いかでひと なづけそめけむ ふるゆきは はなとのみこそ ちりまがひけれ
いかで人 名づけそめけむ 降る雪は 花とのみこそ 散りまがひけれ
降る雪は、散る花と見間違えてしまう。それなのにどうして人は、初めから雪と花を区別して違う名前をつけたのだろうか。
雪と花を相互に見立てるのは和歌の常道ですが、その中でも個人的にはとても印象に残っている歌です。
いかでひと なづけそめけむ ふるゆきは はなとのみこそ ちりまがひけれ
いかで人 名づけそめけむ 降る雪は 花とのみこそ 散りまがひけれ
降る雪は、散る花と見間違えてしまう。それなのにどうして人は、初めから雪と花を区別して違う名前をつけたのだろうか。
雪と花を相互に見立てるのは和歌の常道ですが、その中でも個人的にはとても印象に残っている歌です。
ゆきふれば うときものなく くさもきも ひとつゆかりに なりぬべらなり
雪降れば うときものなく 草も木も ひとつゆかりに なりぬべらなり
雪が降ると、一面に白くなって、草も木もひとつにつながってしまったかのようであるよ。
「草も木も」は貫之が好んだフレーズの一つのようで、貫之集に本歌を含めて十首、他に古今集にも一首採録されています。古今集歌は内容的にも本歌に似ていますね。
ゆきふれば ふゆごもりせる くさもきも はるにしられぬ はなぞさきける
雪降れば 冬ごもりせる 草も木も 春に知られぬ 花ぞ咲きける
うきてゆく もみぢのいろの こきからに かはさへふかく みえわたるかな
浮きてゆく 紅葉の色の 濃きからに 川さへ深く 見えわたるかな
浮いて流れて行く紅葉の色が濃いというだけで、川の水まで深く見渡されるよ。
鮮やかに色づいたもみじの葉が川面を流れている情景は想像できますが、それがゆえに川が深く感じられるというのは正直いまひとつピンと来ませんでした ^^;;;
そらにのみ みれどもあかぬ つきかげの みなそこにさへ またもあるかな
空にのみ 見れどもあかぬ 月影の 水底にさえ またもあるかな
空にだけあっても見ていてあきない月が、水面に映って水底にもあるかのようだ。
水面に映る景物は貫之の得意分野。月を題材とした類歌は 456、776 にも登場します。
つきかげの みゆるにつけて みなそこを あまつそらとや おもひまどはん
月影の 見ゆるにつけて 水底を 天つ空とや 思ひまどはん
(456)
ふたつなき ものとおもふを みなそこに やまのはならで いづるつきかげ
ふたつなき ものと思ふを 水底に 山の端ならで 出づる月影
(776)
よとともに とりのあみはる やどなれは みはかからむと くるひともなし
夜とともに 鳥の網はる 宿なれば 身はかららむと 来る人もなし
夜になるとともに、鳥を捕らえるための網を張る宿であるから、人の身体もそれにかかってしまうのではないかと、訪れる人もいない。
「鳥の網を張った宿」が描かれた屏風絵がどのようなものなのか分かりませんが、絵の構図としては珍しい気がします。