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北村有樹子 2015年4月5日05時05分
寝たきりのベッドで詩を書き続ける女性がいる。東京都板橋区の堀江菜穂子(なおこ)さん(20)。脳性まひのため手足はほとんど動かない。わずかに動かせる手でつむいだ詩は約1200編。筆談の文字が訴える。「こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて」
右手に握る紙粘土に挿したペンが、B6サイズのノートの上をなでるように動く。2センチほどの文字が生まれる。ボランティアの女性(42)が、支えているノートを左にずらし、また次の1文字。
筆談も詩も同じノートに書いてきた。高校3年から使い始め、70冊になった。
「いまのつらさもかんどうも すべてはいきていてこそ どんなにつらいげんじつでも はりついていきる」(「いきていてこそ」)
母の真穂(まほ)さん(57)が出産時に危険な状態に陥り、菜穂子さんは重度の脳性まひに。体は動かず、言葉も話せない。居間に据えたベッドで、食事をすりつぶしてもらうなど両親の介助をうけて暮らす。
都立の特別支援学校に、母の送り迎えで小学部から通った。中学部のころ、筆談などを練習して生活力を身につける自主グループに両親が連れていってくれた。初めはスケッチブックに大きな1文字を書くのがやっとだった。
詩を書くことも、ここで覚えた。詩は、小さいころから母が読み聞かせてくれていた。
高等部のころ、周囲の人の会話の端々から、自分が何も考えていないように思われていると感じた。詩をたくさん作るようになった。「心をかいほうするためのしゅだんだった」。口にすることができないから、「なんども心のなかでよみつづける」という。
学校には突然亡くなる生徒もいた。昔から生と死を意識してきた。
「それがどんなにふじゆうだとしても わたしのかわりはだれもいないのだから わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる」(「せかいのなかで」)
いまは民間の障害者施設に通う。そこには様々な人がいる。家族や、2歳半のころから通ってくれるボランティアの女性の助けで、自分は筆談や詩作ができていると気づいた。
成人の日を前に、振り袖を着ることができた。障害者も着やすい和服づくりに取り組む人たちの協力だった。そうした人らの後押しもあり、詩集をまとめる準備も始まった。「こんなわたしでもいきていることをわかってもらうことがなやんでいる人のなにかのたすけになるのではないか」
もっと詩を作り、多くの人に読んでもらいたい。社会とつながりたい。
「そのドアをあけなければ けっしてみることのできないことがある いまそのドアをあけよう」(「ドアのむこう」)
真穂さんが1枚の写真を見せてくれた。振り袖姿の菜穂子さんがうれしそうに笑っていた。(北村有樹子)
◆ありがとうのし
いつもいっぱいありがとう
なかなかいえないけど
いつも心にあふれてる
いつもいえないありがとうが
いきばをうしなってたまっている
いいたくてもいえないありがとうのかたまりが
めにみえない力になって
あなたのしあわせになったらいいのにな
◆ドアのむこう
ドアのむこう
よくみえない
きっとわたしがまだみぬせかい
ドアをあけるゆうきはまだない
あたらしいものにちょうせんするのは
いつもこわいことだから
そのドアをあけなければ
けっしてみることのできないことがある
いまそのドアをあけよう
◆せかいのなかで
このひろいせかいのなかで
わたしはたったひとり
たくさんの人のなかで
わたしとおなじ人げんはひとりもいない
わたしはわたしだけ
それがどんなにふじゆうだとしても
わたしのかわりはだれもいないのだから
わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる
◆いきていてこそ
いまつらいのも
わたしがいきているしょうこだ
いきているから
つらさがわかる
しんでいったともだちは
もうにどと
ともにつらさをあじわえない
いまのつらさもかんどうも
すべてはいきていてこそ
どんなにつらいげんじつでも
はりついていきる
◆いしはとどくのか?
いしはあいてにとどくのか
いしはいつもあってもころされていて
あいてにはつたわらない
わたしのいしは
わたしのなかではうまれていきていたのに
たにんによってあっさりところされてしまう
いのちはころしてはいけないのに
いしはみなへいきでころす
◆こんどくるかぜにのって
こんどくるかぜにのって
がいこくへとぼう
みしらぬくにへとんでいこう
つぎにふくのはみなみかぜ
わたしはそれにのり
きたへはこばれる
きたのくにではゆるやかにかわがながれ
もりがおいしげっている
そのなかにひとりとびおりる
わたしはうたうかぜのうたを
そしてまたつぎのかぜがふくのをまつ
◆はるかぜのように
はるかぜのなか
わたしはうまれかわる
かぜがつれてきたむこうのくうきが
わたしの心をあらうから
はるかぜにあらわれて
わたしはさっきとはまったくべつのひとにうまれかわる
ふりむいたら
そばにいたあなたの心もあたらしくなっていた
やっぱりはるかぜはみんなにきくみたい
■「言葉理解している人、少なくない」
脳性まひは、母体内で胎児の脳に十分酸素が届かない状況が生じた場合などに起こる脳障害。四肢の障害や言語障害など、脳性まひによる障害の種類や程度は様々だ。発生率は1千人に2人程度とされる。
脳性まひの子どものリハビリに取り組む大阪発達総合療育センターの鈴木恒彦センター長は「重度の脳性まひで話ができなくても、言葉は理解している人が少なくない」と話す。ただ、筆談は手の動きのコントロールが難しく、できるようになる人は少ないという。
足の指など体の一部でも思い通りに動かせれば、パソコン入力ができる装置も開発されている。鈴木センター長は「家族や教育、福祉の関係者らが、意思疎通の潜在力の可能性について考えておくことが大切だ」と言う。
北村有樹子 2015年4月5日05時05分
寝たきりのベッドで詩を書き続ける女性がいる。東京都板橋区の堀江菜穂子(なおこ)さん(20)。脳性まひのため手足はほとんど動かない。わずかに動かせる手でつむいだ詩は約1200編。筆談の文字が訴える。「こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて」
右手に握る紙粘土に挿したペンが、B6サイズのノートの上をなでるように動く。2センチほどの文字が生まれる。ボランティアの女性(42)が、支えているノートを左にずらし、また次の1文字。
筆談も詩も同じノートに書いてきた。高校3年から使い始め、70冊になった。
「いまのつらさもかんどうも すべてはいきていてこそ どんなにつらいげんじつでも はりついていきる」(「いきていてこそ」)
母の真穂(まほ)さん(57)が出産時に危険な状態に陥り、菜穂子さんは重度の脳性まひに。体は動かず、言葉も話せない。居間に据えたベッドで、食事をすりつぶしてもらうなど両親の介助をうけて暮らす。
都立の特別支援学校に、母の送り迎えで小学部から通った。中学部のころ、筆談などを練習して生活力を身につける自主グループに両親が連れていってくれた。初めはスケッチブックに大きな1文字を書くのがやっとだった。
詩を書くことも、ここで覚えた。詩は、小さいころから母が読み聞かせてくれていた。
高等部のころ、周囲の人の会話の端々から、自分が何も考えていないように思われていると感じた。詩をたくさん作るようになった。「心をかいほうするためのしゅだんだった」。口にすることができないから、「なんども心のなかでよみつづける」という。
学校には突然亡くなる生徒もいた。昔から生と死を意識してきた。
「それがどんなにふじゆうだとしても わたしのかわりはだれもいないのだから わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる」(「せかいのなかで」)
いまは民間の障害者施設に通う。そこには様々な人がいる。家族や、2歳半のころから通ってくれるボランティアの女性の助けで、自分は筆談や詩作ができていると気づいた。
成人の日を前に、振り袖を着ることができた。障害者も着やすい和服づくりに取り組む人たちの協力だった。そうした人らの後押しもあり、詩集をまとめる準備も始まった。「こんなわたしでもいきていることをわかってもらうことがなやんでいる人のなにかのたすけになるのではないか」
もっと詩を作り、多くの人に読んでもらいたい。社会とつながりたい。
「そのドアをあけなければ けっしてみることのできないことがある いまそのドアをあけよう」(「ドアのむこう」)
真穂さんが1枚の写真を見せてくれた。振り袖姿の菜穂子さんがうれしそうに笑っていた。(北村有樹子)
◆ありがとうのし
いつもいっぱいありがとう
なかなかいえないけど
いつも心にあふれてる
いつもいえないありがとうが
いきばをうしなってたまっている
いいたくてもいえないありがとうのかたまりが
めにみえない力になって
あなたのしあわせになったらいいのにな
◆ドアのむこう
ドアのむこう
よくみえない
きっとわたしがまだみぬせかい
ドアをあけるゆうきはまだない
あたらしいものにちょうせんするのは
いつもこわいことだから
そのドアをあけなければ
けっしてみることのできないことがある
いまそのドアをあけよう
◆せかいのなかで
このひろいせかいのなかで
わたしはたったひとり
たくさんの人のなかで
わたしとおなじ人げんはひとりもいない
わたしはわたしだけ
それがどんなにふじゆうだとしても
わたしのかわりはだれもいないのだから
わたしはわたしのじんせいをどうどうといきる
◆いきていてこそ
いまつらいのも
わたしがいきているしょうこだ
いきているから
つらさがわかる
しんでいったともだちは
もうにどと
ともにつらさをあじわえない
いまのつらさもかんどうも
すべてはいきていてこそ
どんなにつらいげんじつでも
はりついていきる
◆いしはとどくのか?
いしはあいてにとどくのか
いしはいつもあってもころされていて
あいてにはつたわらない
わたしのいしは
わたしのなかではうまれていきていたのに
たにんによってあっさりところされてしまう
いのちはころしてはいけないのに
いしはみなへいきでころす
◆こんどくるかぜにのって
こんどくるかぜにのって
がいこくへとぼう
みしらぬくにへとんでいこう
つぎにふくのはみなみかぜ
わたしはそれにのり
きたへはこばれる
きたのくにではゆるやかにかわがながれ
もりがおいしげっている
そのなかにひとりとびおりる
わたしはうたうかぜのうたを
そしてまたつぎのかぜがふくのをまつ
◆はるかぜのように
はるかぜのなか
わたしはうまれかわる
かぜがつれてきたむこうのくうきが
わたしの心をあらうから
はるかぜにあらわれて
わたしはさっきとはまったくべつのひとにうまれかわる
ふりむいたら
そばにいたあなたの心もあたらしくなっていた
やっぱりはるかぜはみんなにきくみたい
■「言葉理解している人、少なくない」
脳性まひは、母体内で胎児の脳に十分酸素が届かない状況が生じた場合などに起こる脳障害。四肢の障害や言語障害など、脳性まひによる障害の種類や程度は様々だ。発生率は1千人に2人程度とされる。
脳性まひの子どものリハビリに取り組む大阪発達総合療育センターの鈴木恒彦センター長は「重度の脳性まひで話ができなくても、言葉は理解している人が少なくない」と話す。ただ、筆談は手の動きのコントロールが難しく、できるようになる人は少ないという。
足の指など体の一部でも思い通りに動かせれば、パソコン入力ができる装置も開発されている。鈴木センター長は「家族や教育、福祉の関係者らが、意思疎通の潜在力の可能性について考えておくことが大切だ」と言う。
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