・再発が確認された日の精神状態は比較的平静だったが、それに続く日々、ずっと平静な気分でいたわけではあい。
・むろん費用の問題はある。私は貯金を持たないことを生活信条とし、少しでも収入が支出を上回った月(めったにないけれども)は、余った分を施設や運動に寄付している。だから手持ちの金は乏しいけれども、どこかから借金する手はあるだろう。そして生きてさえいれば借金を返す手立てはあるはずだ・・・。
・私が貯金を持たないことを知っているPは、
「本社の財務部に電話して聞いてみたら、ある金額までなら、すぐに無利子で貸せるそうだ。それ以上の額については即答できないといっていたけど、金の心配があったら、すぐ知らせなさいよ」という。
・人間は仕事を持ち、身の廻りのことをできるところまで自分でしてこそ、人間としての尊厳を保ち得るのであって、そういう責任を全部放棄してしまって、ただ生きているだけでは、なんのための人生かわからなくなってしまう。「自分には生きてやるべきことがあるのだ」という意識こそが、闘病において最も基本的な要件だと思う。
・一度断られた編集者にまた手紙を書き、新しいアイディアを提供し、あるいは別の編集者に会ってみる、ということを根気よく続けた。
もちろん、私は「どんな雑誌にでも何でも書く」というつもりはない。
・私は編集者に断られるのには慣れている。私の著書のうちの一冊は、六社に断られ、七社目でやっと刊行してもらえた。雑誌の原稿でも、一誌に断られても決して諦めず、書き直してほかの雑誌に持っていく。
・何人かの友人たちがいくつもの送別会を開いてくれた。たいていの友人たちは私の”無謀”ともいえる計画について心配しながらも励ましてくれた。ニューヨークで働いたことのある記者たちは口々に、
「ニューヨークでフリーランスをやるなんて、すごい度胸だね」
という。
・ゼロに近いところからやり直すことの気持ちよさ。これを何にたとえたらいいのだろう。ぬるま湯から出て冷たい滝にあたるようなすがすがしさ、とでもいえばいいのか。
ガンとの闘いや生活の苦しさは東京でも同じようなものだ。どうせ苦しむのなら新しい環境で苦しもう。という私の決断は正しかったのだと思う。
・ニューヨークに引っ越してから半年余りたって、それまでおさまっていた乳ガンが再々発した。
・イギリスの経済ジャーナリスト、ウォルター・バージェット
「人生の偉大な喜びは、とてもできっこないと他人が思っていることをやってのけることだ」
・友人の支援
私はニューヨークに引っ越してまだ三年にしかならず、しかもその半分はガンの治療でほとんど家から出られないような生活でしたから、あまり友だちは多くありません。
それでも現在、私の生活の不便さをなるべく不便さをなるべく軽くしようと、雑用を引き受けてくれている友人は二十数人います。一人や二人に頼っていたのでは、その人の負担が重くなり過ぎてうまくいかないと思います。
・とにかく、いまの日本のように、医師が患者にうそをついては、よい治療が行われるわけはない、という点だけは、両国で治療を受けた経験からはっきりいえます。
感想;
千葉敦子さんは3度のガン再発で、46歳で亡くなられました。
積極的にやりたいことにチャレンジされた人生でした。
出来ないと思って諦めるのではなく、少しでも可能性があればチャレンジされたようです。
断られるとそれで意気消沈しがちですが、そんなことで諦める方ではなかったようです。
またお金よりも、多くの友だちを作られていました。
そして多くの記事、多くの本を遺されました。
「昨日と違う今日を生きる」
今生かされていること、自分が行動できること。
これを当たり前と思わず、今できるときに自分のやりたいことをすることなのでしょう。
いつかできなくなる時がきます。
その時に、あれもしとけばよかったと思うのではなく、今やりたいと思います。
そして「あのとき、あれをして良かった」と思える人生を送りたいと思いました。
周りの目よりも自分の心や思いを優先したいと思います。
いろいろ言う人がいますが、その人が私の人生の責任を負いません。
私の人生の責任は私しか背負うことができないのですから。
失敗を恐れず、周りの批判を恐れず、でも謙虚さも失わずに。
出来ないことを愚痴る時間があれば、今できることをどのようにするかを考える時間に使いたい。
そして楽しい時間も持ちながら。
38歳で胃がんになり胃を2/3切除して、今しないと将来できるとの保証はないと気づかせてくれましたが、日々のことに追われてそれを忘れることがあります。
千葉敦子さんのこの本はそれを思い出させてくれました。
「時間は限られている」