幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「大きらいなやつがいる君のためのリベンジマニュアル」豊島ミホ著 ”リベンジをどう果たすか?”

2021-04-28 02:35:00 | 本の紹介
・高校時代に「絶対復讐してやる!」と思うほど他人を憎み、それを引きずって長い時間を過ごした人間のひとりです。高校で保健室登校を経験し補修を受けてギリギリ卒業、一年の浪人期間を挟んで東京の私立大学(早稲田大学第二文学部)に進学。在学中に小説の新人賞(「女による女のためのR-18文学賞」)をもらって、小説を書きながら何事もなく大学を卒業、その後専業作家として四年ほど活動しました。そしてもう一度大きな挫折を経験し、田舎に戻ってニートをやること三年、三十歳目前で再上京を果たし、今はフリーのライターとして活動しています。「憎しみ」を引きずった期間は、高校卒業から作家業の挫折、そしてニート生活前半の総計十年くらいでしょうか。

・優しい保健室の先生。保健の先生は、二時間目、三時間目と留まり続ける私を、仮病だとか、そろそろ行けとか言って追い出すことはありませんでした。追い出されてしぶしぶ授業に出るタイプの常連もいたので、多分先生はよく生徒を見てくれていたのだと思います。

・「私は授業をサボっている」「人生の、こんな初期段階で脱落して甘えている」「こんなんじゃ、会社に入っても、同じことを繰り返すだけ」「大人になったらこんな風に守ってくれる場所はない」「ただ稼げなくて、食えなくて、死ぬだけ」そんなことが頭をグルグルします。結局私は脱落者。もうまっとうな道を外れかかっている。人生の脱落者だ。そんな不安がいつも頭の奥に居座っているのでした。

・結局、(先生との)面談が終わる時に出た結論はこのようなものでした。
「いいから教室に来なさい。何も考えないで、黙って座っているだけでいいから」
それが、私の不登校に対し学校サイドが与えた、唯一の論理的解決策でした。

・親にバレたきっかけは、通知表の欠課時数欄だったか、怒られなかったし、踏み込んで話を聞かれたりもしなかったように思います。親もきっと、私と同じように、怖かったのではないでしょうか。

・しかし、いじめや蔑みの程度にかかわらず、多くのケースに共通することがひとつあると思います。それは、あくまでも傷ついた側の人間が、環境への「適応」を求めらる。
気にしなければいいのよ。頑張って学校に来なさい。それが自分のためになるって、わかるでしょう・・・。このような言葉はすべて、私たちに「環境への適応」と求めています。

・授業を休みすぎて、みんなと同じ日に卒業できなかったから。大学受験に必要な「卒業見込み」を受験シーズンまでに獲得できなかった私は、一切の大学受験をすることができませんでした。

・他人と仲良くなろうなんて最初から思わない。自分から人に声かけない。何も期待しない。「空気」化そうがなんだろうが、その事態に傷つかない。それが、私の人生で一番大事なことであるように思われました。

・私が高校生活で失った一番大きなものは「自信」でした。

・私の学生生活をいい方向に持って行く「自信」にならなかったでしょう? 理由は単純で、こ一冊目の本が、まったく売れなかったからです。

・もう高校時代なんて遠いのに、私はいつも、「あいつら」の影をにらんでいました。
「絶対に見返してやる!」
「誰もがぐうの音も出せないような小説を書いてやる!」

・私の小説は。人にほめてもらいたい小説で、それがかなわないから、全部ぶちこわして逃げ出してしまった。

・「彼女について」よしもとばなな著
読み始めると間もなく、またぼろぼろと涙がこぼれ始めました。

・新しいルール
1)「誰かのルール」に乗っからないこと、認められるとか認められないとか、そういうことに自分の行動の基礎を置かないこと。
2)自分がやりたいことを素直に、それからもう少し根気強くやること。

・新しい後悔
私が「自分を嫌いな人」にばかり目を向けて、「自分の傍に居てくれる人」にはまったく気を配っていなかったかな・・・ということです。

・でも一緒に居てくれるだけでも、なんだかもっと、信じればよかった。友だちと一緒にいる間は楽しい、ということを、こころの中でクローズアップできればよかったなと、今になって本当に後悔しています。

・「自分ルール」で生きていくしかない!

・今はマンガ家さんたちにロングインタビューをさせてもらっています。

・会社は、みんなで頑張って、利益を出し、お給料をもらう場所です。学校というのは、実はかなり特殊な世間でしかなく、実は大人の「社会」と同等の場所ではありません。

・「ヤナやつ」対策のポイント
1) 自分にとって有害なやつは「自分にとって有害なやつ」以上でも以下でもないと考える。
2) なぜ害されたか、心の中で分析しそうになったら止める。
3) 悲しければ泣く。つらいと言える相手がいたら言う。
4) 相手を変えようと思わない。相手と自分との接点だけを切る。

・「相手が悪い、悪いやつからは全力で逃げろ」

・「私のルールとあなたのルールは関係ない」。自信を持ってそう言い切るためには、周りを、自分を、信頼していることが大事です。

・自信なんて、無条件で持っていていいのです。誰でも自分が大事、自分の判断が大事、でいいい。

・「君の幸せだけが、君に起きたいろんなことに対する復讐なんだ。」

感想
きっといじめた側はいじめたと思っていないのでしょう。
暴力的ないじめではなかったそうです。
でもいじめられた方は、それで教室に行けなくなりました。
高校卒業後もずーっとその影響に苦しめられていました。

著者は漫画家になりたかったのですが、何度も挑戦しましたが漫画家にはなれませんでした。
でも、今好きな漫画を描いている人にインタビューするという幸せな仕事に辿り着いているそうです。

『底辺女子高生』『檸檬のころ』を読んでみたいと思いました。
多くの本を出されています。
約30冊そして、そのほか共著も10冊ほど。
すごいエネルギーです。
高校自体のいじめられ体験とそれに対するリベンジの思いをエネルギーにかえられたのでしょう。
ただ、これだけ書いていても作家としてやりつづけることは難しいのだと思いました。


「自分で決められる人になる! 超訳こども アドラーの言葉」斉藤孝著 "わかりやすい、アドラー心理学”

2021-04-27 02:27:02 | 本の紹介
・「こどもアドラー」5つのポイント
1) すべては自分しだい
幸せな人生を作るのはきみ自身なんだよ!
2) チャレンジし続ける
  勇気を出して、課題に立ち向かおう!
3) 過去の失敗は関係ない
前も失敗したからといって、次も失敗するとはかぎらない!
4) しっかりと前を向く
未来は今から変えられる、前を向いて歩きだそう!
5) 人と協力しあう
  人と助けあえたら、どんなことだってできる!

・「自分には限界がある」と思うと、成長できない!

・勇気! 自信! リラックス!
 この3つがあればどんなことも乗りこえられる!

・よい方法と練習によって、あらゆる人があらゆることをなし遂げることができる!

・劣等感を持つのは、向上したいと思っているからこそ。勇気があれば、劣等感は克服できる!

・弱点は強みに変えられる!

・どんな経験も意味を決めるのは自分!

・物事の見かたは、自分が「変えたい」と思えば変えられる!

・親からどんな特徴をうけついだかよりも、その特徴を使いこなす方が大事!

・人生の意味を決めるのは自分自身!

・1つのことに自信が持てたら、ほかのこともやる気が起きる!

・やるべきことがあったら、ほかの人がやるかどうかは関係なく、まず自分から始める!

・協力する気持ちがあれば、どんなこともうまくいく!

・人は、一人では生きていけない。だから、人の気持ちを理解することが大事!

・生きるうえで、大切なことは、人や社会に貢献することである!

・人生における大きな課題は、友人、仕事、愛の3つである!

・目標に向かって努力した先に、未来が広がっている!

・きみはこの世に一人しかいない。まったく同じ人は存在しない!

・失敗をおそれる必要はない! 失敗したら次に失敗しないようにすればいいのだ!

・今生きているこの世界に自分の「居場所」があると思えたら、心から安心できる!

感想
個人心理学/アドラー心理学(アルフレッド・アドラー)

子どもの本でもとてもよく説明されていると思います。
とても分かりやすかったです。
この本を読んでから、アドラー心理学の本を読むとより理解できるように思います。

「明治の女子留学生 最初に海を渡った五人の少女」寺沢龍著 "帰国後、日本語を忘れていて、文部省から仕事の依頼がなかった!”

2021-04-26 01:12:00 | 本の紹介
・津田梅子(六歳)、永井繁子(十歳)、山川捨松(十一歳)、吉益亮子(十四歳)、上田悌子(十六歳)である。その身元はいずれも幕末維新の戦いで賊軍とされて幕臣や佐幕藩家臣の子女たちであり、官軍と称した側には一人の応募者もあらわれなかった。幼い五人の少女たちの応募は、もちろん彼女たちの意思ではなく、その親たちにそれぞれの思いのこもった決断があったのである。

・岩倉使節団には、男子53人、女子5人というおおぜいの留学生が同行した。

・吉益亮子は大陸横断の途中に雪で眼を傷めたため、・・・、彼女を帰国させることに決まった。上田悌子もおなじく病を負っていたらしく、自ら願って帰国を申し出ていたのである。
亮子と悌子の二人は帰国することになる。・・・日本を発ってからほぼ一年が過ぎていた。

・女子留学生の米国派遣を発案したのはだれか
この疑問を追っていくと、二人の人物に行き当る。ともに薩摩藩出身の黒田清隆と森有礼である。

・なぜ、海外への女子留学生に「幼稚」の女子を対象としたのであろうか。その理由については、十年間という長期の留学期間にかかわりがあるのではないか。帰国後の婚期を考慮すると、娘を留学させる親の立場としてためらいがあろうから、募集者の年齢を極力低く制限せざるをえない事情が生じたのであろう。当時の女性の一般的な結婚年齢は、数え年の15、16歳から18、19歳ころである。

・この留学はなぜ十年もの長期の期間が必要だったのか。このことについてもそれを説明する資料は遺っていない。

・先に帰国した吉益亮子はコレラで死亡
吉益亮子と上田悌子の二人は、ミッション・ホーム(横浜共立学園)に入学した。二人とも多少、英語を話せたので米人女教師の受けはよかったようである。
明治18年に、父親の吉益正雄は、28歳の娘の亮子を校長とする私塾「女子英学教授所」を東京・京橋区南鍋町(現在の銀座6丁目)に開校したが、翌年の秋に、亮子は当時大流行したコレラに罹って亡くなった。

・悌子はこのとき25歳だったが、蘭医師の桂川甫真の長男・甫純に嫁いでいた。妻の悌子は二人の間に男二人、女四人の子どもをもうけている。悌子は昭和14年1月7日に没した。享年85歳である。五人の留学生のなかではもっとも長命であった。

・日本に帰国するとき、彼女たちがもっとも心配したのは、自分たちが日本語を忘れてしまっていることだった。梅子の場合は、日本に育ったのは7年足らずで、まだ子供言葉の時代であり、日本語を話す機会をなくしている。日本に帰ってから、日本語の習得にずいぶん苦労して努力もしたが、梅子の日本語は終生、外国人風の発音だったという。・・・このために、彼女は日本での後半生に大きなハンディキャップを背負うことになった。

・津田塾大学の屋根裏で発見された梅子の500通の手紙
津田梅子がランマン家(留学中お世話になった家庭)の婦人のアデリンに宛てた30年近くに渡る500通ほどの肉筆の手紙と、ランマン夫人が梅子に宛てた百数十通の書簡が発見された。梅子の没後すでに55年の歳月が過ぎており、その間、大学関係者のだれにも知られずに、大量の貴重な資料が屋根裏に眠っていたのである。

・帰国しても仕事がなくて悩む捨松と梅子
黒田清隆邸訪問から数日後に、捨松と梅子は文部省を訪ね、自分たちの仕事のことを相談したようである。その後しばらくのあいだ、文部省からの連絡を待ったが、結局、なんの沙汰もなかった。
捨松と梅子は、官費留学生として帰国した自分たちがいま、むつかしい立場と状況にあることを覚って悩んだ。

・繁子は、梅子たちよりも1年早くに帰国し、文部省直轄の「音楽取調掛」の「洋琴奏師」に採用され、年防360円の高給を受けることになった。繁子は、アメリカで初めて洋琴(ピアノ)を知り、興味を抱いたことからこの道に進んだのだが、結果として彼女の留学での成果に専門性が備わり、捨松や梅子ともちがって文部省からの声もかかったのである。当時、正規にピアノを弾ける日本人はいなかった。繁子は日本語が不自由であったが、ピアノ演奏の技法の指導には言葉よりも手指の運びの実技が優先されたので、洋琴奏師を務めることができた。
(海軍中尉・瓜生外吉と結婚)

・捨松の心境の変化と結婚の決意(大山巌の後妻として)
「現在のところ、私が就職できるような仕事はまったくありません。教えることだけが今の日本が必要としていることではないと思います。いま一番やらなければならないのは、社会の現状を変えることなのです。日本ではそれは、結婚した女性だけが出来ることなのです。」

・梅子は、桃夭女塾(伊藤博文の支援で下田歌子が開いた)で生徒と下田歌子(実践女子大学創立者)に英語を教え、歌子から国語と習字を習った。

・鹿鳴館で催された日本最初の慈善バザー
「有志共立東京病院」(のちの「東京慈恵会医院」)内に日本最初の看護師養成所を設立するために、その資金を集める手段として西洋流のバザーを思いついたのである。捨松が実質上の準備責任者とされた。捨松が目標とした千円をはるかに超える7,865円の売り上げを手にした。

・宮内庁所管の官立「華族女学校」の教授補として採用され、中学科の欧語学(英語・仏語)の英語を担当した。「明治女学校」にも、梅子は英語教師として兼務することになった。

・津田梅子はふたたび米国への留学を目指す
やはり自分で学校を開かなければとの思いがつよくなった。よりより学校をつくるためには、梅子は自身が高等教育を修めることと、よりよく教えるためには師範学校教育を履修する必要があると考えた。

・梅子は米国に再留学3年、生物学と教育・教授法を学ぶ

・音楽教師の職と夫への内助と子育ての三役をこなす繁子

・津田梅子は三度目のアメリカ渡航

・梅子の学校設立の決意とその資金づくりの苦心

・米国で梅子の支援組織が結成されアリスが再来日

・津田梅子は「女子英学塾」を創立する

感想
明治初期に女性5人をそれも幼い子どもを10年の長期にわたって留学させたのもすごいと思いました。
山川捨松は当時、女性は結婚しないと活動ができないとの思いで、二度も結婚を申し込んでくれた大山巌と結婚し、女性の地位活動に貢献しました。
そして、津田梅子を支えて、女子英語塾創立を支援しました。

明治には多くの人が海外に出て、学び日本の礎を築いてきました。
学ぶ姿勢は、忘れないようにしたいと思いました。

それと、女子教育に貢献したい、留学に投資された費用に見合うだけのことを日本に返したいとの思いが時間をかけて実現しました。
思いを持つこと、そしてそれを実践していくこと、それを教えていただきました。

【福井】NEWSコンサート開催に疑問の声 県外からもファン "大阪からも多くのファンが会場へ”

2021-04-25 10:40:40 | 新型コロナウイルス
https://news.goo.ne.jp/article/chuplus/region/chuplus-242787.html 2021/04/25 05:00中日新聞Web

 新型コロナウイルスの感染拡大で県の緊急事態宣言が発令される中、サンドーム福井で二十四日、男性アイドルグループ「NEWS」のコンサートが始まった。県外から数千人のファンが来たとみられ、JR鯖江駅(鯖江市)から会場まで徒歩で向かう長い列が出現。県などが感染防止を呼び掛けたものの、不安を抱く市民からは開催に疑問の声も上がった。コンサートは二十五日も昼と夕の二回ある。

 サンドームの収容人数は通常一万人だが、現在は五千人に減らしている。観客を入れて開く大型のコンサートは二〇二〇年二月以来。県によると、主催者側と中止も含めて協議したが、「まん延防止等重点措置」が出された宮城県でもコンサートが開催されたことやチケットの払い戻しなどの補償面の問題もあって開催した。

 二十四日は午後五時の開演を前に、鯖江駅を降りた女性らが一・六キロ離れた会場に続々と歩いて向かう姿が見られた。県と市は同一時ごろ、歩道に職員と警備員四十五人を配置。職員らは「感染対策を徹底して楽しみましょう」と書かれたプラカードを掲げた。道中や会場周辺の二十カ所にも注意喚起の掲示物を置いた。

 県外客が来店すると想定し、休業した鯖江駅近くの飲食店の女性経営者(67)は「中止になると思っていたのに。店を休むと常連さんにも影響する」と表情を曇らせた。別の飲食店を営む女性(45)も「県外から多くの人が来ると怖い」と不安そうだった。

 県産業労働部の吉川幸文部長は「特別対策で感染防止を呼び掛けている。来場者はしっかり感染対策をとって楽しんでほしい」と話した。県の緊急事態宣言は二十二日に発令され、五月十三日までの三週間。県民には県外との往来を自粛するよう呼び掛けている。 (中場賢一)

感想
福井へは大阪から約2時間ほどです。
多くの大阪のファンが詰めかけたと思います。
コンサートは24日、25日、計4回開催。
JRも臨時便を増発したとか。

大阪の変異コロナウイルスが散らばらないことを願うばかりです。
一週間後、周辺の県の感染者が増えないと感染対策がうまくいったことになるのですが。

吉村知事が無策というか、TVに出ているだけ。
やることは、雨合羽、イソジン程度。
PCR検査も増やさない。陽性者の隔離も積極的にしてきませんでした。
その結果が救急車で46時間待機も。
入院できずに自宅で亡くなっている人が増えているとか。

これまで正しいコロナ対策をしてこなかったことが、感染者増加に。
医療への支援をしてこなかったことがここにきて、死亡者を増やしています。

野田洋次郎、緊急事態宣言で政府の対応に私見明かす ”声を出す勇気、思う人は声を出すことが政治を変える”
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/fffb2bd11bc6c0222c3c2da1ffa9e5a1


ファンも吉村知事の言うことなんか聞いておられないのかもしれません。
ジャニーズ事務所も、”中止”による赤字は避けたかったのでしょう。
ひょっとすとと、東京や大阪など大都市圏でコンサート開催すると批判も大きいし、緊急事態宣言で中止に追い込まれるので、大都市圏周辺の県で行うと中止がなくてよいのかもしれません。
ファンは全国から集まります。返ってコロナ感染を拡散するのですが、ジャニーズ事務所も「聞いちゃおられない」の気持ちなのかもしれません。

東京五輪ボランティア「足りている」の裏で…アルバイト大量募集の怪 "同じことをボランティアでやるか、有給でやるか?”

2021-04-24 12:58:12 | 新型コロナウイルス
https://news.yahoo.co.jp/articles/ca8cecbb0b1d0e7a3ce3a5f12e10d702c6adc5b54/21(水) 9:06 日刊ゲンダイ

 大会開始まで100日を切った東京オリンピック・パラリンピック。国民の7割以上がいまだに反対しているが、聖火リレーなど開催に向けての既成事実だけは積み上げられている。そんな中、五輪名を伏せた奇怪なアルバイト募集が大量に行われている。
  ◇  ◇  ◇
 共同通信の電話調査(4月10~12日)で東京オリ・パラの開催を望む人はわずか25%。「中止」「再延期」が計72%と大幅に上回っている。

 自民党の二階幹事長が大会中止も選択肢と発言したが、国民がどんなに反対しても突き進むのが今の五輪。開幕まで日も少なく、ますます中止の判断はできにくい状況にある。

 そんな中、大会運営を自発的にサポートしてくれるのが、ボランティアの皆さんたちだ。大会組織委員会が募集した「大会ボランティア」が約8万人、それとは別に地方自治体が募集した「都市ボランティア」が約3万人(東京)いる。森喜朗組織委員会前会長のジェンダー発言後、ボランティアを辞退する人も出たが、組織委員会の広報担当者は「十分に人員は足りている」と強調する。

「4月2日から順次、ボランティアの方々にシフトをお知らせし、『承諾』の手続きに入ってもらっているところ。海外からの観客は入れないことになりましたが、通訳ボランティアの『アテンド』の方をまったく違う別のボランティアに振り分けることは行いません。『ヘルスケア』の医療ボランティアも人員については心配ございません」(大会組織委員会・広報担当者)

 ちなみに、8万人の大会ボランティアの内訳は、「案内」(チケットチェック等)が1万6000~2万5000人、「競技」(競技運営等)が1万5000~1万7000人、「移動サポート」(運転等)が1万~1万4000人、「アテンド」(通訳)が8000~1万2000人、「運営サポート」(選手村の手伝い等)が8000~1万人、「ヘルスケア」(医療)が4000~6000人、「テクノロジー」(IT技術)が2000~4000人となっている。

■宮城県はコロナなど理由に3分の1が辞退

 広報担当者の言葉を信じたいが、シフトを知らせた後のボランティアがどれくらい「承諾」するかは未知数。例えば、サッカー計10試合を行う宮城県は、都市ボランティアの約1700人に意向を確認したところ、「参加できる」という人は66%しかいなかった。コロナ感染への不安のみならず、大学を卒業した、県外に引っ越した人など最終的には3分の1のボランティアの辞退が濃厚。宮城県の担当者は辞退者はさらに増えると予想し、「2人で当たる業務を1人に変更する」などするという。

 これでは大会運営そのものが危うく、人員配置などを根本的に見直さなくてはならない。その折、なぜか急に人材派遣・イベント会社が「アルバイト」を大量募集し始めている。

 しかも、実に奇妙なことに募集案内にはオリンピックの「オ」の字も出てこない。「夏季国際スポーツイベント」「4年に一度の“あの”スポーツイベント」「7月下旬~イベント」など微妙な言葉が並ぶのだ。商標権から東京ディズニーランドを「大型テーマパーク」と表示する例はあるが、勤務地を見ると、「有明テニスの森公園」「国立競技場」といった具合にバレバレ。今回はなんと「東京2020オフィシャルサポーター」を務める「パソナ」ですら、「世界的スポーツ大会の競技会場で働けるチャンス」「時給1600円」「仕事内容はお客様の誘導」と五輪名を出さずに募集している(派遣スタッフは別)。

求人会社は「機密情報なので」と怯えた様子

 神経質過ぎる動きだが、日刊ゲンダイが複数の業者を問い合わせても口を揃えてノーコメント。ある業者に「募集しているかだけでも教えてほしい」とお願いしても、散々たらい回しされた揚げ句、「機密情報であるから教えられない」と驚きの回答が……。再度、「ネットの求人欄に時給1300円で、メディアへの食事提供と業務内容も詳しく出ていますが?」と食い下がってはみたが、女性スタッフが「上長が『機密だと言っている』ので」とニベもない。何かやましいところがあるのか、怯えている様子さえある。

 こうなると、ますます怪しい。念のため、他の派遣会社の求人内容も紹介しておくと、「テニス会場での受付や誘導」「オリンピックスタジアムエリアでの入場者の案内」「選手村内食堂での選手への飲食サービス」「記録計測等のIT機器のセットアップ」などボランティアの業務とほぼ重なっている。

 やはりボランティアは足りていないのではないか? 組織委員会の広報担当者に聞いてみた。

「そういったアルバイトの求人は組織委員会として把握していません」(前出の担当者)

 晴海の選手村でのアルバイトは、時給1300円(夜勤は1625円)。ボランティアはどの会場に派遣されるか分からないが、こちらは勤務地先が確定している。水泳の池江璃花子選手らに会える可能性も確実に高いだろう。ただ、「選手への接触・撮影・SNS発信等は一切できません」と秘密厳守を求められる。

■テニス会場スタッフは「時給1400円」

 また、テニスの大坂なおみ選手が見たければ、有明テニスの森の仕事は時給1400円。こちらは服装規定があり、白系のインナー、黒チノパン、スニーカー(ノーブランドかアシックス)だ。アディダスやナイキの靴が駄目なのは、恐らくアシックス社が「東京2020ゴールドパートナー」でお金を出しており、間違ってテレビに映ったらマズイからだろう。

 善意の気持ちから“無給”のボランティアとして働く人のためにも、あまり積極的に勧めたくはないが、同じ仕事をして“お給料”までいただける。もちろん、大会や選手を盛り上げたいとする気持ちは同じはずだ。

 東京五輪のホームページには《オリンピック・パラリンピックの成功は、まさに「大会の顔」となるボランティアの皆さんの活躍にかかっています!》と書かれている。何かがおかしい、と言わざるを得ない。 

感想
ボランティアを募集しています。
しかし、政治家はオリンピックの重職に就いて、多額のお金を毎月もらっているとのことです。
オリンピックが1年延びて、もらっているお金も増えているのではないでしょうか。

かつ、オリンピックの業務委託も大手に依頼され、中抜けしてさらに下請けに委託しています。

税金を自分たりの利益に活用されているのではないでしょうか?

一方、多くの人がボランティアで無償でお手伝いをされようとしています。
コロナ禍で集合はコロナ感染のリスクが高いです。
ところが感染しても、病院に入院できません。
今自宅で多くの人が亡くなっています。
ボランティアにもっと安心を与えてほしいと思います。
それがないなら、せめてそのリスクの費用として、有給で行う方がよいのではないでしょうか。