幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

プーチン氏「歴史にウクライナなし」 根拠の古地図、クリミア「外国」 ”事実を歪曲する”

2023-05-24 17:57:17 | 社会
 ロシアのプーチン大統領は23日、「ソ連当局がウクライナ共和国を創建したのは有名だ。ウクライナは人類史上、それまで存在しなかった」という認識を改めて披露した。 
 憲法裁判所のゾリキン長官とモスクワで会談した中で語った。  ゾリキン氏は、17世紀にフランスで作成された地図のコピーを根拠として持参し、「ウクライナはない」と誇らしげに伝えた。これを受け、プーチン氏が独自の歴史観に言及した。
  独立系メディア「ビョルストカ」は、プーチン政権が「固有の領土」として2014年に一方的に併合したウクライナ南部クリミア半島が、同じ地図でロシアとは別の「クリミア・ハン国」と明記されていると指摘。政権のずさんな主張を皮肉った。

感想; 

 国の変遷は複雑のようです。
今言えてることは、ロシアがウクライナから強制的に小麦粉を奪って、ウクライナの国民約300万~600万人が飢餓で亡くなった(ロシアでは飢餓は起きなかった)という悲惨な歴史があり、ウクライナの人にすると、ロシアの支配下にはいると自分たちが守れないということです。

 騙されないためには、正しく知ることでしょう。

相次ぐサラダ類への「カエル」混入…なぜ? 「カエルは今の時期、1年で一番活発」 ”苦情になる前に製造工程で事前に見つかっており、その対策が不十分な結果では?”

2023-05-24 03:24:48 | 社会
<a href="https://news.yahoo.co.jp/articles/34d6195613f1415db65367475356fbd3c6bdae54">https://news.yahoo.co.jp/articles/34d6195613f1415db65367475356fbd3c6bdae54 5/23(火) 18:48配信山陰放送</a>
スーパーなどで販売されたサラダ類に「カエル」が混入するケースが相次いでいます。専門家らは「カエルは今の時期、水場が近い場所にはどこにでもいる」などとして、落ち着いた行動を呼びかけています。 
 「カエルは今の時期、1年で一番活発」 5月11日、長野県上田市内のスーパーでサラダを購入した客から「カエル」と見られる異物が混入していたと店に連絡がありました。 サラダを製造したのは松本市の会社で、カエルは、原材料の野菜に混ざり込んでいたと見られることがわかりました。混入したのは、国内に広く分布する体長2センチから4センチほどの「二ホンアマガエル」だということです。
  また23日には丸亀製麺が、「丸亀シェイクうどん」にカエルが混入する事案が発生したと発表しました。 丸亀製麺の発表によりますと、カエルが混入したのは21日に諫早店で提供された「丸亀シェイクうどん」メニューの一つ、「ピリ辛坦々サラダうどん」で、生野菜を使用する一部の商品は25日まで販売を休止するということです。
 丸亀製麺は、保健所の指導を仰ぎ、野菜の加工工場でカエルが混入したと判断。生野菜を扱う取引先の全ての工場において立ち入り検査を実施し検品体制を強化するということです。 なぜ、サラダ類へのカエル混入が相次いでいるのでしょうか。 両生類など動物に詳しい鳥取県立博物館の川上靖学芸課長によると、5月下旬から6月にかけては、アマガエルが1年で一番活発な繁殖の時期に入り始めていると言います。 

 鳥取県立博物館 川上靖 学芸課長 
 「カエルの場合は、赤ちゃんがオタマジャクシで水の中で育つので、卵を産む場所、水のある場所を求めて活発に動いている時期です」 そのため、水場が近い場所ならカエルはどこにでもいる可能性があると言います。

鳥取県立博物館 川上靖 学芸課長
  「実際にどこで混入したのかが分からないので何とも言えないですけど、外にある野菜であれば、色んな生き物がついていたりして当たり前の話かなと思います。もし建物の中であるんだったら、建物の管理の上で、外からの生き物が入りやすい状況があったかなかったかを考えていくのが、原因を考えるポイントかなと思います」

また、爬虫両生類の調査・研究を行っている兵庫県の日本ハンザキ研究所の岡田純理事長は、冬眠から目覚めたカエルが混入した可能性を指摘します。 日本ハンザキ研究所 岡田純 理事長 「5月上旬頃からは田んぼからカエルの鳴き声が聞こえてきますが、近くにある畑で冬眠していたカエルが繁殖のためエサを獲ろうと活発に行動しているので、野菜についたまま収穫し出荷したか、コンテナに入りこんだ可能性もあります」 二ホンアマガエルは立体的な動きができ、自動販売機などでもよく姿を見るカエルで、行動範囲が広いこと。そして小さい個体であるため、レタスなどの野菜に付着しても気付かないことは容易に考えられるということです。 

日本ハンザキ研究所 岡田純 理事長
 「何らかの拍子で混入することは珍しいことではありません。サラダにカエルが入っていたら驚きますが、少し口に入っても健康被害などはないと考えられるので、落ち着いて行動してほしいと思います」

感想; 
 苦情が起きる前に、製造段階で見つかっている可能性大です。
野菜の洗い作業で見つかっていたのを、きちんと対策しなかったから、製品にコンタミしたのです。
 苦情になったのは氷山の目に見えている部分です。
 丸亀製麺にカエルなどが見つかった時、報告してそして対策する仕組みがあったのでしょうか? 
状況から考えるとないようです。
それを報告して対策する仕組みをきちんと導入することが必要ではないでしょうか。

発達障害の息子が麻布中学に合格。フリーアナウンサー・赤平 大さんが息子のため、発達障害への理解のために夢中で始めた動画ビジネスとは ”発達障害の個性を生かせるか”

2023-05-24 02:55:55 | 社会

フリーアナウンサーの赤平大さん。息子さんの麻布中学入学が大きな話題に

フリーアナウンサーの赤平大さんにインタビュー。「4歳のときに息子さんが発達障害と診断された」
4歳のときに息子さんが発達障害と知り、中学一年生になる今も寄り添い続けているフリーアナウンサーの赤平大さん。最近では息子さんが麻布中学に入学したことが大きく話題になりました。けれど、赤平さんはそれを「成果」とは思っていません。では、赤平さんは発達障害を通して何を社会に訴えたいのか。今回は赤平さんが運営する「インクルボックス」の事業にも触れながら、お話を伺います。 

発達障害の息子が麻布中を本気で目指したのは2ヶ月前

――赤平さんの息子さんが発達障害という特性を持ちながら麻布中学に合格した話は、大きな話題になりました。しかも塾にも行かず、勉強時間も限られる中、麻布中を志望校にしたのは受験の2ヶ月前なんですね。 息子はADHD(注意欠如・多動症)、ASD(自閉症スペクトラム)、LD(学習障害)が複雑にからみ合いながら、高IQでもありました。 鉛筆で文字を書くのが苦手だし、1日1時間しか勉強に集中できなかったりと、中学受験をするには困難な特性がいろいろありました。ただ、息子の発達障害の特性のひとつに「ルーティンへのこだわり」があり、それを活用して「毎朝学校に行く前の1時間は勉強」「病院や空港の待ち時間のような隙間時間は勉強」など特性を学習に繋げる工夫をたくさんトライ&エラーしました。 このような勉強法を小学校1年生の頃から続け、算数検定を受けたり先取り学習をしたりコツコツ続けました。そんな経緯のなか、昨年12月、長男から「麻布に行けるなら行ってみたい」と言われたんです。当時の偏差値は50台でしたが、結果に関わらず自分の限界を越える経験をして欲しかったので「やるからには本気で合格」を息子と狙いました。2ヶ月で大幅に偏差値を上げるために、息子の特性に合った発達障害学習支援法でサポートし、その結果合格したといういきさつです。
 ――最初から麻布を目指していたわけではなかったのですね。 実は、当初は横浜にある発達障害に手厚いことで有名な私立中学に行こうと息子と言っていて、入学の準備をしていたんです。個別指導計画が充実していて、その子に合わせた教育が受けられ、友達もできやすいのではないかと。ただ、私が千代田区立麹町中学校の学校改革を手伝っていた関係から、当時の麹町中学の校長、工藤勇一校長(現・横浜創英中学校・高等学校校長)に息子に関していろいろとアドバイスをいただいていました。息子が小学3年の時その工藤校長が「息子さんには麻布が合うと思いますよ」と言ってくださったんですよね。でも、中学受験を考えていなかったので、とくに目指すわけでもなく「麻布=偏差値の高い学校」という程度の認識でした。 入学してみると、やはりいろいろなことがあり、当初から父親として大変だなという思いも重ねました。息子は今のところなんとかやっているようです。ただ、もししんどくなったらいつでも転校していいからね、と言っています。「無理をしない」というのも、発達障害の子には大切なことです。

発達障害の子は「精神年齢」と「知的年齢」の開きを理解してもらいにくい
――息子さんが12歳になり、小さな頃とはまた違う課題がありますでしょうか。 発達障害の子は肉体年齢と精神年齢の乖離があると言われています。特にうちの子は高IQなので、この場合乖離が大きくなる事があるそうです。例えば、精神年齢は小学校1年生程度だけれど、知的年齢が高校1年生程度、というように。大きくなると、その幼い部分に周囲が違和感を覚えますよね。 精神年齢の面で言うと、対人関係やリテラシーなど自然に取得していくモラルが身につくことが遅かったり、その機会が得られないということがあります。息子は小学校6年間での深い友人関係が多くありません。だから揉める、話し合う、空気で察するなどという経験がことごとくない。コンビニで買い物をするのが大変、電車に乗るのが大変、同年代のほかの子より、いろんなことが遅れています。でも、できることをやるしかないのです。

「インクルボックス」で発達障害の理解を高める動画を制作
――赤平さんはお子さんをケアしながら、一方で社会の中で発達障害の理解を深めるような動画を作っていますね。 『インクルボックス』という、発達障害やギフテッドの支援者向けの動画メディアです。発達障害のお子さんをお持ちのパパママや、幼稚園・保育園・学校の先生、同僚に発達障害者の方がいるビジネスパーソンなどが、発達障害やギフテッドを理解いただき、支援しやすくするための専用チャンネルです。 忙しい日々の中の隙間時間でも観ていただけるよう、10分以内の動画を制作、1分動画もあります。 キーワード検索で知りたい支援方法も簡単に動画で見られます。現役のテレビ制作チームが作っている動画で見やすい字幕、聴きやすいナレーション。2022年からスタートして現在450本の動画を配信しています。

動画の配信事業をおこしたのは啓蒙のため、息子が幸せに生きていくため
――すばらしいですね! そのように発達障害の啓発活動をする理由は……。 発達障害・ギフテッドは100人いたら100通り、パターン化できないのです。私も論文を読みあさり、民間資格を複数とり、講演を何度やらせていただけるようになっても、まだ足りないと思っています。そんな中で本人もパパママも苦しんでいる。ならば、まずは社会の理解を高めなければならない。啓蒙が重要だと思ったんですね。そのためには、メディア、とくに動画が相性が良いと考えました。私たちのような動画のプロが早く安く学べるコンテンツを提供することができればと思いました。「発達障害を理解してくれ」と旗を振るだけじゃなくて、現実に落とし込むことを考えたんです。 それも何より息子のためです。息子が幸せに生きていくために私は学び、声を上げ、動画も制作する。息子が成長するまでに発達障害を理解する社会が成立する事が『インクルボックス』最大のミッションです。

「恥ずかしいから来ないで」と言われる日が来ようとは…
――お子さんは日々成長しますね。親がじっくりと寄り添える小学生の頃と、自立が始まる中学生では、関わり方も変わってくるかもしれません。 小学校の頃はずっと送り迎えをしていました。持ち物のチェックも勉強もみんなやってきました。中学になって忘れ物をしたので、「届けに行くから校門のところにいて」と連絡したのですが、「恥ずかしいから校門に来てほしくない」と言うんです。成長したなぁと思いました。「ああ、サラダ記念日だ」と(笑)。
――俵万智さんのサラダ記念日ですね。「いい」「うれしい」を表現するのがサラダ記念日ですね、でもそれは親を卒業していくという少し寂しい記念日ではないでしょうか。 まさにそうなんです。それで感慨にふけっていたら、息子が「サラダ記念日って何? ほかにどんな記念日があるの? スープ記念日とかメインディッシュ記念日とか?」と言ってくるので、おもしろくてまた寂しくて。 親はいつでもそういう存在ですね。安全に生きていってほしい、だまされずカツアゲもされず……、と思うけれど、そういう親の心配をよそに、子どもは子どもなりに成長していくのだなぁと思います。それを見守るのが親の務めなのかもしれませんね。  赤平さんが始めた発達障害専門の動画メディア「インクルボックス」のトップページには「インクルージョンをもっと身近に」というコンセプトが掲げられています。多様な個性を持った人々が混ざり合い、互いに尊重できる。困りごとを抱えた人のことを理解し、助け合える。そんな世の中になるための一助となるサービスを、HugKumは今後も応援していきます。 「インクルボックス」は会員制ですが、無料視聴できる動画も多数あります。まず知ることから始めてみてください。 

【お話を伺ったのは】 赤平 大|あかひら まさる 元テレビ東京アナウンサー。現在はフリーアナとしてWOWOW「エキサイトマッチ」「ラグビーシックスネーションズ」ジェイ・スポーツ「フィギュアスケート」など実況、ナレーターとして「ザ少年倶楽部プレミアム」など担当。 2015年から千代田区立麹町中学校でアドバイザーとして学校改革をサポート。2022年から横浜創英中学・高等学校でサイエンスコース講師を担当。発達障害学習支援シニアサポーター、発達障害コミュニケーション指導者などの資格を持つ。早稲田大学ビジネススクール(MBA)2017年卒 優秀修了者。発達障害専門メディア インクルボックス運営。incluvox | インクルボックス


感想
 麻布中高は生徒の個性を大切にする学校のようです。
アスペルガーも今は発達障害の一つになっています。
ニュートンやアインシュタインもアスペルガーと言われています。
発達障害は一つのことにのめり込める集中力を持つ人が多いようです。
それが生かされると大きな成果を生み出すことがあるようです。
 発達障害が個性になるような仕事を見つけられるかどうかも大きいようです。


人生の意味に悩む人のために ~ロゴセラピーからのメッセージ~|臨床心理士 草野智洋 ”生きる意味はあるのか?”

2023-05-23 17:54:17 | 社会

生きることに何の意味があるのか?
「何のために生きるのか?」、「なぜ生きなければならないのか?」、「生きることに何の意味があるのか?」。これらは言わば人生の意味に対する疑問といえます。このコラムを読んでくださっているということは、あなたは多少なりともこういう疑問を抱いておられるのでしょう。
ですが、家族や友人と気軽に人生の意味について話し合うことができる人、そしてそれによって人生の意味に対する疑問が解消した人というのは、あまりいないのではないかと思います。日常生活で話すにはちょっと「重い」テーマですよね。
こういう問題にあまり関わり過ぎると変な宗教に騙されちゃうんじゃないか、と心配になる人もいるかもしれません。宗教は本来は人間の助けになるはずのものですが、現代の日本人にとってはちょっと怖いもの、あまり近寄らないほうが良いもの、という印象を持たれる方が多いでしょう。

ロゴセラピストとして、人生の意味と向き合う
かく言う私は10代の頃からずっと人生の意味に対する疑問を抱いており、大学では宗教学という学問を専攻しました。
人生の意味の答を求めて宗教に関心を持ったものの、一般的な日本人と同じく「何かの宗教を信仰する」ということにはどこか抵抗のあった私が出会ったのが、ヴィクトール・フランクルという心理学者(精神科医)であり、彼の創始したロゴセラピーでした。その後、紆余曲折はありましたが、大学院に進学して臨床心理学を学び、現在はロゴセラピーを専門とする臨床心理士(ロゴセラピスト)として、人が人生を意味あるものにするためのお手伝いをしています。

人間は、人生の意味に悩むものである
ロゴセラピーの立場からまず自信をもってお伝えしたいことは、「人生の意味について悩むことは決しておかしなことではない!」ということです。それは、人間だからこそ悩むことのできる最も人間らしい悩みである、とフランクルは言います。いかがでしょう? 私の場合は、この言葉だけでもずいぶん救われた思いがしました。
「そんなことを考えてる暇があったらもっと働きなさい!」とか「え? そんなこと考えてるの? おかしいんじゃない?」などとは言われません。「うんうん、やっぱりそういうことって考えちゃうよね、人間だもの。」というのがロゴセラピーの基本的なスタンスです。
ロゴセラピーでは、意味を求める「意味への意志」こそが人間の最も根源的な動機であると考えます。簡単に言えば、人間にとって最も大切なのは「意味」だということです。「そんなことはない。私にとって一番大事なのはお金だ。」という人もいるかもしれません。
しかし、ではそのお金は何のためにあるのかを考えてみてください。お金は、家族を養ったり趣味を楽しんだり夢を叶えるための勉強をしたりと、人生を意味あるものにするための手段としては、確かに役に立ちます。しかし、お金は人生の意味そのものではありません。
失われた10年だ20年だと言っても、日本は経済的にはまだまだ豊かな国です。もしも経済的な豊かさが幸福に比例しているのであれば、日本人はみな多くの発展途上国の人々よりも幸せでなければなりません。
しかし、実際のところどうでしょうか? 日本の自殺率は減少傾向にあるとはいえ、まだまだ世界の中で高い水準のままです。仕事をすればそれなりに生きていくだけのお金を稼ぐことはできます。養ってくれる家族がいれば働かなくても生きることはできます。社会保障もそれなりに充実しています。
そんな今の日本では、「生きること自体」はそれほど難しいことではありません。しかし、だからこそ、「何のために生きるのか」という生きる意味を見つけることが難しくなっているように私は感じます。すなわち生きる意味が見つからないということは「意味への意志」が満たされていないということです。

生きる意味を見失う苦しみ
生きる意味とは酸素のようなものだと私は思います。普通に呼吸をして生活しているときには、私たちは酸素のことなど気にもとめません。しかし、酸素が薄くなって苦しくなると、私たちは酸素が人間にとってどれだけ大切だったかに気がつきます。生きる意味を見失ってしまった人の苦しみは、そうでない人にはなかなか理解されません。

人生の意味とは何か?〜ロゴセラピーが教えてくれること
それでは、人生の意味とはいったいなんでしょうか?「人間は○○のために生きる」という○○にあてはまる正解を、ロゴセラピーは教えてくれるのでしょうか?実は、残念ながらそうではないのです(さんざん引っ張っておいて、すみません)。
ロゴセラピーの立場からは、普遍的・一般的な形で人生の意味とは何かを答えることはできません。例えば、チェスや将棋のようなゲームを考えてみてください。チェスや将棋で「一般論としての一番良い手」とは何かを語ることができるでしょうか。チェスや将棋では、刻々と盤面の状況が変わっていきます。「今のこの盤面の状況での一番良い手」ならば考えることができますし、むしろ重要なのはそっちです。
チェスや将棋の喩えと同じように、人生の意味というテーマに関しても、「人間は○○のために生きている」といった形で、全ての人間のどのような状況にも当てはまるような普遍的な「○○」を論じることはできない、というのがロゴセラピーの立場です。
だったらロゴセラピーなんて役に立たないじゃないか、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私はそうは思いません。ロゴセラピーは、普遍的・一般的な人生の意味を教えてくれるものではありませんが、私たち一人ひとりが生きている「この人生」を「意味のあるものにする」ための方法ならば教えてくれます。

人生を「意味あるものにする」ために
ここで少し「意味(名詞のmeaning)」という言葉と「意味のある(形容詞のmeaningful)」という言葉について整理しておきます。ロゴセラピーは一般論としての人生の「意味」は教えてくれないけれど、自分の人生を「意味のある」ものにする方法ならば教えてくれる、と述べました。
別の例で考えてもらいたいのですが、おいしい料理を作りたい場合に、「おいしさ」とは何かを教えてほしいという人はいませんよね。重要なのは(名詞の)「おいしさ」とは何かを知ることではなく、(形容詞の)「おいしい」料理を作ることです。寒くて凍えている人にとって大事なことは、「暖かさ」とは何かを知ることではなく、「暖かく」することです。
それと同じように、人生の意味に悩む人にとって大切なことは「意味」とは何かを知ることではなく、人生を「意味のある」ものにすることだと言えます。

人生からの問いに「答える」
さて、ロゴセラピーが教えてくれる人生を意味のあるものにする方法とは、どのようなものでしょうか? それは、「人生の意味とは何か」と問うことをやめ、自分が人生から「問われている」ことに気づき、人生からの問いに「答える」ということです。問うことをやめて答える。この抜本的な考え方の変化を、ロゴセラピーでは「人生の問いのコペルニクス的転回」と呼びます。
しかし、なんだかわかったようなわからないような話ではありませんか? 人生から問われているとはいったいどういうことでしょう? 人間と違って人生は生き物ではありません。人生に口があって言葉を話すわけではありません。人生さんと話したことのある人はいないでしょう。しかし、確かに人は人生の意味を問います。あれはいったい誰に対して問うているのでしょうか?
「コペルニクス的転回」とは、天動説から地動説への転回、すなわち180度すっかり向きを逆方向にすることです。人生に口があって問いを発するのかどうかはよくわかりませんが、少なくとも人生の意味に対する疑問を抱いていた人が、「何か」に向かって問いを発していたことは事実です。
コペルニクス的転回というぐらいですから、その「何か」から逆に自分が問われているということにしておきましょう。問うているのが人生なのか何なのかは、ひとまず置いておきます。要は、私たちは何かから問われており、それに答えなければいけないらしいということです。

今この瞬間の状況において、最も意味のある行動を選択する
ではいったい「答える」とはどういうことでしょうか? どうすれば私たちはその問いに答えたことになるのでしょうか? ロゴセラピーの考え方によれば、「人生からの問いに答える」とは、「今この瞬間の状況において、最も意味のある行動を選択する」ということです。
例えば、駅のホームを歩いていて目の前で人が線路に転落したという状況があったとしましょう。この状況では、どうすることが最も意味のある行動でしょうか?勇気があれば自分も線路に飛び降りてその人を救いあげることができるかもしれません。
そこまではできなくても、急いでホームに設置されている列車の緊急停止ボタンを押すことはできるかもしれません。大声で駅員さんや周囲の人に助けを求めることならできるかもしれません。そうやって一人の人間の命を救うことができたなら、その行動にはなんと意味があるでしょうか。

しかし、その状況で落ちた人を助けるのではなく「見て見ぬふりをする」という行動を選択することも、私たちには可能です。自分が助けなくても他の人が助けるかもしれません。落ちた人が自力で這い上がってくるかもしれません。自分がぶつかったり突き落としたりしたわけではないのですから、別に自分が助けないといけないという決まりはないはずです。
線路に落ちた人を助けるという行動と助けないという行動、私たちはそのどちらを選択することも可能です。しかし、どちらの行動により意味があるか、どちらが「人生からの問い」に対してより正しく答えているか、その答は明らかでしょう。
ほぼ全ての人が「助けることに意味がある」と答えるのではないでしょうか。しかし、どうして私たちは、ある行動と別の行動を比較して、どちらの行動に「より意味があるか」がわかるのでしょうか。

良心が指し示す最も意味のある行動を選択する
ロゴセラピーでは、人間には良心が備わっているから、その状況で自分がどうすることに最も意味があるかを認識することができる、と考えます。人間の目が光を感知し、耳が音を感知するのと同じように、人間は良心によって意味を感知することができる、というのがロゴセラピーの考え方です。
ただしこれは生物学的な話ではなく、あくまでも良心というものどう捉えるかというイメージの話です。さて、それでは、もし人が良心に反した行動をとるとどうなるのでしょうか? 別の例で考えてみましょう。
私は学生で、テストを受けています。しかし、勉強を怠けていたせいで全くわかりません。このままではひどい点数になってしまうでしょう。そんなとき、勉強が得意な前の生徒の答案が自分の席から丸見えだということに気がつきます。先生はこちらを見ていません。チャンスです。それを写せば、私は高得点をとることができるでしょう。
この状況では、どのような行動の選択肢が存在するでしょうか? その中で、良心が指し示す最も意味のある行動はどのようなものでしょうか?
話を単純化すると、この状況では前の生徒の答案を写す(カンニングをする)という行動と、自力で頑張る(カンニングをしない)という行動という二つの選択肢があります。
しかし、もしカンニングをして良い点数をとったとしても、そんな風にしてとった高得点には何の意味もないということは、私自身が一番よくわかっています。自分がカンニングをしたことが誰かに見られていたのではないか、陰で噂をされているのではないかと、良心の呵責に苛まれ、心が休まるときはありません。

「状況における意味」の積み重ねが「人生の意味」になる
このように、私たちは良心によって、今どうすることに意味があるか、逆にどうすることには意味がないかを感じとることができます。ただし、良心によって感じとることができるのは、あくまでも自分が今置かれている「状況における意味」です。
そして、このような「状況における意味」の積み重ねが次第に「人生の意味」になってきます。もしも意味がないと自分でわかっている行動の選択を繰り返していけば、その人の人生は罪悪感や空虚感にまみれたものになります。
それに対して、その都度の状況において良心が指し示す最も意味のある行動を選択することによって、充実感や充足感が感じられます。その小さな一つ一つの行動選択の積み重ねが、自分が生きていることには確かな意味があるという感覚につながっていくのです。

「やりたいことをやる」の二つの側面
これまで書いてきた通り、ロゴセラピーでは良心に従うということを重視しています。なぜなら、良心は意味を認識する器官であり、人生を意味あるものにするための羅針盤のような役割を果たしてくれるからです。おいしい料理を作るために頼りになるのは自分の舌の感覚ですが、意味ある人生を送るために頼りになるのは自分の良心の感覚です。
ところが、私たちが生きていくうえで良心以外に行動選択の指針としがちなものが二つあります。一つは自分の欲望、もう一つは他人の目(人からどう思われるか)です。

人間が良心ではなく欲望に従って生きていくとどうなるでしょうか。最近は「自分がやりたいことをやることが大事」ということがよく言われます。この意見には私も概ね賛成します。ただし、「やりたいこと」と言った場合に、それは良心のレベルでのやりたいこと(この場合は「信念」と言っても良いかもしれません)なのか、欲望のレベルでのやりたいことなのか、この二つを区別する必要があります。
例えば、今の仕事を辞めて自分の夢を追いかけたいという場合を考えてみましょう。家族や友人は「もったいない」、「リスクが高い」などと言うかもしれません。
しかし、そうしたメリットもデメリットも全て理解と覚悟をしたうえで自分の良心(信念)に従ってその道を選択するのであれば、後で後悔することもないでしょう。たとえうまくいってもいかなくても、「あの時この道を選んだことには意味があった」、「これが私の人生だ」と思えるはずです。失敗したことを他人のせいにしたり世の中のせいにしたりすることもありません。
同じように「やりたいこと」と言っても、アルコール依存症で治療中の人が「お酒を飲みたい」という場合はどうでしょうか。これは単なる欲望のレベルでのやりたいことです。もちろんそこで欲望に従ってお酒を飲むという選択をすることも可能ですが、ここで一時的に欲望を満たしても意味がないことは当人が一番よくわかっているはずです。
そのような行動の選択をしていると、結局あとで後悔することになり、自己嫌悪に陥ったり、自分の存在の価値を感じられなくなります。また、欲望は一つ満たせばまた次の欲望が生まれてくるという性質を持っています。欲望を満たすことによって幸福になろうとする生き方は、自分の鼻先にぶらさげたニンジンを追い続ける馬のようなもので、いつまで経っても満たされることがありません。

自己中心的ではなく自己超越的な生き方を
欲望に従った生き方は、あくまでも自分の利益や快楽を目的とした「自己中心的」な生き方です。それに対して、良心に従った生き方は、もちろん自分の利益にもなる場合はありますが、それだけではなく自分以外の誰かや何かのためにもなる「自己超越的」な生き方だと言えます。自己中心的ではなく自己超越的な行動の選択をすることが、意味のある人生のための大切なポイントです。
自分以外の誰かや何かのためとは言いましたが、だからといって「人からどう思われるか」を行動の指針にするのも空しい生き方です。20世紀の欧米社会に生きたフランクルは、人生を意味あるものにするために自己中心的な生き方ではなく自己超越的な生き方をすることを強調していました。

行動指針は、他人の目ではなく自分の良心
しかし臨床心理士としての私の経験では、21世紀の日本社会で悩みを抱えて生きている人の中には、欲望まみれの自己中心的な人よりも、必要以上に他人の目を気にして自分を殺してしまっている人のほうがずっと多いような印象があります。人から変に思われないように、場の空気を壊さないように、目立たずみんなと同じように生きていれば「無難」です。しかしそれはもう少し強い言葉で言えば「保身」にすぎず、自分が生きる意味は感じられません。
もちろん私はわざと人から変に思われるような行動をとることを勧めているわけではありません。良心に従った意味のある行動と他者から評価される行動とは、たいていの場合には一致するでしょう。
しかし、たとえ場の空気を壊したとしても、ここぞという場面では言うべきことを言ってやるべきことをやる、そうすることに意味がある、という局面は存在します。それは非常に勇気のいることですが、後になって「あのとき勇気を出していれば…」と後悔することにならないよう、人生を意味あるものにするための行動指針は、あくまでも他人の目ではなく自分の良心なのだということを意識しておく必要があります。

人生は選択の連続である
長い人生の中で、私たちは意識するしないにかかわらず、無数の行動選択を行っています。全ての瞬間の全ての行動を良心に従って選択するということは、現実的には不可能でしょう。私自身もそのようなことはできていませんし、ロゴセラピーの創始者のフランクルも、「私は自分の原則にいつも忠実に生きてきたわけではない」と述懐しています。
人生のあらゆる瞬間のあらゆる行動選択を良心に従って行うことは理想ではありますが現実的ではありません。しかし、良心に従った選択ができなかったと落ち込んでいる暇はありません。なぜなら、ある行動を選択した(もしくはしなかった)次の瞬間には、もう次の行動選択の機会がやってきているからです。
意味のある行動の選択ができたときもできなかったときも、チャンスは常に次から次へとやってきます。どんなに良い一日でも嫌な一日でも、一晩眠ればまた同じように太陽が昇って新たな一日が始まるということと少し似ているかもしれません。
良心に従って「生きていこう」とすることはできる
ですから、人間は死の間際まで、人生を意味あるものにするチャンスに恵まれているのです。これまで自分の欲望や他人の目に従った行動ばかりしてきて自分の生きる意味がわからなくなってしまったという人でも、明日から、いえ、今この瞬間から、自分の良心に従って生きていくことが可能です。「生きていく」ことはちょっと大変かもしれませんが、少なくとも、自分の良心に従って「生きていこう」とすることは可能です。
ここまでの話で、なんだか道徳のお説教のようだな、と思われた方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ロゴセラピーはただの心理学(哲学的要素を多分に含んではいますが)であり、道徳ではありません。
私自身も自分が道徳的な人間であるとは思っていませんし、相談に来られる方をロゴセラピーで道徳的な人間にさせようだなんて少しも思っていません。この点について、誤解のないように補足しておきます。
「このように生きなければならない」と言うつもりは私にはありません。人生を意味あるものにしようとしまいと、欲望に従おうと他人の目に従おうと自分の良心に従おうと、それはその人の選択です。私は決して、良心に従って生きている人間のほうが欲望に従って生きている人間よりも偉いとか価値があるとか、そのようなことを言いたいわけではありません。
ロゴセラピーは「人間は自己超越的に生きなければならない」というお説教ではなく、「人間は本質的に自己超越的な存在である」という人間観と「人間は自己超越的に生きたときに生きる意味を感じられる」という心理学的知見をお伝えしているにすぎません。その考え方を受け入れるかどうか、そしてそのように生きようとするかどうかは、完全にその人次第です。

あなたは自分の欲望の奴隷でも、他人の操り人形でもない
しかし、この長い文章をここまで読んでくださったということは、あなたはやはり人生を意味あるものにしたいと願っているのではないでしょうか。もしそうであれば、騙されたと思ってしばらく(試しに1か月ぐらいどうでしょう?)良心に従った自己超越的な行動の選択を意識してみてください。
きっと、今までとは違った充実感が感じられると思います。それは別の言い方をすれば、自分が自分の人生の主人公であり、本当の意味で自分の人生を生きているという感覚です。あなたは自分の欲望の奴隷ではありません。他人からの評価を気にして他人を喜ばせるために存在する操り人形でもありません。自分の意志次第で人生を意味のあるものにすることができる、自由と責任をもった人生の主人公なのです。
おわりに
ここに書いたことは、膨大な(そして難解な)ロゴセラピー理論のごく一部を、現代の日本で生きる意味に悩んでいる人へのメッセージとして、私なりの解釈とともに記したものです。
ロゴセラピーには、人生を意味あるものにするためのヒントがまだまだたくさん詰まっています。ご関心のある方は、ぜひ下記の本をお読みいただいたり、研究会やゼミナールなどにご参加ください。人生の意味について真剣に考えている人たちとの出会いが待っています。

感想
 いろいろな心理療法を本で知り、そして辿り着いたのがロゴセラピーでした。
自分の考えや生き方に支柱を与えてくれたように感じました。

「さあ、じぶんの才能に目覚めよう あなたの5つの強みを見出し、活かす」マーカス・バッキンガム&ドナルド・O・クリフトン共著 ”先ずは自分の才能を知る”

2023-05-23 01:46:46 | 本の紹介
・成功を収めたすべての人々に共通すること。
それは、自らの才能を磨き、仕事に活かす術を知っていることだ。
常に完璧に近い成果をあげるためには、自分のことをもっとよく知っておかなければならない。

・才能とは、無意識に繰り返される思考・感情・行動パターンであり、何かを生み出す力だ。たとえば、頑固さ、神経質といった欠点さえ、それが力を生み出すなら「才能」となる。才能はだれにでも必ずある。

・3つの大切な点を覚えていて下さい。
1)脳の成長は止まることがない。脳はいつでも変えられるし、成長させられます。
2)脳を助ける一番良い方法は運動です。
3)普段からスポーツをしていなくてもいいし、運動が得意でなくてもかまわないのです。脳はどんな運動をしているかは気にしません。ともかく運動さえすればいいのです。

「もしきみたち(学生)と私になんらかのちがいがあるとすれば、私は毎日朝から晩までこの世で一番好きなことをしている。ただそれだけのことではないでしょうか。きみたちに向けて何かアドバイスめいたことが私にあるとすれば、それに尽きます」

・強固な人生を築くのに最も大切な三つの原則を次に挙げよう。
1)強みは首尾一貫することができて初めて、真の強みになるということだ。
2)満足のいく成果を得るには、自らの職務に関わるすべての業務に適した強みを持つ必要はないということだ。
3)傑出した存在になるには強みを最大限に活かせ、ということだ。

・三つの革命ルール 強みを中心に捉えた人生を築くには何が必要か
1)「才能」と「経験によって身についた能力」を区別する
 才能、知識、技術(行動のための手段)。この三つが組み合わさって初めて強みが生まれる。
2)才能を特定する
3)才能をことばであらわす

感想
 自分の強み、才能を知り、それを生かすことのようです。

 仕事でもやりたくないけど、しないといけないことと、やりたいことがあります。
やりたいことをやっているのは時間を忘れるときもあります。
両方とも必要なのでしょう。