時代劇の名作『木枯らし紋次郎』 1972年の作品である。
「あっしにはかかわりのないことでござんす」
この紋次郎の台詞は時代を反映している。
安保闘争、ベトナム反戦運動──60年代の熱い政治の時代が終わり、
人々は個人の生活や豊かさを追い求めるようになった。
社会や世界の問題に背を向け、
「あっしにはかかわりのないことでござんす」
とつぶやく虚無感は政治闘争を捨て、オトナになった人々の思いであっただろう。
もっとも紋次郎は「あっしにはかかわりのないこと」と突っぱねるが、
最終的には関わって敵と戦ってしまうのだが。笑
これが紋次郎がヒーローたる由縁なのだ。
作品中、紋次郎はともかく歩きまわる。
故郷はなく、放浪する。
『紋次郎』より少し前のアメリカ映画に『イージーライダー』や『明日に向かって撃て』(1970年)があるが、アウトローの放浪は当時の創作者たちの重要なモチーフだったのだろう。
これらの作品の主人公たちに共通するのは
「自由だけどどこか生きづらい」「自分はどこに向かって歩いているのか?」
という思いだ。
…………………………………………………………………
さて映像。
動画を探したが、「これは!」というものが見つからない。
戦闘シーンがともかくメチャクチャだったと記憶している。
紋次郎は走り、転び、泥まみれになって格闘する。
もみ合い、もつれ会い、ノープラン。
混沌としていて美しくない。
時代劇に特有の殺陣がないのだ。
でも実際の戦闘ってこういうものなんですよね。
殺陣の形式美の破壊、徹底したリアリズム──これこそが『木枯らし紋次郎』の真骨頂だった。
総監督は市川崑。
僕は戦闘シーンのメチャクチャさで、監督は深作欣二だと思っていた。
オープニングも凝っている。
紋次郎はともかく歩きまわる。
さまざまな旅のティールが描かれる。
時折、フィルムがバッサリ切られ、紋次郎の動きがコマ送りになる。
これがカッコイイ!
オープニングの動画はこちら。
「だれかが風の中で」上條恒彦(YouTube)
※「痛みは生きているしるし」「故郷がないと言って泣く奴は誰だ?」「このうえ何が欲しい?」
後半にいくにつれ、歌詞がどんどん盛り上がっていく。
紋次郎は「居場所」や「安息の地」など求めていないのだ。
「あっしにはかかわりのないことでござんす」
この紋次郎の台詞は時代を反映している。
安保闘争、ベトナム反戦運動──60年代の熱い政治の時代が終わり、
人々は個人の生活や豊かさを追い求めるようになった。
社会や世界の問題に背を向け、
「あっしにはかかわりのないことでござんす」
とつぶやく虚無感は政治闘争を捨て、オトナになった人々の思いであっただろう。
もっとも紋次郎は「あっしにはかかわりのないこと」と突っぱねるが、
最終的には関わって敵と戦ってしまうのだが。笑
これが紋次郎がヒーローたる由縁なのだ。
作品中、紋次郎はともかく歩きまわる。
故郷はなく、放浪する。
『紋次郎』より少し前のアメリカ映画に『イージーライダー』や『明日に向かって撃て』(1970年)があるが、アウトローの放浪は当時の創作者たちの重要なモチーフだったのだろう。
これらの作品の主人公たちに共通するのは
「自由だけどどこか生きづらい」「自分はどこに向かって歩いているのか?」
という思いだ。
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さて映像。
動画を探したが、「これは!」というものが見つからない。
戦闘シーンがともかくメチャクチャだったと記憶している。
紋次郎は走り、転び、泥まみれになって格闘する。
もみ合い、もつれ会い、ノープラン。
混沌としていて美しくない。
時代劇に特有の殺陣がないのだ。
でも実際の戦闘ってこういうものなんですよね。
殺陣の形式美の破壊、徹底したリアリズム──これこそが『木枯らし紋次郎』の真骨頂だった。
総監督は市川崑。
僕は戦闘シーンのメチャクチャさで、監督は深作欣二だと思っていた。
オープニングも凝っている。
紋次郎はともかく歩きまわる。
さまざまな旅のティールが描かれる。
時折、フィルムがバッサリ切られ、紋次郎の動きがコマ送りになる。
これがカッコイイ!
オープニングの動画はこちら。
「だれかが風の中で」上條恒彦(YouTube)
※「痛みは生きているしるし」「故郷がないと言って泣く奴は誰だ?」「このうえ何が欲しい?」
後半にいくにつれ、歌詞がどんどん盛り上がっていく。
紋次郎は「居場所」や「安息の地」など求めていないのだ。