも今、私たちの『当たり前』はいくらお金を出しても手に入れられないのだ」
②県立東灘高校一年生、竹田幸代さんの文
「ずっと話したことなどなくて、怖そうだな人だと勝手に思っていた人が、実はすごくやさしくて、ということがあった。こんな地震はもう起きてほしくないけど、現代の日本人が忘れかけていた『やさしさ』を見直させてくれたようで、少し地震に感謝したい気持ちもある」
・ しりたいねん 谷口のり子(三年)
あたし
おとうちゃんと
おかあちゃんが
どうしてすきになった
しりたいねん
それから
みあいか れんあいか
しりたいねん
それから
どうして すきになったのに
けんかばっかりしてんのか
しりたいねん
・『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』
・人間が幸福であると感じるための条件としてはいろいろあるだろうが、私は最近、
▽将来に対して希望がもてる
▽自分を超える存在とつながっている、あるいは支えられていると感じることができる-
という二点が実に重要であると思うようになった。
・『ボクシングに賭ける』脇浜義明著
・生涯学習の『実験』は必ずしも幸福につながるとは限らない。実験である限り、成功も失敗もある。しかし、成功したり失敗したりを繰り返しつつ生きるのが人生ではなかろうか。幸福というのはそれにつきまとっている一種の副産物と考えておく方がいいだろう。
・『わが娘を愛せなかった大統領へ』パティ・デイビス著(レーガン大統領の娘)
・『生きにくいこどもたち カウンセリング日誌から』岩宮恵子著
・(スクール)カウンセラーと言っても専門的に訓練されている人はいいが、そうでもない」自称カウンセラー」の人が、逆に「お宅の子どもさんの〇〇は平均点以下ですよ」と重大そうに言って親を不安に陥れたりする。これはもってのほかのことである。相談するときも相手をえらばねならない。
・『しあわせ眼鏡』という題で、人間の幸せについていろいろな角度から直接、間接に関連するようなことを書かせていただいてきた。これも今回が最終回になるが、それにあたり、降伏ということが、どれほど素晴らしく、あるいは輝かしく見えるとしてもそれが深い悲しみによって支えられていない限り、浮ついたものでしかない、ということを強調したい。恐らく大切なのはそんな悲しみの方なのであろう。
感想;
お薦めの本です。
いろいろな本から引用されながら、”幸福”について考えさせ、そして河合隼雄さんの思う”幸福”を紹介されています。
人はつい他の人と比較して、自分にないものを見てしまいがちになります。
そして自分は不幸だなと感じます。
あるものは当然として、そこに感謝を忘れています。
その当然のあるものを失ってそれがどれほど大きかったかを気付きます。
他の人の体験や本から、今それを気付き、感謝の気持ちで行動できるか、もし行動できたらそれは幸せと呼ぶのでしょう。
もちろん、自分が幸せと思わなければ幸せではないです。
河合隼雄さんの言いたいもう一つは、幸せや感謝は、深い悲しみを背負っているからこそ感じることができるのではないかということだと思いました。
さらにもう一つは、何かに取り組んでいる、かけていることがあると、それが幸せだということのように思いました。なんでもよい、自分がかけていることがあるかないか。
本に紹介されていた本を何冊か図書館に予約しました。