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「安保法成立、日本の行方は? 長谷部氏・杉田氏が対談」 ”これからも対話を続ける”

2015-09-27 10:01:08 | 社会
http://digital.asahi.com/articles/ASH9V4WC6H9VUTFK009.html 2015年9月27日

 やまない「違憲」批判を押し切って、安倍政権は安全保障関連法を成立させた。この法制をめぐる論議から見えてきたものは何か。何が変わり、何が変わらなかったのか。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)の連続対談は今回、「安保法成立」後の社会と民主主義の行方を語り合ってもらった。

 杉田敦・法政大教授 新しい安保法制が成立しました。元最高裁長官や歴代の内閣法制局長官、多くの憲法学者や法律家らが違憲と指摘するなか、政治権力が押し切った。日本の立憲主義は壊れてしまったのでしょうか。

 長谷部恭男・早稲田大教授 少なくとも、集団的自衛権の行使は憲法上許されないという、9条解釈のコンセンサス(合意)は壊れていません。法律問題が生じた時、ほとんどは条文を読めば白黒の判断がつきますが、9条のように条文だけで結論を決められない問題が時々出てくる。その時、答えを決めるのは、長年議論を積み重ねた末に到達した「法律家共同体」のコンセンサスです。政治がどうあれ、ここは全く揺らいでいない。今後も、昨年の閣議決定は間違いだ、元に戻せと、あらゆる機会と手段を使って言い続けていくことになります。

 杉田 しかし推進側は、最高裁判決が出るまでは、法律家でなく政治家が答えを決めると主張しています。裁判になっても、最高裁は憲法判断を避けるだろうとタカをくくっているようです。

 長谷部 希望的観測ですね。法律家共同体のコンセンサスを甘く見過ぎていると思います。そもそも憲法は政治権力を縛るためにあるのだから、その意味内容を政治家が決めてよいはずがない。安倍政権の下、シビリアンコントロール(文民統制)どころかシビリアンの方が暴走しています。

 杉田 与党は今回、議会運営上の慣例を色々と壊し、野党の最後の抵抗手段としての質問時間さえ数の力で奪った。最終局面の大きな論点は、法制への賛否以前に、「こんなやり方が許されるのか」だったと思います。憲法は無視、専門家の意見も無視、議会の慣例も破壊する。これは、権力の暴走に歯止めをかけるという立憲主義の精神に反する「非立憲」です。「立憲」か「非立憲」か。これまで十分に可視化されていなかった日本社会の対立軸が、今回はからずも見えてきました。

 長谷部 そして予想以上に、日本には立憲主義者がいた。抗議デモに参加した人たちだけでなく、自民党支持者や、法制は必要だという人たちにも、憲法の重要性や、権力を縛る立憲主義の意義についての認識が広まった。安倍政権の「教育効果」は大きかったと言えます。

 杉田 非立憲主義者は、政策的に必要だと政治が判断すれば、法や慣例を破っても構わないとする。それも一つの立場だが、「あなたは非立憲主義だ」と自覚を促す必要があります。「右/左」「保守/革新」というものさしでははかれなかった関係が、「立憲/非立憲」ですっきり整理される。日本政治の見通しがずいぶん良くなります。

 長谷部 立憲主義者だけでなく、日本に多くの共和主義者がいたことも発見でした。デモに行くのは、選挙に行くよりはるかに時間とコストがかかる。それでも世のために、声をあげなければと思う個人がたくさんいた。自分の利害を脇において、公共の利益のために身を捧げる。まさに共和主義です。組織や団体の動員ではなく、自分の判断で動いているから、今後も声は上がり続けるでしょう。日本の希望だと思います。

 杉田 民意は選挙の際に表明すべきで、デモは「雑音」だといわんばかりの論が一部メディアやネット上にあふれていますが、なぜ二者択一なのか不思議です。選挙がある国では、当たり前にデモもある。デモができない国は選挙も許されない国です。本当はデモの効力を知っているから、「意味がない」と言っているのかもしれませんが。

 長谷部 民主主義は、選挙で選ばれたプロの政治家による審議や決定にとどまらない。プロの政治家の行動が主権者の意思と離れた時に、抗議するデモや集会。プロの審議に新たな材料を提供したり、別の方向性を示したりして補完するマスメディアや知識人の働き。そんな様々な「カウンターデモクラシー」の要素を含んだものが民主主義です。

 杉田 「カウンターデモクラシー」だけでなく、野党の役割や存在意義についての認識も、日本ではあまり深まっていないのではないか。野党の第一の役割は、政権与党の政策の監視です。目的があいまいで違憲の疑いが強い法案には、撤回を迫るのが当然でしょう。ところが、野党の対応には批判が多い。

 長谷部 多数派の都合で全てを決するなら、そもそも議会政治というゲームは成り立たない。弱小勢力も含め、全てのプレーヤーがゲームへの参加に意義を見いだすことができて初めて、議会政治というゲームは続く。選挙で勝った与党に文句を言うのはおかしいと言わんばかりの批判は選挙の意義の過大評価です。

 杉田 そもそも国の存立にかかわる安全保障の問題については、国民的合意が不可欠です。与党は本来、超党派的な合意が可能な、しっかりとした案を出すべきでしたし、これだけ批判を受けたら、やり直すべきでした。

 長谷部 自衛隊という実力部隊を戦地に赴かせるのだから、全政党のコンセンサスを得るのが基本です。

 杉田 しかし、こういう議論に対しては「日本にはもう、ぐずぐず議論している時間はないのだ」という批判が飛んできます。野党や学者のやっていることは単なる遅延行為だと。

 長谷部 権力は暴走しているんじゃない。全速力で走っているだけだ。なぜその邪魔をするのかと。

 杉田 中国が台頭する一方、日本は人口が減り、経済力も下がっている。そのことへの不安と焦りから、人々が非立憲的な方向に押し流されている面もあるのでは。安保法制への世論の反対は強いのに、内閣支持率の低下に必ずしもつながらない背景にも、こうした心理がありそうです。

 長谷部 しかし日本は、世界有数の平和で安全な国です。何をそんなに焦ったり不安がったりする必要があるのか。テストですでに90点を取っているのだから、下手に新しいことに手を出すより、これまで通りのやり方で現状維持をはかった方が賢明です。

 杉田 非立憲主義は、ある種の功利主義とも相性がいい。「最大多数の最大幸福」のために、弱者や少数派の意見は切り捨てるべきだと。沖縄の基地問題についても、本土の冷淡な世論が、政権の対応を支えています。自分は強者の側、多数派の側にいると思っている人たちにとっては、分断・対決型の安倍晋三首相の政治手法も、好ましく映るのかもしれません。

 長谷部 安保法制の必要性を説く人たちは具体的な必要性を論証しようとしない。中国が怖い、北朝鮮も怖い、だから軍事的オプションを増やさなければならない、としか言えていない。これは安全保障論ではなく「安心保障論」。不安そのものをなくそうとしてもきりがありません。

 杉田 「必要は法を破る」とばかりに法的安定性をないがしろにしていると、安全な側にいたはずの人たちにも、いつ矛先が向けられるかわかりません。非立憲主義者には、そのリスクをぜひ考えてもらいたいものです。=敬称略

視点

 政治というアリーナで闘うためには、自分が何者かという自覚と、相手が何者であるかの認識、いわば「ユニホーム」が必要だ。これまでも、政党名や、「右/左」という漠然としたものはあったが、安保法制の審議を経て、新たに見いだされたのが「立憲/非立憲」だ。

 その時々にうまくユニホームを選び、常に主導権を握ってきた安倍政権。それに抗する側は、先に「立憲」のユニホームを着てアリーナに立つことができるか。小異を捨てて、対立軸を明確に示すことができるのか。そのことがいま、問われている。(高橋純子)

感想;
集団自衛権について、法案は成立しました。
それで終わりではなく、これからも考え続けることが重要なのだと思います。
大切なことは”今何をするか”。そのためには、両方の考え方を知りながら、話し合っていくことが必要なのだと思います。対話の議題に上げ続ける。

安部首相が行って来たこと
1)秘密保護法成立
2)イスラム国に敵対する国を支援すると言って、人質見殺し
3)武器輸出
4)NHK放送の政府寄りへ
5)安保関連法案成立
安部首相が目指している日本の姿が、国民に何も知らせない、海外で武力行為など考えると第二次世界大戦の日本の姿と重なって来ます。
そんな日本を望むのか。安倍首相はまた経済をトップに持って来て、国民の目を違う方向に向かわそうとしています。株価アップに年金資金を投入にして上げています。株価が下がれば年金がさらに欠乏するリスクがあります。きっとこれは将来問題になるでしょう。

安部首相が本腰を入れて行わないこと
1)福島第一原発の処理
2)引きこもりなど若者就労支援(1/3が非正規労働)
3)シングルマザーの貧困対策(6割が年収200万円以下)/貧困の連鎖

どう考えても、日本の将来の安全対策に手を付けずに、今急いでしなくてもよい、日本を戦争リスクにさらすことを優先されているように思えてなりません。

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