はるのため あだしこころの たれなれば まつがえにしも かかるふぢなみ
春のため あだし心の たれなれば 松が枝にしも かかる藤波
一体誰が春に対して浮気心を抱いているからなのか、松の枝に藤の花が波のようにかかっている。
少しわかりづらい歌ですが、「藤」は春の終わりから夏にかけて咲くことから春を惜しむ心情の表現として歌われることの多い花です。松の枝に藤の花が波のようにかかる絵柄の屏風に、貫之は行く春を惜しむ気持ちを載せて「春が去って行ってしまうのは、誰かが春に対して浮気心を抱いている(=春を愛でる気持ちが後退している)からなのか。一体それは誰なのか。」と詠んだのですね。
類歌として、伊勢の娘、中務(なかつかさ)の詠んだ次のような歌もあります。
ふちのはな さくをみすてて ゆくはるは うしろめたくや おもはざるらむ
藤の花 咲くを見捨てて 行く春は うしろめたくや 思はざるらむ
(金葉和歌集・初度本 巻第一「春」 第129番)