幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

V.E.フランクル読書ノート

2023-06-14 00:28:48 | 社会
V.E.フランクル読書ノート
 フランクルを読んできた。今は「人間とは何か」を読んでいる。 
 これは "Aerztliche Seelsorge" 第11版の邦訳である。その原本第6版は、すでに霜山先生の格調高い翻訳で親しまれている。(フランクル著作集2「死と愛」(霜山徳爾訳 みすず書房 1957)
 仙台の「フランクル文庫」(特定非営利活動法人「ほっぷの森」内)にはこれの初版原本が入っている。2011年の東日本大震災の日本に「力(それでもの力)を与えるシンボルにしてほしい」と、ドイツで「フランクル・カウンセリングセンター」を主宰する勝田茅生氏を通じて、ウイーン・ヴィクトール・フランクルセンターから贈られたものである。
 私たちは、その縁で、「フランクル文庫読書会」を立ち上げ、「夜と霧」など彼の著作を読んできた。今は「人間とは何か」に取り組んでいる。
 フランクルはとくにこの著書を大切にし晩年に至るまで推敲を重ね続けた。いはば彼の主著である。
 今年1月の朝日俳壇に《読み初めや三度手に取る難読書 池内真澄》という句があった。実は私にとっ て、この「難読書」に取り組むのはまさに3度目なのである。ノートに記しながら読んでいくこととする。
  
  このHPは、その取り組みの途上で考えたこと、感じたこと、疑問として残ったことなどを記す読書ノートである。     國分振

感想
 それでも人生にYesと言う  
ロゴセラピーはヴィクトル・フランクルが始めたセラピーです。
 ヴィクトル・フランクルはウィーンの精神科医でしたが、ナチスの強制収容所で死の隣で生きる希望を失なわずに耐え忍びました。チフスにも感染しましたが、ロゴセラピーを残さないといけないとの執念でチフスに立ち向かいました。
 ロゴセラピーはヴィクトル・フランクルが自ら実践し、そのロゴセラピーの効果を自ら確認しました。

ロゴセラピーは、
精神 ⇔ 心(感情/気持ち) + 身体 
と、心と身体の上位に精神があると考えます。
 心と身体が病んでいても精神が病んでいなければ、その人は健全な状態にいて生きる目的を持っています。
 自分から人生の意味を見出すと言うより、”人生”が自分に意味を尋ねて来ると考えます。どんな過酷な状況の中でも意味/価値を見出すことができると説明しています。
価値には、
①創造価値、②体験価値、③態度価値
があります。

公判前整理手続き、妨害意図なし 地裁へ“不審物”送付の都内男性 ”奈良県警の過剰な愚かな対応(それとも意図的?)/なぜ差出人に確認を先にしなかったのか?”

2023-06-13 08:53:08 | 社会

奈良地裁で見つかった不審物を調べる奈良県警の爆発物処理班ら=12日午後5時35分、奈良市(共同通信社ヘリから)
 不審物が届いたとして奈良地裁が安倍晋三元首相銃撃事件の第1回公判前整理手続きを中止したのを受け、不審物とされた段ボール箱を送付したという東京都清瀬市の斉藤恵さん(59)が13日までに共同通信の取材に応じた。中身は山上徹也被告(42)=殺人罪などで起訴=に対する量刑の減軽を求める署名だとして整理手続きを「妨害する意図はなかった」とした。

 騒動をニュースで知り12日、自ら奈良県警に電話で連絡。県警の聴取に送付を認めた。取材に対し「(地裁に)電話も入れずに送付したのは軽率だった。結果として期日が中止になったことは謝りたいと思っている」と話した。 
 斉藤さんも宗教2世で、被告の境遇に同情する気持ちがあり昨年7月の事件以降、インターネット上のサイト「Change.org」で署名集めを展開。今月12日に地裁で実施予定だった第1回公判前整理手続きで今後の公判の流れが決まると考え、約1万3千人分の署名やコメントを印刷し、被告、弁護士、検察官、裁判官宛てに封筒に入れた上で段ボール箱1箱にまとめて送付した。

感想
 送付は宅急便を使っているかと思われます。
そうすれば送付者の名前、住所、電話番号があるはずです。
また宅配業者に確認する方法もあります。
 なぜそれをされなかったのでしょうか?
 事を大げさにしたかったのかと勘ぐってしまいます。

 奈良県警、大丈夫ですか?と思ってしまいました。

「メメント・モリ」原田宗典著 ”メメント・モリ(死を想え)を考えることは今の生を大切にすること”

2023-06-11 02:48:02 | 本の紹介
・メメント・モリ
最初に目にしたのは、たぶん高校生の時、森鴎外の文章の中ではなかったか・・・メメント・モリ(死を想え)と括弧して意味も書き添えてあったように思う。

・震災の年の一月、私は家族と別れて、一人暮らしをすることになった。理由は私がろくでなしになってしまったからだ。禄でなし、つまりまったく稼がなくなったのだ。丸二年間、私は一銭も家に金を入れず、無為な日々を過ごした。それでも最初の一年は、自分でもなんとかしなければという思いがあって、鬱の隙間を見つけては原稿用紙に向かったが、腑抜けのようなものしか書けなかった。五枚とか八枚の短い依頼原稿もまともに書けず、あちこちに不義理をしてしまった。私はやけを起こして原稿用紙に向かわなくなり、ふて寝を決め込んだ。あとの一年は、ほとんど横になって過ごしたと言っていい、。この時期の私を指して女房は「寝れ雑巾みたい」と呼んだが、言い得て妙だ。・・・そんな図体ばかり大きな濡れ雑巾がねじけて転がっていると、家の中も段々と陰湿になってくる。鬱は伝染するのだ。働きに出ていた女房と娘も、大学に通っていた息子も、外ではどうなのか知らないけど、家の中ではすっかり口数がすくなくなった。横になっている私からは目を背け、そこにいない者のように扱うようになった。湿った家内の空気は重ったるく、粘り気をおびていて、不健全だった。
 「これはもう一緒に暮さない方がいいと思う」
 ある時、私が思い切って自ら打ち明けると、
 「私もそう思う」
 と女房も同意した。だからといって、あなたを見捨てるわけじゃないのよ、ということを彼女はしきりに強調した。

・そこへ十二月、私の腰に激震が走った。
 あとになってヘルニアだと分かるのだが、その時は何が起こったのか分からなかった。ただ今までの人生の中で体験したことのない痛みだけがあった。

・ここにあらためて広く訴えたいのだが、アルコールと眠剤の併用は、きわめて危険である。・・・この組み合わせは、最悪の副作用をもたらす。自分が何をやっているのか、分からなくなる。自分を失うのだ。

・私は殺人的なだるさから脱し、動けるようになったばかりだった。そこへアルコールと眠剤二錠を飲んで、女房と口喧嘩したのである。何で頭に血がのぼったのかはわからないが、かっとなった私は、
「分かった。もういい! もうおわりにしてやる!」
 そう叫んで、自分の部屋に閉じこもった。・・・
 上から三段目にベルトをかけ、金具部分が梯子に当たるように調節し、くるりと後ろを向いて、ベルトに首を引っ掛けた。
「こうだろう。こうするだろう、そして・・・」
梯子から足を外したとたんに、
「あッ!」
目の前が真っ暗になった。
暗転、である。
次に目覚めた時、私は救急治療室のベッドの上にいた。女房や父母、妹までが、全員<森の妖精>みたいな緑色の服を着て、私を取り囲んでいる。

・「みんなスゲえ・・・」
というのが、正直な感想だった。自分みたいな新米の気違いが、何か勘違いしてこんなところに来ちゃって、申し訳ありません、と私は謝りたい気持ちだった。この時点で、私の生っちょろい鬱など、どこかへ吹き飛んでいた。
 そんなこんな経緯を手短に話すと、女医は時々くすくす笑いながら、メモを取るのだった。
「その時、処方されたのは、おそらくリタリン・・・」
女医は、独り言のように呟いた。
「でも現在は、鬱病患者にはあまり処方していません。ナルコレプシーや一部の分裂症だったら・・・」

・1997年の夏のことだ。
 私は某放送局の依頼でアフリカ、ヨーロッパ、アジアの戦争の傷跡を追って旅していた。・・・
 タイとラオスの国境-メコン川のほとりの道を私たちは小走りで急いだ。
「できるだけ道の真ん中を行ってください。端っこにはコブラがいますから!」
 前を行くT君が、大声でそういった。・・・
「T君にとって、平和ってどういうこと?」
 「平和ですか・・・」
 T君は、さあねと考え込み、
 「・・・明日がある、ってことじゃないですかね」
 と答えた。

・ある著名人が、自分は朝起きたら、まず自分の死ぬところを想像する、と語っているのをテレビで観たことがある。
「こう、瞑想するような感じでね、本気で想像するの。・・・それで、ああ、自分は死んだってことを意識してから、一日を始めるんだよね。これがね、いいんだ。生きているって感じが、すごくするんだ」
 正直、私は感心した。

・人は、基本的に”死”を隠そうとする。あらわになるのが怖いのだ。できるだけ”死”には触れないで、生きていこうとする。しかし考えてみれば、そうやって隠そうとするから、怖いのだ。隠そうとしなければ、”死”は怖くなくなる。だから、あらわにする方が、実は生き易いのだ。
 本書『メメント・モリ』は、そういう解釈のもとに読んでみると、”死”をあらわにすることによって、”生”をあらわにした作品である。

感想
 筆者は必死に生きているのだが、本が書けなくなり、それは収入がなくなることで、あがけばあがくほど底なし沼に沈んでいくようでした。
 鬱になり寝られなくなり、眠剤を飲み、アルコールも飲むことで首つり自殺をしてしまいました。死の直前で助けられたようです。
 鬱病を治すはずの薬が、逆に苦しめたりする場合があるようです。
鬱病で苦しんでいて、そして次は薬に苦しめられることがあるようです。
 そんな著者だからこそ、『メメント・モリ』をタイトルに書こうと思ったようです。


アルフォンス・デーケン先生が日本に「死生学」を導入されました。
死を忌み嫌うのではなく、死を考えることがより良く生きることであることを伝えて来られました。
そして「生と死を考える会」を立ち上げられました。
デーケン先生の講演を三回聞きに行きました。
ユーモアを交えたとても素晴らしいお話でした。
デーケンス先生の本を何冊か読みました。
ユーモアをとても大切にされていました。

モリー先生との火曜日』と”メメント・モリ”の紹介を会社の朝礼での話題紹介の当番の時に行いました。
生産本部長から「朝から暗い話だったな」と言われました。
 難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されたモリー・シュワルツ教授が、死を前にして、かつての教え子であるミッチに贈った「最後の授業」を記録したものです(ウイキペディアより)。
 まさに『モリー先生との火曜日』は”メメント・モリ”に多くのヒントを与えてくれる本でした。
 
 この本『メメント・モリ』は”メメント・モリ”の言葉をあらためて思い出させてくれました。現在のメメント・モリの意味は下記だそうです。
「避けることのできない死という未来があるからこそ今この瞬間を大切に生きることができる」


横尾忠則「死んだ気持ちで生きていれば何も問題はないのでは?」

2023-06-10 19:20:55 | 社会

横尾忠則
 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、死について。
*  *  *

 今、一番の関心事は? と問われたら、やっぱり死かな? 老齢になったからそう思うのではなく、子供の頃からこの観念は一貫していたように思う。物心がつくと同時に死は身近にあった。戦争が身近に迫る以前から、自分の存在を脅かしている死は本能的な恐怖を伴って、ジワジワと締めつけてくるように思えた。
 幼稚園児だったころ、婦人会の女性達は竹槍を手に敵を殺害する訓練をしていた。日本は神風が吹いて、戦争には絶対勝つと全国民に信じ込ませていた。だったら何も目の前の敵と肉弾戦を交すような訓練などする必要がない、というような判断は幼児の自分には想像もできないことだったが、幼心にすでに人間は死ぬものであるということだけは知っていたように思う。
 死の恐怖が迫るのは本土空襲が始まって死がうんと身近になった頃だった。僕の住んでいた山に囲まれた田舎町にある日、米軍のグラマン戦闘機が三機、全校生徒が運動場で朝礼をしている最中に、突然低空で襲って来た。青空いっぱいに黒い鉄の怪獣のカタマリが覆いかぶさったように見えた。僕は学校の校舎の中庭の小さいコンクリートの溝の中に飛び込んで、小さい手で目と耳をふさいで、背後からミシンの縫目のように銃弾が地面に穴を開けながら迫ってくる死の瞬間を超越した時間の中で、死を待っていた。幸いグラマンが校舎の窓をバリバリ震わせながら頭上を去って行った時は、不思議な小さい生の凝縮した瞬間を味わった。死が通過した瞬間の快感だったのだろうか。
 このようなフイに訪れる死はその後一度も体験したことがない。幼心に味わわされた死の疑似体験であるが、この瞬間は今も僕の魂の中に永遠に刻印されたままだ。今、僕の前方に見え隠れしている死は、この時の死に比べれば、実に暢気なものだ。年齢的にいつ死んだっておかしくない年齢を漂(さまよ)っているような気がする。

 毎朝、最初に見る新聞の記事は死亡記事である。そこには僕の85歳という年齢の前後の人達の死が伝えられている。だからすでに自分は死の範疇(はんちゅう)に入っているのに今日まだ生きているという不思議な実感を伴いながら、ルーシアン(ロシアン)ルーレットの洗礼からまぬがれたことにホッとしているというわけだ。だから毎日が実にスリリングなサプライズを味わっていることになる。
 人間が死ぬということは、いっぱい抱えたメンドーくさいことを、そのまま処理しないで放っといたまま死ぬことを夢想することでもある。瀬戸内さんに晩年会う度に、「まだ遺書を書いていないのよ」とよくおっしゃっていた。このままスッと消えると遺書も遺言も書く必要はない。亡くなる直前、瀬戸内さんは、よく、「思い残すことは何もない」ともおっしゃっていたので、ちゃんと遺書だか遺言を残されたんだなあ、と思っていたら、死後、そんなもんは見つからずに、残された人達の宿題になってしまったらしい。

 死ぬことはメンドーな問題を放ったらかして、無責任に死ぬことかも知れない。そんな無責任な行為を実践することが「思い残すことがない」と言うことで、たとえ思い残すことがあっても、それは残された者の宿題にしておけ、ということなのかも知れない。自分の死後の問題をいちいち、考えていたらキリがない。死ぬということは無責任になることでもあるらしい。生前、いちいち責任を取りながらどのように生きてきたのか知らないが、そんな責任から逃れることが死なのではないかとも思ったりする。
 そう思うと死は解放である。生きることは責任を全うすることなのか? どうかはわからないが、死んでも尚、責任を駱駝が背負った荷物のように、ヘトヘト言いながら、死の旅路にでるなら、死んだ値打ちはない。折角死ぬんだから、空っぽになって死ぬのがいい。抱えた問題を解決するというより、その問題からの執着を解決すれば、それでいいのではないだろうか。とにかく責任を云々する以前に執着から解放される生き方を生きている間に解決しておけばいいということではないのか。執着は問題の解決を実践することではなく、その問題から離れた心的状況の中で生きていることが重要ではないのか?

 何ひとつ現世で得た物を持って死ねないんだから、心の執着もないまま死ぬのが天国への近道で、地獄へ行くのは執着がそう決めるのであってエンマ大王が決めるわけではない。自分の中のエンマ大王が決めることではないだろうか。よく「死んだら無心になりたい」と特に知識階層の人達はそう言われるが、もし無心になりたいなら、死んでからなるのではなく、今、今生で無心にならなきゃ、死んでから無心になるのは無理じゃないでしょうか。
 と考えると、人間は生きている間に、死んだ気持ちで生きていれば、何も問題はないということではないのかな?

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。
 ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰

感想
 横尾忠則さんは、西脇高校の先輩です。
西脇高校でもう一人思い出すのは、大島みち子さん「愛と死を見つめて」です。
 人口4万人の兵庫県のほぼ真ん中にある小さな市です。
 当時の高校は今のところではなく、童子山にあり、自宅から徒歩3分でした。
NHKの朝ドラが終わってから登校し、ホームルーム開始の8時40分には余裕で間に合っていました。
 私が卒業した時は普通科が6クラス、家庭科が2クラスの、その地域の唯一の高校でした。
 卒業生の6~7割が高校卒業して就職し、大学や短大、専門学校に残りが進んでいました。
 大学入学で、東大に1人入り、校長先生がとても喜んでいました。
東大に入学したのが十倉好紀君(東大元教授)でした。
十倉君と3人で校長先生に大学合格の挨拶を行ったときのことです。
経団連の会長の十倉雅和氏は十倉好紀氏の実兄で同じく東大に入りました。
 まさに田舎の高校でした。大学進学を目指していた多くは、内職(授業とは関係ない参考書を勉強)していました。
 あらためて西脇高校のHPを見たら、部活動で当時入っていた化学部は今もありました。同級生と一緒に立ちあげた将棋同好会は今は将棋・囲碁部として続いていました。
 高校卒業後に新しい場所に引っ越した高校に行ったとき、横尾忠則作の絵画が掲示されていました。
大学4年時の教員免許取得のために母校で実習しました。
同級生も何人か教育実習に来ていました。
卒業者名簿を見て、知っていた何人かが亡くなっているのを見て、まさに人生とは?を考えてしまいます。一番親しかった友だちももう20年ほど前に亡くなってしまいました。

 田舎にもグラマンが飛んできたことを知りました。
また竹やり訓練をしていたのも知りました。
今もJアラートの避難訓練をしていますが、同じレベルが今も続いているようです。

「もし無心になりたいなら、死んでからなるのではなく、今、今生で無心にならなきゃ、死んでから無心になるのは無理じゃないでしょうか。」
高校の先輩の言葉を心に刻みたいと思いました。


不倫疑惑の広末涼子出演CM動画が公式サイトから削除 キリンHD広報「商品価値を伝えることができない」 ”タモリの不倫は商品価値を伝えたようです???”

2023-06-10 02:36:36 | 社会
 不倫疑惑が報じられた女優の広末涼子(42)が出演していたキリンビール「本麒麟」のCM動画が8日、公式サイトから削除された。 
 広末は、3月製造品からリニューアルされた「本麒麟」のCMに出演し、5月18日に開催されたリニューアル発表会にも出席。「本麒麟」のブランドサイトにはタモリ、江口洋介、満島真之介とともに広末のCM動画が掲載されていた。
  キリンホールディングス(HD)の広報はスポニチの取材に「本日公開を中止しました。報道による情報で詳細は分からないが、商品の価値を伝えることができないと判断した」と説明。CM降板など今後については「未定」とした。
  広末の不倫疑惑は7日、文春オンラインが報道。相手は4年連続でミシュランガイドの一つ星を獲得している東京都渋谷区のフレンチレストラン「sio」のシェフ・鳥羽周作氏(45)。同店を含め全国に飲食店8店舗を経営し、SNSやYouTubeで料理レシピを配信。NHK「きょうの料理」にも出演し、4月にはドキュメンタリー映画「sio/100年続く、店のはじまり」が公開されるなどカリスマシェフとして知られている。
  広末は2010年にキャンドルアーティストのキャンドル・ジュン氏(49)と再婚し、3児の母。鳥羽氏にはシェフになる前から支えていた妻と子供がおり、ともに既婚者。文春の直撃取材には両者とも不倫を否定している。広末と鳥羽氏をよく知る友人は、スポニチ本紙の取材に「お互いのことを真剣に思い合う友人以上の関係にあるのは事実」と明かしている。

感想
 キリンさんも男の不倫には甘く、女性の不倫には厳しいようです。
おかしくないですか?
 女性に厳しいキリンの飲み物を女性が飲むのは、女性がその判断をしたキリンさんを支援しているようにも感じます。
 不倫疑惑は一緒に食事に行っただけで疑惑です。だったら、食事で不倫疑惑になり、CMも削除だとするともっと多くのCMを削除しないといけなくなります。
 キリンさんのCMのタレントは配偶者のいる人が一緒に食事していないかどうかをチェックされているのでしょうか?
 キリンさんのトップも悩んだ末に判断されたと思いますが、でも判断がおかしいと思いました。
だったら、タモリさんの不倫時にもCM削除する必要がありました。あるいはCMに起用するのはおかしいです。
 今回の件、男性の不倫はOK、女性の不倫はNoという女性差別を行うキリンさんだとのイメージUpになったという見方もあるように思うのですが、いかがでしょうか? 
 おかしな判断をされたキリンさんは経営判断は大丈夫かなとふと思いました。

 広末さんの事務所もおかしなコメントを出しています。まるで不倫を認めたようなコメントです。
 結婚している女性は、男性と1:1で食事はしてはいけないとのコメントです。
 百歩譲るなら、「食事であり問題ない。ただ、このような週刊誌報道で疑惑を持たれ騒がれないように慎重な行動をとるように注意した」なら理解できます。