さとはあれて ひとはふりにし やどなれや にはもまがきも あきののらなる
里はあれて 人はふりにし 宿なれや 庭もまがきも 秋ののらなる
僧正遍昭
里は荒れて、人も年老いてしまった宿だからでしょうか。庭も垣根も、まるで秋の野のようです。
詞書には、仁和の帝(第58代光行天皇)が親王の時代に、布留の滝をご覧になる途中で遍昭の母の家に宿を取った時に詠んで送った歌、とあります。親王を泊めるような家ですから野原のように荒れているなんてことはなかったと思いますが、親王をもてなす高齢の母をねぎらったであろう親王に対して、おどけと謙遜で詠んだものでしょう。「ふる」は「古る」でここでは歳を取る意ですが、一行の目的地である「布留」にも掛けていますね。当意即妙の機智というところでしょうか。
0169 に始まった巻四「秋歌上」はここまで。次の 0249 からは巻五「秋歌下」となります。