あさぎりの おぼつかなきに あきのたの ほにいでてかりぞ なきわたるなる
朝霧の おぼつかなきに 秋の田の ほに出でてかりぞ 鳴きわたるなる
朝霧が立ち込めて漠とした中で、穂が出た秋の田の上を雁が声もはっきりと鳴いて通って行ったよ。
「穂に出づ」は、文字通り穂が出る意に加えて、「表に表れる」「人目につくようになる」意があり、ここでは「はっきり」「くっきり」くらいの意味ですね。第四句の「かり」は歌意の上では「雁」ですが、掛詞の「刈り」に通じて、「穂」の縁語ともなっています。
あさぎりの おぼつかなきに あきのたの ほにいでてかりぞ なきわたるなる
朝霧の おぼつかなきに 秋の田の ほに出でてかりぞ 鳴きわたるなる
朝霧が立ち込めて漠とした中で、穂が出た秋の田の上を雁が声もはっきりと鳴いて通って行ったよ。
「穂に出づ」は、文字通り穂が出る意に加えて、「表に表れる」「人目につくようになる」意があり、ここでは「はっきり」「くっきり」くらいの意味ですね。第四句の「かり」は歌意の上では「雁」ですが、掛詞の「刈り」に通じて、「穂」の縁語ともなっています。
こぬひとを したにまちつつ ひさかたの つきをあはれと いはぬよぞなき
来ぬ人を したに待ちつつ 久方の 月をあはれと いはぬ夜ぞなき
訪問して来ない人を内心で待ちながら、月が美しいから起きているのだと虚勢を言わない夜はないのです。
一人で月を眺めながら、愛しい人の訪れを待つ女性の心中を詠んだ歌ですね。「久方の」は、ここでは「月」にかかる枕詞。「光」「天」「雨」「空」など、天空に関わる多くの語に掛かります。
この歌は、拾遺和歌集(巻第十八 「雑賀」 第1195番)にも入集しています
ほととぎす まつところには おともせで いづれのさとの つきになくらむ
時鳥 待つところには 音もせで いづれの里の 月に鳴くらむ
時鳥よ、初声を待っているところには訪れても来ないで、一体どこの里の月の下で鳴いているのだろう。
時鳥は、夏の訪れを告げるとされる鳥。立夏が過ぎているのに時鳥がやってこない状況を詠んだというところでしょうか。
なつごろも しばしなたちそ ほととぎす なくともいまだ きこえざりけり
夏衣 しばしなたちそ 時鳥 鳴くともいまだ 聞こえざりけり
いましばらく夏にはならないでほしい。時鳥が鳴いても、ここにはまだ聞こえてこないのだから。
第二句の「たつ(たちそ)」は「(衣を)裁つ」と「(夏が)立つ」の掛詞になっています。「な・・・そ」は禁止をあらわす複合語ですね。
ながれゆく かはづなくなり あしひきの やまぶきのはな にほふべらなり
流れ行く かはづ鳴くなり あしひきの やまぶきの花 にほふべらなり
流れゆく川で蛙の鳴く声が聞こえる。山吹の花が美しく咲いているようだ。
第二句冒頭の「かは」は「川」と「かは(づ)」の掛詞。「あしひきの」は「山」に掛かる枕詞ですね。