漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0270

2020-07-26 19:25:48 | 古今和歌集

つゆながら をりてかざさむ きくのはな おいせぬあきの ひさしかるべく

露ながら 折りてかざさむ 菊の花 老いせぬ秋の 久しかるべく

 

紀友則

 

 露がついたままの菊の花を折って挿頭にしよう。老いることのない秋がいつまでも続くように。

 菊は不老長寿の花とされ、特にそこに置いた露にその力があるとされていました。直接の表現としては「秋が久しく続くように」と詠まれていますが、含意としては自ら(あるいは思いを寄せる人)の不老長寿を願うものでしょう。撰者の中心でありながら古今集の完成を見ることなくこの世を去った作者。没年は907年とされる一方、この歌の詞書には「是貞親王の家の歌合の歌」とあり、その歌合せが催されたのは893年ないしそれ以前の時期。すでに体調の異変を自覚していたからこその歌と考えるのは、いささか想像が過ぎるでしょうか。

 


古今和歌集 0269

2020-07-25 19:40:47 | 古今和歌集

ひさかたの くものうへにて みるきくは あまつほしとぞ あやまたれける

ひさかたの 雲の上にて 見る菊は あまつ星とぞ あやまたれける

 

藤原敏行

 

 雲の上の世界である宮中で見る菊は、天空の星とも見まごうものであった。

 宮中を天上世界に、そこに咲き誇る菊をあまたの星と見立てた歌。左注によれば、作者がまだ昇殿が許されない身分であったころに召し出された際に詠んだとあります。当時の作者にとっては、宮中はまさに雲の上の世界であったのでしょう。

 


古今和歌集 0268

2020-07-24 19:36:54 | 古今和歌集

うゑしうゑば あきなきときや さかざらむ はなこそちらめ ねさへかれめや

植ゑし植ゑば 秋なき時や 咲かざらむ 花こそ散らめ 根さへ枯れめや

 

在原業平

 

 こうして植えたからには、秋が来なくて咲かないなどということがあろうか。例え花が散ったとしても、根までが枯れてしまうことがあろうか。秋が来ないことはないし根が枯れることもないのだから、毎年必ず花が咲くのだ。

 非常に難解ですね。「うゑしうゑば」は、同じ言葉を繰り返すことによる強調表現。そのあとの句は反語を用いて逆に強い肯定を表しています。詞書には「人の前栽に菊に結び付けて植ゑける歌」とあり、これ自体難解ですが「人の家の庭に植えた菊に結び付けて詠んだ歌」ということでしょうか。プレイボーイとして名高い業平の歌ですから「人」とは思いを寄せる女性。その愛しい人に菊を贈って自らの手でその庭に植え、秋が来るたびに必ずこの菊が花を咲かせることこそが自身の思いの強さなのだ、といった解釈がしっくり来るように思います。

 


古今和歌集 0267

2020-07-23 19:44:12 | 古今和歌集

さほやまの ははそのいろは うすけれど あきはふかくも なりにけるかな

佐保山の ははその色は うすけれど 秋は深くも なりにけるかな

 

坂上是則

 

 佐保山の柞(ははそ)の色は薄いけれども、秋は深くなったことだ。

 0266 にも記載しました通り、柞は美しく黄葉しますが、「紅葉」と表現するほどには色が濃くはなりません。ですので、この歌の「うすけれど」は、まだ時期が早くて薄いという意味ではないことになります。多くの人々が真っ赤に染まった紅葉に秋の深まりを感じるところですが、作者は佐保山の黄色に染まった柞に秋を感じて詠んでいるのですね。

 作者の坂上是則(さかのうえのこれのり)は平安時代前期から中期の貴族にして歌人。三十六歌仙の一人に数えられ、古今和歌集には八首が入集しています。

 

 

 


古今和歌集 0266

2020-07-22 19:58:14 | 古今和歌集

あきぎりは けさはなたちそ さほやまの ははそのもみぢ よそにてもみむ

秋霧は 今朝はな立そ 佐保山の ははそのもみぢ よそにても見む

 

よみ人知らず

 

 秋霧よ、今朝は立ってくれるな。佐保山の柞(ははそ)の黄葉を遠くからでも眺めたいから。

 「ははそ」は、楢・くぬぎなど、ぶな科の樹木の総称で、美しく黄葉(「紅葉」ほどに色は濃くならない)する。0265 と同じく、佐保山の秋の霧がそれを隠すものとして歌われています。