幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「最強脳 『スマホ脳』ハンセン先生の特別授業」アンデシュ・ハンセン著 ”運動が脳を活発化させる”

2023-05-22 00:24:00 | 本の紹介
・実は、この本の結論は一言で言えてしまいます。
 運動をしよう――そうすれば脳は確実に強くなる。

・脳にはどんどん変わっていける力があるという発見です。そこに運動が関係してくるのです。

・運動することでより多くのシグナルが(脳に)送られ、正しい指令が正しい場所に届くことで、脳が効率良く機能するようになるのです。

・ドーパミンの仕事のひとつに、「何に注目し、集中すればいいのかを教えてくれる」というものがあります。好きなことをすると、例えば美味しいものを食べたり、友達と会ったりすると、ドーパミンの量が増えて幸せな気分になり、満足を感じます。つまり自分にとって良いことをすると、脳が「ごほうび」をくれるのです。
 人間は食べなければ死んでしまいます。だから脳は、私たちが何かを食べる度にぼほうび、つまりドーパミンを出してくれるのです。

・とはいえ、まったく無駄なことをやってしまうこともある・・・とも思いませんか? 例えば何時間もスマホをいじったりというようなことです。例えば何時間もスマホをいじったりというようなことです。本当は他にやらなければいけないことがいくらでもあるというのに。しかし、これもドーパミンのせいなのです。SNSで「いいね!」がつく度に、小さなドーパミンのごほうびがもらえてしまうからです。

・人をとりこにしてしまう様々な種類の薬物や、タバコに入っているニコチンなど、人間が依存してしまうドラッグのほとんどがドーパミンのレベルを上げてしまいます。体に良いことを何もしていないのに上げてしまうのです。ドラッグは体にも脳にも大きな悪影響があります。特に、長い期間とり続けると危険です。SNSにしてもドラッグにしても、脳が昔のまま進化していないために私たちは夢中になってしまうのです。

・うつにも運動やエクササイズが非常に良く効くことがはっきりと分かっています。とはいえ、うつになった時はなかなか運動したい気持ちにはならないかもしれません。
 最近ずっと気分がしずんだままで、運動もしたくないと感じる人は、誰か信用出来る相手にそのことを話してみて下さい。うつに対するサポートは色々ありますが、自分でサポートを受けに行く気力はないことも多いでしょう。だからまずは誰かに相談してみるのが良いと思います。

・アメリカで3,000人以上の子供や若者がどのくらい運動しているかを25年にわたって調べたものがあります。その間に様々なテストを行いました。
その結果、集中力が必要なテストで最も成績が良かったのは、運動をしている子供や若者でした。最も悪かったのは座っている時間が長い子、さらにテレビを3時間以上見ている子たちでした。これはスマホが登場する前の研究ですが、ユーチューブを見続けるのにも同じ影響があるようです。

1970年代にウォルター・ミッシェルという心理学者の教授が行った実験で、教授は子どもたちの目の前にマシュマロを1個置きました。
 それからこう言って部屋を出たのです。「おじさんが戻ってくるまでマシュマロを食べるのをがまん出来たら、もう1個あげるからね」・・・
 平均して3分ほど待つことが出来ました。しかしほとんどの子がそれ以上は我慢できませんでした。ただし、何人かは15分待つことが出来て、ごほうびにもう1個マシュマロをもらえたのです。・・・ 
この実験には続きがあります。16年後と18年後、さらに30年後にも追跡調査が行われたのです。4歳の時にマシュマロをがまん出来なかった子に比べて親からの評価が高く、大学入試の点数が高く、大人になった時の収入も高かったそうです。この「ごほうびを我慢して先延ばしに出来る能力」は前頭葉の発達に関係していると言われています。

・ADHDが進化の中で残った理由
その(人が狩りをしていた)時代は生きのびるために様々なタイプの人が必要でしたし、今までもそうです。みんな同じではない方が人類全体にとっても良いことなのです。


・スウェーデンのブンケフローという町の小学校で、対学年の何クラスかは週2回ではなく毎日体育の授業をすることにしました。その結果、生徒たちはもちろん運動が上手になりましたが、週に2回しか体育の授業のないクラスの生徒と比べて、国語の成績も上がったのです。しかも効果は長く続いたようです。

・3つの大切な点を覚えていて下さい。
1)脳の成長は止まることがない。脳はいつでも変えられるし、成長させられます。
2)脳を助ける一番良い方法は運動です。
3)普段からスポーツをしていなくてもいいし、運動が得意でなくてもかまわないのです。脳はどんな運動をしているかは気にしません。ともかく運動さえすればいいのです。

感想
 認知症防止には歩くこと、指先を動かすことも効果があると言われています。
またうつ病の回復にも散歩が良いと言われています。
ところが、それが分かっていてもなかなかできないのですが。
卵が先か鶏が先かになります。
ちょっと歩くと変わるのですが。
”身心一如”、その通りだと思います。

マシュマロ効果は、今はその後の研究でそれは限定的と言われているようです。
子どもの環境(裕福とか)が待てるかどうかに影響しているそうです。

ゲームにのめり込むのは、ごほうび(ドーパミン)に支配されているからのようです。
自分の生活が壊れない程度に楽しむのは良いのですが、ゲームやスマホにのめり込んで生活に支障をきたしてしまう人も多くいるようです。
先ずは睡眠不足。それによって体調が悪くなる。仕事でのミスが増える。
そこで起きるトラブルに悩まされるなど悪循環に陥るようです。
ゲームを楽しんでリラックスなどや気分転換に活用するとそれは自分がゲームをコントロールしていることになります。
ゲームをずーっとしているとゲーム脳になってしまって生活に支障をきたすようです。

ネットで囲碁の対局が出来るようになりました。
前は朝の5時くらいまでしてしまうことがよくあり、ゲームや勝負ごとにのめり込むほうなので、これではいけないと思い、ネットでの囲碁対局は止めました。
そして囲碁はコンピューターと時たま対局して気分転換に活用しています。
その時間は囲碁以外のことは考えないからです。
何か悩み事があるとそれが頭から離れません。
忘れようとすればするほど頭に残ります。
ところが囲碁やっているとその期間そのことを忘れています。
それが脳を休めていることにもなるのだと思います。
人はどうしてもホルモンに支配されます。
できればホルモンを支配(コントロール)するように生きられたらと思います。

この本を読みあらためてできるだけ歩こうと思いました。
コロナで前より出かけることが減ったので、意識しないと歩くことが減ってしまいました。


「だいじょうぶ、あなたはすべてうまくいく」アラン・コーエン著 ”先ずは自分を愛することが始まり”

2023-05-21 19:33:00 | 本の紹介
・多くの日本人は羞恥心、罪悪感、無価値観に苛まれています。自分を”足りない”存在だと見なし、自分自身の価値を得るためには、闘わなくてはならないと信じています。完璧でないからと自分を責めて、他人と自分自身を比較します。
 仕事はオーバーワークで、両親や配偶者、上司を落胆させてしまうことを案じています。どれだけがんばっても、もっとうまくできたはずだと思うのです。多くの日本人は、自己批判、絶え間ない非難、過酷な競争、内なる自信を犠牲にして、従属することによる消耗に苦しみ、不安を抱えています。
 子どもの頃から、喜びは二の次にし、自己犠牲を払うことを学んできました。ですから、魂に豊さを与える時間もありません。多くの人が嫌いな仕事へと出かけ、社会の要求に疲れ果て、夜遅くになって、愛のない結婚生活の場へと帰宅します。

ヨハン・ヴォルブガンダ・フォン・ゲーテ(『若きウェルテルの悩み』著者 )
「自分を信頼できるようになった瞬間から、生きるべき道がわかる」

・ほとんどの人が不安の声の奴隷になっているのです。しかし、その苦しみは本来あなたが味わうものではありません。今、奴隷であるなら、自由を求めて闘うべきです。これまで恐れ、罪悪感、羞恥心などに苦しんできたのなら、それらを棄てて新たな人生を始めることもできるのです。
 あなたが選択しさえすれば、新たな人生を手に入れることが可能なのです。

・あなたには幸せを享受する価値がある。

・あなたの勇気をくじく「批判の言葉」は外から植えつけられたもの。

・結果や達成に重きを置くと、いつまでも満足感を得られない。

・あなたの心構えが変われば、まわりの人たちのあなたに対する評価や態度も変わってきます。

・失敗を責め続けるのではなく、失敗から学ぶ。

・白黒どちらかに分類するのではなく、グレイゾーンを認めることで、心が穏やかになる場合があります。

・あなたの自己評価は厳しすぎるかもしれない。

ニール・ドナルド・ヴォルシェ(『神との対話』 著者)
「他人に喜びをたくさん与え得られるように、あなた自身に喜びをたくさん与えましょう」

・体を愛せば、体もあなたを愛してくれるでしょう。体との関係を改善し、気分をすっきりさせるための方法をいくつか挙げます。
1)体を動かす
2)自然に触れる
3)自分を甘やかす
4)良い食生活を送る

・「自然なスキンシップ」が心を明るくする

・あなた自身の幸せに口出しできる他人はいない。

・ひたすら働くより、休みを取ったほうが生産性が上がる。

・「感謝の気持ち」は伝えて初めて意味がある。

・うまくいっていないことではなく、「うまくいっていること」に目を向けよう。

・希望を伝えたからといって、それが必ずしも叶うとは限りません。ただ、伝えないよりもはるかに叶う確率が上がります。
 それ以上に重要なことは、希望をはっきり伝えると、ストレスがなく生き生きとした気分を味わえることです。

・ネガティブな感情が生まれたら「心に耳を傾ける」

・ジェファーソン・エアブレインというロックグループの有名な曲「Somebody To Love」にこんな歌詞があります。
 誰か愛する人が欲しいと思わない?
 誰か愛する人が必要じゃない?
 誰かを愛したいとは思わないの?
 誰かを愛する人を見つけたほがいいわ
愛する「誰か」が人間とは限りません。

・ある介護施設の入所者たちにペットを抱かせるようにしたところ、薬の使用量が今までの二割ほどになり、死亡率は半分になったという調査結果も発表されています。ペットに癒し効果があることは間違いありません。・・・
対象は何でも良く、「愛する」という行為自体が重要なのです。

・「ありのままのあなた」と信頼してください。
性・恋愛・友情・家族・仕事上のすべての人間関係の鍵は、「自己愛」です。

・自分を信じてください
 魂を磨いてください
 あなたらしく生きてください

感想
【特集ドラマ】おもかげ 初回放送日: 2023年5月20日https://www.nhk.jp/p/ts/MVKJ4KYZZZ/list/ NHKより
 商社マンとして65歳で定年を迎えた竹脇正一(中村雅俊)は、送別会の帰りに地下鉄の車内で倒れ、病院の集中治療室に運びこまれる。意識の戻らない正一は、ベッドに横たわる自分の体を横目に、謎の美女に連れられ自らの過去をさまようことに。命の終わりに人生を振り返る旅のようなものなのだろうか。孤児という出自から来る孤独を無理やり忘れ、懸命に生きて来た人生の終盤、正一は予想もしていなかった過去と向き合う。
 
 自分は捨てられた。
 母親は分からない。
それを辿る旅です。
自分に関係する人が出て来ます。


BSを見ました。
ここで著者が言いたかったのは何だろうか?と想像しました。

ドラマでは、大切な、愛しい子どもだったけど、このままでは母と子が死んでしまう。
子どもを誰かに拾ってもらった方が、二人が生きる可能性が大きいと、母は思い、子どもを地下鉄の車内に置いていきます。

ユダヤ人夫婦がナチスの強制収容所へ送られる車両から乳飲み子を外へ投げ棄てました。
それはこのままだと3人ともガス室に送られ殺されてしまうと知っていたからです。
赤ちゃんは拾われるか分かりません。
でも夫婦は赤ちゃんが生きる可能性にかけたのです。

『おもかげ』の主人公の生い立ちの事実はわかりません。
でも、良いように考えた方が、自分の人生が明るく前向きになるのです。
自分は親に愛されていた存在だと認める。
万が一親が愛していなかったとしても、神様が愛してくださっていると信じることです。
神様は愛してくださっています。
目に見えないけど信じるかどうかです。

人間関係でも同じだと思います。
相手が自分をどう思っているかわかりません。
尋ねても本当のことを言ってくれるか分かりません。
だったら、自分にとって良いように解釈した方が上手く行くのではないでしょうか。

もしマイナスに受け取り、実は相手はマイナスでなくプラスだとすると、相手の好意を拒否することになります。
相手がマイナスだったのに、自分がプラスに受け取ったら「バカみたい」と思うかもしれませんが、自分にとってマイナスにはなりません。

ゲーム理論で「囚人のジレンマ」という問題があります。
ゲーム理論では、
①先ずは相手を信頼する。
②相手が裏切ったら、それからその裏切った人を信頼しない
が上手くいくそうです。

人間関係はエコーの関係だと思います。
相手を好きになれば相手も好きになってくれる確率は高まり、
嫌いになれば、相手も自分を嫌いになる確率が高くなります。
恋愛は別として、自分を好いてくれる人を嫌いになる人はいないと思います。
ストーカーは別ですが。

先ずは自分を愛する。
自分を価値ある存在だと認める。
自分のやりたいことをする(相手に危害を加えなければ)。
自分が何をしたいかに気付くことでしょう。
せっかくの人生、周りの目を気にして生きるより、周りの評価を気にして生きるより、自分の心の声を聴いてあげることだと思います。
その声はなかなか難しいですが、常に聴いているとわかってくるように思います。

そして、先ずは相手を信じる(もちろん信じる価値があると思った場合)。
信頼関係の上には良い関係が生まれ育って行くように思います。
疑い疑いしていると相手も疑い、ちょっとしたことがマイナスに働き、関係もよくなくなるのではないでしょうか。

「子の無い人生」酒井順子著 ”結婚関係なく女性が子を持てる社会を!”

2023-05-18 21:17:34 | 本の紹介
・『負け犬の遠吠え』という本を出した時、様々な反響が寄せられた中で、意外に多かったのが、
「私は結婚しているのですが、子供はいません。こんな私は、負け犬なのでしょうか?」
というものでした。
 私はこの本の中で、「未婚、子ナシ、三十代以上」の人を、負け犬と定義しました。ですから、「子供がいようがいまいが、結婚しているなら勝ち犬に決まっているじゃないの」と、その手の質問に対して思っていたのですが、今考えるとわかります。
「結婚しているが子供がいない」という状況に、いかにその人達が”負け犬”を抱いていたかということが。
 私は当時、結婚さえしてしまえば、人は「宿題は終わった」という気分になるのだろうと思っていました。しかしどうやらそうでないらしく、結婚した人にはは「子供はまだ?」というプレッシャーがかかる。・・・こういったプレッシャーは、既婚者をうんざりさせるものでしょう。

・子ナシ既婚者が、
「こんな私は負け犬でしょうか?」
と問う目は、今思い返すと切実な光を湛えていました。彼女達はおそらく、
「既婚者とはいえ、あなたも負け犬の仲間ですよ。仲良くしましょう」
と言ってほしかったのです。彼女達は、勝ち犬すなわち既婚者の群れの中では、
「結婚しているのに子供がいあに」という意味で、半端者扱いされていました。既婚者仲間と集まっても、子育て話には参加できない。・・・
ところが私は、
「あなたは結婚しているのだから、勝ち犬です。子供がいないくらい、何よ。私達は結婚すらできていないのよ」
と、バッサリ斬り捨ててしましました。ああ、今だったら、
「つらいなら、負け犬の仲間に入る? いいわよ。こちら側に来ても」
くらいのことを言ってあげたのに。
 私が四十代になって、やっとわかったこと。それは、女性の人生の方向性には、「結婚しているか、いないか」よりも、「子供がいるか、いないか」という要因の方が深くかかわる、ということでした。離婚して再び独身になった友人もたくさんいますが、小ナシで独身になった人と、子持ちで独身になった人の気分は異なります。負け犬と勝ち犬にグループ分けするとしたら、子持ち独身者は勝ち犬グループの方が合うでしょうし、小ナシ独身者は負け犬グループの方がしっくり来るのです。

・二人目の親すなわち母親が他界した後、様々な作業をこなしながら、私は思いました。
「で、私が死んだ時は誰がこれをするわけ?」・・・
母親からは、私が若い頃に、
「結婚はしなくていいから、子供を産んでおくといいわよ」
と言われたことがありましたが、そこには「一人で死ねないのだから、看取り要員を産んでおきなさい」という意味も込められていたのかもしれません。

・お隣のマダム集団の会話が、ふと耳に入ってきました。小中学生の子供を持つマダム達が話していたのは、年賀状について、
「うちは、子供の写真入りの年賀状と、そうじゃない年賀状を二種類、作っているわよ」
「私もよ。子供がいない方とかには、写真が入っていない方を出している」」
「うちもよ。でもそうしていたら、子供がいない人に写真入りの年賀状の存在がバレちゃったことがあって、気まずかったわ・・・」
などと、話しているのです。・・・
子ナシの私はもちろん、
「それは素晴らしい心遣いですね!」
という気分にならないのでした。「子供がいない人に写真入りの年賀状の存在がバレちゃったことがあって云々」と語っていたマダムは、明らかに子ナシ族のことを「可哀想な人達」と思っています。

・昔の人はうまいことを言ったもので、子を思う親の心を「心の闇」と表現しました。・・・
「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」
という「後撰和歌集」の中の藤原兼輔の歌からきた表現。人の親の心というのは、闇というわけではないのに、子を思う時だけは理性を失うのだなぁ・・・ということで、平安時代は「心の闇」といえば「親心」のこと、と相場は決まっていたのです。

・我々子ナシ族としても、・・・、親に孫の顔を見せたらどんなに喜ぶか、とは思いましたが、親孝行の気持ちをいくら持っていても、子供が生まれるわけではない。
 するとそんなある日、兄夫婦に、ひょっこりと子供が生まれました。本当は「ひょっこりと」ではないものの、とにかく諦めかけていた頃に、子供が生まれたのです。
 その時、既に父は他界済み、残念ながら孫の顔は見られませんでした。母は既に60代後半・・・とはいうものの、念願の孫を抱くことができたのです。
「お兄ちゃん、でかした、よくやった!!」
と、私はあの時ほど兄を尊敬したことはありません。・・・
 まさか現世において抱けるとは思っていなかった「自分と血がつながった赤ちゃん」をおそるおそる抱いた私は、嬉しさと同時に、深い安堵感にも包まれておりました。その安堵感とは、
「もう私は、いいよね」
というもの。
 その頃の私は「頑張れば、子供を産める」というお年頃。・・・
 しかし、そこで兄が「親に孫の顔見せる」という大役を果たしたため、私はすっかり「もうこれで、お役御免ね!」という気分になったのです。

・「子供を持って初めて本当にわかったことがたくさんあったの! 人間として成長できたと思う」
などと言うわけですが、我々は、「やはり私は、人間として劣っているわけですね」
などと思いながら、
「そうよね~、よかったね~、本当におめでろう!」
と言うしかありません。

・これからは「出世のために子を産む」という女性が、増えてくるように思います。すなわち、働く女性が上の地位を狙う時、「自分は能力が高い人間である」ということを示すために、マネジメント力だとの英会話力だののみならず、「子育て経験」が必要だと判断するのではないか。
 だからこそ私は、土井たか子さんが他界されたというニュースを聞いた時に、「一つの時代が終わった」と思ったのです。

・京都・嵯峨野の常寂光寺には、「女の碑」というものがあります。
「女 ひとり生き ここに平和を希う」
と石に刻まれているのですが、その文字は市川房枝さんいよる揮毫です。

・新聞の花壇に、
「癌になり ようやくわかる 夫婦とは どちらかの死を 看取ることなり」
という歌が載っていました。

・結婚したい人はすればいいけれど、そうでない人も子が産めるようにしないと、多くの人が子を持つ世はやってこないことでしょう。すなわち、女性有名人が結婚する時に妊娠しているか否かをいちいち報道しているうちは、日本の少子化が解消する日は決してやってこないと私は思うのでした。

安倍昭恵さん(酒井順子さんとの対談)
・普段の生活の中では、「まだですか?」とか、「非国民!」などと言われることもあって・・・。「それはちょっと、どうなのだろう」と思うこともありましたね。
・不妊治療にも三箇所ぐらいは通いましたが。どこも長続きしませんでしたね。
・主人が「絶対に産んでくれ」と言わなかったことにも救われた気がします。
・安倍晋三の子供はいないわけですが、主人には兄がいて、彼には男の子がいるんです。ですから、安倍家が途絶えることもない。そのことが大きなプレッシャーにつながらなかった理由かもしれませんね。
・「独身なら独身の人生」「子供がいないなら子供のいない人生」というのが、今世で神様から与えられたその方の役割なのだと思うんです。その中で自分にとってできることを考えてみられたらよいのではないでしょうか。自分の子供いないからといって、次世代に対して無責任になるのではなく、次世代のためにできることがきっとあるはず。
・現在二つの児童養護施設の後援をやらせていただいているんですね。一つは、主人の地元である下関の『なかべ学院』、もう一つは東京・広尾にある『福田(ふくでん)会』です。
・私はミャンマーに学校を建てるなど教育支援をしているのですが、どの国を支援するか考えていたときに主人が「ミャンマーにしたら?」と言ってくれた言葉がきっかけになりました。決めた途端、ミャンマーに関係する方々が、どんどん集まってきてくださって、いろいろなことが一気に動き始めたんです。

感想
 『負け犬の遠吠え』酒井順子著を読みましたが、負け犬と称しても、しっかりと生きているのだから胸を張って生きればよいとのメッセージだったように思います。
 その本では「未婚、子ナシ、三十代以上」としたけれど、結婚有無は関係ないということがその後実感したので、出されたのがこの本のようです。
 結婚しているかいないかが大きなことだと当時は思ったそうでしたが、そんなことより、子供がいるかいないかの方が大きいということに気付かれたようです。
 そして、結婚しなくても子供を持てることができる世の中をしたいとのことでした。
 この本でも子育てに費やした時間を他に費やしたわけであり、それはそれで意味があることなので、誇りを持って生きていけばよいとのメッセージと受けとめました。

「女の碑」は戦争で男性が戦争に行き、多くの人が亡くなった結果、当時50万人の女性が結婚相手がいなくて結婚できませんでした。
それは当時であれば、子供を産むこともできなかったのです。
でもその人達が大切なことをして来られたのです。
それは子供産むという次世代の子孫を産むという直接のことはなかったかもしれないが、次世代を支えるためのい社会のために多くのことをされてきたのです。
市川房枝さんもそのお一人だったのではないでしょうか。

 ミツバチは女王バチの子孫だけです。オスは精子を提供するだけです。
オスは数匹が女王バチが空高く飛び上がったのに付いてきた一匹のオスの精子だけです。それも一回交尾したらそれで終わりです(前に読んだ本の記憶)。
働きバチはすべてメスです。ミツバチの社会はそれが一番自分たちの子孫を残せるの方だと選択しているのです。
女王バチが偉くて働きバチが劣ることはありません。
ミツバチの社会のためにそれぞれの役目を果たしているのです。
女王バチも巣に籠って次から次へと子どもを産む仕事ですから大変です。

男性は、子供を持てる年齢幅が広いです。
60歳代でも子供を持ったという芸能人のニュースが入ります。
しかし、女性には子供を持てる年齢が限られています。
そのため卵子保存を考えている女性もいます。
山口真由さんもそうでした。

 山口真由さんはまさにそれを実践されているように思いました。
本に、「精子を提供してくれる男性があらわれるかどうか?」がキーだと書かれていました。
 養育費請求しないとか、「あなたの子」とは言わないとか言っても、遺伝子がつながっているので、いつ求められるかのリスクが男性側にあるからとのことでした。
 山口真由さんのような人が増えると変わっていくかもしれません。
社会が結婚せずに子供を産む女性を支える社会に出来るかどうかなのでしょう。
 もちろん、男性も出来ることは協力することなのでしょう。


結婚して、「私たち子供なしでも仲よくしようね」と言っていた夫が、浮気して相手に子供ができたからと言って、離婚するケースもあるそうです。
十分な慰謝料をとっても、割り切れない思いが残ると、本に紹介されていました。

小学男児がいじめで転校、対応怠った大磯町…保護者から開示請求受け一転「重大事態」に ”いじめが原因の転校とは思わなかったこと自体が問題”

2023-05-18 10:58:58 | 社会
 神奈川県大磯町の町立小学校に通っていた高学年男児が同級生からいじめを受け、昨年末に転校を余儀なくされたにもかかわらず、町教育委員会がいじめ防止対策推進法に基づく対応を怠っていたことがわかった。転校から4か月たった今年4月、保護者が町に一連の対応について情報開示請求したところ、町教委は一転して、同法の「重大事態」に認定した。町教委は読売新聞の取材に対し、「いじめが原因の転校とは思わなかったが、対応が不適切だったかもしれない」としている。
 同法は、いじめで児童らの心身などに大きな被害が生じた疑いがある場合、「重大事態」として、教育委員会や学校に調査組織の設置を義務づけている。
 保護者によると、男児は小学校入学以降、複数の男児から体形などをからかわれ、持ち物を壊されたり、靴箱から靴を投げ捨てられたりされたという。保護者が学校に相談し、一時的に改善することもあったが、教師の目の届かない通学路などでいじめは続き、男児は昨年、医師から「ストレスによる胃痛」と診断された。
 2学期からは学校を休みがちになり、「ぼくはいじめられるために生きているんじゃない」と訴えたため、保護者は昨年12月に町外の学校に転校させた。この間、いじめをやめさせるよう求め続けたものの、学校や町教委から加害児童への指導など必要な措置を講じた報告はなかったという。
 学校の対応に不信感を抱いた保護者は今年4月14日、町にいじめの対応について情報開示請求をした。すると、町教委は同日付で「重大事態」と認定したという。5月中にも学校や男児の保護者から調査を始める方針。
 保護者は「町や学校は転校で問題を終わらせるのではなく、再発防止に向けての対応策を示してほしい」と訴えている。

感想
 保護者が町に一連の対応について情報開示請求したところ、町教委は一転して、同法の「重大事態」に認定した。町教委は読売新聞の取材に対し、「いじめが原因の転校とは思わなかったが、対応が不適切だったかもしれない」としている。
いじめが原因でないなら、「重大事態」に認定する必要がありません。
教育委員会としての公式な見解なら、教育委員長自体、認識不足ですから、担うだけの能力がないとして、辞任するくらいの重大なこととして、認識を新たにしていただき、次回から同じミスをしないでいただきたい。
それができないなら、辞任されることだと思います。

「こどもホスピスの奇跡 短い人生の『最後』をつくる」石井光太著 ”今あるものに感謝を忘れない、そしてそれを生かす”

2023-05-17 23:37:23 | 本の紹介
・柳井(ユニクロ)は淡々と日本に民間の小児ホスピスを設立することの意義を語った。
TSURUMIこどもホスピスのオープンセレモニーで)「つくるのはわりと簡単です。でも、これを運営するのは非常に難しいと思うんで、ぜひ世界に誇れるホスピスになっていただきたいなと思います。

・子供にとってがん治療は、筆舌に尽くしがたい苦痛を伴うものだ。病室に隔離された上で、検査と称して頻繁に採血されたり、生体検査で体内の病変の一部を採取されたりする。小児がんの38%を占める白血病の場合は、背中の腰骨に針を刺して骨髄を採取する骨髄検査も行われる。
 小児がんに対する手術、薬物療法、放射線治療は副作用や後遺症を伴うさらに過酷なものだ。

・阪大病院では看護婦の組合の力が大きく、不調が大きな決定権を握っていた。そんな看護部たちが入院児のルールとして決めていたのが、親による24時間付き添いだったのである。
 入院にかかる看護基本料には、夜間看護料も含まれており、本来なら夜間看護は看護婦の業務の一つだったが、病院側は夜間看護料を受け取っておきながら、24時間付き添いを入院の条件にすることで、親に子供に対する細々とした雑務を任せていた。
 
・阪大病院で息子を白血病で失った親の一人に、安道照子がいる。後に小児がん患者の支援を行うNPO法人「エスピューロー」を立ち上げた人物だ。・・・
安道の家庭もまた離婚という結末を迎えた。安道の言葉である。
「難病の子供を抱えながら家庭を回していくのは、ほんまに大変です。私は息子の看病や病院の人間関係でずっとピリピリしてましたし。夫は仕事があるので同じ目線でものを考えられません。治療への意見、健康な長女への対応、家庭のあり方など、いろいろなところで意見のすれ違いが生まれました。
息子が亡くなったのは、病気がわかってから二、三年後です。闘病の期間としてはそこまで長くありませんでしたが、その時には夫婦間に埋めようのない亀裂が生じていました。最終的には、長男の死から一年くらい経って離婚することになりました」

原純一(大阪市立総合医療センター副院長・がん医療支援センター長)は語る。
「難病の子供たちは治療を終えて社会にもどった後も、身体障碍、病気のリスク、社会的孤立といった問題を背負って生きていかなければならなくなります。これらを複合的に背負えば、どれだけの困難が待ち受けているか想像に難くありません。
 僕がその象徴のように感じるのが、難病から復帰した子供たちの自殺率の高さです。治療を受けている最中は生きることに懸命なんですが、それが一段落して病院の外へ出た時に、自分を待ち受けている過酷な未来を見て絶望してしまう。正確な統計は出ていませんけど、僕の感覚で言えば健康な子供にくらべて十倍ぐらいは自殺率が高いと感じています。実際に僕が受け持った患者さんの中にも、将来を悲観して自ら命を絶ってしまった子どもがいます」

・(1996年市立吹田病院に)赴任から一年経ったある日、原はヨーロッパで起きていた一つの動きを知る。イギリスで、英国小児緩和ケア協会と英国小児科学会が世界初となる小児緩和ケアのガイドライン「小児緩和ケアサービスの発展に向けての指針」を出したのだ。イギリスの医療界全体が小児緩和ケアの共通の定義をもち、その実践に向けて足並みをそろえるという。
 原は驚きだった。日本では未だに「緩和ケア」という言葉さえ広まっていないのに、イギリスでは小児医療にまで広がっているなんて。・・・
ガイドラインの中で小児緩和ケアは次のように定義されていた。
「緩和ケアとは、身体、精神、スピリットへの積極的かつ全人的なケアであり、家族へのケアの提供も含まれる。それは、疾患が診断された時にはいまり、根治的な治療の有無にかかわらず、継続的に提供される。・・・」
 一般的に「緩和ケア」といえば、死期が迫った患者の痛みを鎮痛剤等で緩和させて穏やかに死に向かわせることだと捉えられている。 
 だが、イギリスでやWHOが定義する小児の緩和ケアでは、心理社会面やスピリチュアル面でのケアの重要性が説かれている。子供が闘病中であっても伸び伸びとしたいことをし、あるいは会いたい人に逢える環境を整えることが謳われているのだ。
 さらに、ガイドラインの中では、難病の子供家族に対する支援にも言及されている。・・・

・いったん家に帰って、家族ですごしながら経過を観察してみてはと提案したところ、母親の回答は意外なものだった。
「家に帰るのは困ります。子供は病院においてください」
どうしてかと尋ねると、母親は言った。
「義理の母には子供が難病だと話していないんです。もし知られたら、難病にかかったのは私のせいだと言われるのが怖いんです」
 医学知識のない人の中には、孫が難病になったと聞くと、「嫁の遺伝子が悪かったからだ」と決めつけて責め立てる者がいる。近隣の住人たちから白い目で見られ、難病の子のきょうだいはまで「同じ遺伝子が入っているから体が弱いにちがいない」と噂されることもある。この母親はそういう状況に陥るのを恐れ、義母にさえ子供の病気を隠していた。

・日本にも欧米の潮流に追随しようとする動きがあるらしく、その一つとして紹介されていたのがボランティアグループ「にこにこトマト」だ。

・山地が記事でもっとも気になったのが、アメリカにある「チャイルド・ライフ・スペシャリスト」という資格だった。病院で難病の子供たちの生活支援をするには、専門的な知識や技術が必要になる。

・あいち小児保健医療総合センターは、名古屋駅から車で30分ほどのところにある、病床数二百の小児総合病院だ。ここは日本で初めてチャイルド・ライフ・スペシャリストの資格を取った藤井あけみが子供の目線に立った病棟デザインをしており、自分のやりたいことに合致していると期待した。

・多田羅は市総合医療センター内で、日本で先駆けて小児専門の緩和ケアチーム『子どもサポートチーム』を結成し、患者への総合支援を開始した(2009年)。

・原はみんなの前で言った・
「いきなり建物をつくって小児のホスピスを開設するのは難しいなら、ここに集まった人たちで訪問介護や遊び場づくりをするボランティアグループを立ち上げるのはどうやろ。難病の子供たちに家に行ったり、イベントをしたりして、患者と家族を支える。ホスピス設立を目標にして、そういうところからスタートしてみるんや」・・・
 よく2010年、このボランティア団体は「こどものホスピスプロジェクト」として正式に立ちあげられる。そして、この団体のもとに大勢の小児医療を変えたいと願っている人たち、そして生きる希望を求めている幼い患者や家族が、まるで砂漠でオアシスを見つけたように集まってくることになった。

・大阪市立総合医療センターは18階建ての建物に、2,200人以上の職員を抱える巨大な総合病院だ。・・・
 7階のすみれ病棟の入り口のガラス扉は、アンパンマンの動物のシールがたくさん貼られている。正面にナースステーションがあり、左右の老化の奥に病室が並ぶ。その他、絵本やオモチャが並ぶプレイルーム、窓から外の景色を一望できる食堂、学校の教室を再現した院内楽興などが設けられている。

・陽香は言う。
「・・・ スズ君(京大医学を目指して頑張っていたが、共通一次試験後に亡くなる)は大学進学を果たせませんでしたが、私はなんとか高校を卒業して今は大学に通っています。看護師になりたいです。私はスズ君ほど頭は良くありませんが、医療の道に進んで難病で苦しんでいる子の役に立ちたいという気持ちは同じです。私が看護師になったら、スズ君や亡くなっていった仲間たちの思いも背負って働きたいです」

紗輝(公立中学に通う二年生。三歳で脳腫瘍を発症し、五歳で再発、さらに九歳で急性骨髄せ白血病がわかり、物心つく前から手術や抗がん剤による薬物療法、それに放射線治療を繰り返し受けた。左半身の麻痺はその後遺症によるもので、今なおいつガンが再発してもおかしくない)
には、鈴之助介(スズ君)のことで一つ心残りがあった。入院中に鈴之介がしてくれた学生服の第二ボタンをくれるという約束が果たされていなかったのだ。もう会うことが叶わないなら、せめて第二ボタンがほしい。
 恭子は娘の悲しむ姿を見る度に力になりたいと思った。三月の卒業式が終わった後、恭子は鈴之介の両親に連絡し、「紗輝がスズ君の第二ボタンをほしがっているのでいただけないでしょうか」と尋ねた。鈴之介の両親にしてみれば、貴重な遺品の一つだったはずだったが、両親は快く「ええですy」と言ってくれた・
 鈴之介の母親は第二ボタンを手渡す時、こんなことを言った・
「これで、うちは紗輝ちゃんの姑やわ。鈴之介と同じように、うちもいつまでも紗輝ちゃんのこと大切に思ってるからな。がんばって生きてな」
 紗輝は第二ボタンを大事に受け取り、これをお守りとして病と闘っていこうと誓った。

・「こどものホスピスプロジェクト宣言」
1)生命を脅かす病気の子供たちと、その家族のパートナーとして活動する。
2)子供たちのための緩和ケアを実践する。
3)英国の小児ホスピスのガイドラインの目的を尊重した活動を行う。
4)小児緩和ケア専門施設の設立を目指すとともに、地域での緩和ケアを実践する。
5)国際小児緩和ケアネットワークの憲章を遵守し、全世界の関連施設、団体、人とともに小児の緩和ケアの発展を目指す。

・沙也加は初めてホスピスに来たときには人工呼吸器をつけて車イスにに横たわり、体を動かすことさえできない状況だった。・・・
 家族に一筋の光をもたらしたことがあった。ある日、家族がホスピスに遊びに来たところ、ボランティアの音楽療法士が「ピアノの演奏をしてあげよっか」と口火を切り、彼女のピアノ演奏をバックに、みんなで絵本の読み聞かせをした。
 スタッフが絵本の朗読をはじめた時、沙也加は無表情で天井を向いていた。だが、読み進めるにつれて、沙也加の瞳が潤んできた。透明な涙が少しずつ溜まっていく。
 スタッフの一人がそれに気づいて言った。
「あれ、沙也加ちゃんが泣いてる!」
 両親や弟が集まって、沙也加の顔をのぞき込む。たしかにその目は泣いているように潤んでいる。
「感動してるんだよ。沙也加ちゃん。体は動かせなくても、耳だけは聞こえていて、ピアノ音や絵本の話がわかっているんだ!」
 家族は大喜びして耳元に口を近づけ、次々に沙也加の名前を呼んだ。

・原先生はこう言ったんです。
「『・・・必要なのは、治る見込みのない幼い子供に苦しい治療を強いることじゃなく、子供の遺された命を充実させてあげることだと思います。それができれば、祐太君もご両親のもとに生まれてきたことがよかったと思うし、ご両親も祐太君を授かってよかったと思えるはず。そういう幸せの見つけ方もあるんじゃないでしょうか』
 これを聞いた瞬間、僕ら夫婦は眼を開かされました。親が意固地になって祐太をベッドに縛りつけるより、短い期間かもしれないけど、祐太のしたいことを好きなだけさせてあげようと感が直したんです。それ以来、僕たち夫婦は自由にできる時間をすべて祐太のためにつかうことにしました」

・私(著者)はホスピスで聞いた「深く生きる」という言葉を思い出さずにはいられなかった、紗輝はたしかにそう生きている死、将来そのバトンを他の人につなげようとしている。それこそが、ホスピスにかかわる全員が目指す未来なのだろう。

感想
 入院児と遊ぶボランティア(NPO法人 病気の子ども支援ネット)があります。

入院児の子どもを支えるために、キャンプを続けていた3人の小児科医を追い続けた
ドキュメンタリ映画



入院児と遊ぶボランティア(体験記)を体験した病院は東京医科歯科大附属病院小児病棟でした。
そこには多くの固形がんや白血病で子どもたちが入院していました。
その時に小児科の先生から聞いたのは、昔は小児がんを助けることができなかったけど、今は7~8割ほど助けられるようになったとのことでした。
でも2~3割は助けられませんとのことでした。
実際に遊んだ子どもさんが亡くなりました。
よっくんです。
よっくんは多くのポエムを残しています。