漱石全集
2007年02月11日 | 本
久しぶりに漱石を読んでいます。
初めて真面目に漱石を読んだのは中学か高校の国語の教科書に『こころ』が載っていたからだと思いますが、少し大人になりかけたその年頃の私にとって漱石は難しすぎ、けれどそれを読むことによってちょっと背伸びをしているような、そんな新鮮な気分があったことを覚えています。
本というのはそれに出合った時の年齢や精神状態によって受ける印象が異なるものですが、私は最初に読んだのがその年代でしたので、本当の意味で漱石の小説の暗いところは分からず仕舞。どちらかというと初期の小説の方が面白かった気がします。
特に好きだった(今でも好きですが)のは『虞美人草』で、凝った文体と単純明快な人物設定、勧善懲悪の時代劇を見るようなテンポが小気味良く、繰り返し何度も読んだものです。その後少し時が経って、『三四郎』『それから』『門』と読み進みましたが、そこら辺までは何とかついて行けても、『行人』となると本当に分かっているのかどうだか、今も怪しいところです。
溢れかえる本に嫌気が差して本を買わなくなったのは会社に入ってからですが、それでも気に入った作家の全集が出ると、いくつか買い集めるようになりました。漱石もそのひとつで、岩波から出た全集を買ったのは10年くらい前でしょうか。買ってみるとまたひとわたり(と言っても、何年も掛かって)読み返し、小説の内容もさることながら、初めて読んだ時の気持ちやらその時聞いていた音楽などを思い出し、人間の記憶というのは面白いものだと思ったりもしたものです。
全集を買って良かったと思ったことは、なかなか文庫にはなりにくい書簡や日記、メモやノートを集めた『別冊』という巻が入っていたことです。断片的なメモや書簡の中にさりげなく小説の一場面を連想させるところがあったり、一人の人間漱石を色々勝手に想像することが出来ます。
他にこの漱石全集には最後に『漱石言行録』という巻があって、漱石の知人友人が漱石のことを書いた文章が載っています。写真がその別巻ですが、同世代の人の文章よりも、どちらかと言うと年下の、弟子筋に当たる人の文章の方が漱石を多面的に捉えているような感じがします。
面白かったのは『銀の匙』で有名な中勘助の「漱石先生と私」という文章で、一高の英文科の生徒だった中勘助が晩年の漱石との交友を、しっかりとした距離感で描いています。今日読み返して改めて思いましたが、多分私はこの文章を、以前どこかで読んだことがあるようです。いつどこでなのかはちっとも覚えていないのですが、ここら辺が少しずつ怪しくなってくるところが歳のせいなのかなと思ってしまいます。
書き出すときりがないのですが、長編の小説とは別に小品を集めた巻もあり、有名な「文鳥」や「夢十夜」、「硝子戸の中」など、小説か随筆かの区分けなどぶっ飛ぶような珠玉の文章が並んでいます。私の随筆好きの系譜は間違いなくこの漱石から始まっています。
・・・ということで、連想が連想を呼び、今日も気付くと机の周りに本が積み上がっていて、また片付けるのが面倒だなぁと思いながらこのブログを書いています。今日こそは巻き掛けのブランクのコーティングをしようと思っていたのですが、どうなりますことやら・・・
初めて真面目に漱石を読んだのは中学か高校の国語の教科書に『こころ』が載っていたからだと思いますが、少し大人になりかけたその年頃の私にとって漱石は難しすぎ、けれどそれを読むことによってちょっと背伸びをしているような、そんな新鮮な気分があったことを覚えています。
本というのはそれに出合った時の年齢や精神状態によって受ける印象が異なるものですが、私は最初に読んだのがその年代でしたので、本当の意味で漱石の小説の暗いところは分からず仕舞。どちらかというと初期の小説の方が面白かった気がします。
特に好きだった(今でも好きですが)のは『虞美人草』で、凝った文体と単純明快な人物設定、勧善懲悪の時代劇を見るようなテンポが小気味良く、繰り返し何度も読んだものです。その後少し時が経って、『三四郎』『それから』『門』と読み進みましたが、そこら辺までは何とかついて行けても、『行人』となると本当に分かっているのかどうだか、今も怪しいところです。
溢れかえる本に嫌気が差して本を買わなくなったのは会社に入ってからですが、それでも気に入った作家の全集が出ると、いくつか買い集めるようになりました。漱石もそのひとつで、岩波から出た全集を買ったのは10年くらい前でしょうか。買ってみるとまたひとわたり(と言っても、何年も掛かって)読み返し、小説の内容もさることながら、初めて読んだ時の気持ちやらその時聞いていた音楽などを思い出し、人間の記憶というのは面白いものだと思ったりもしたものです。
全集を買って良かったと思ったことは、なかなか文庫にはなりにくい書簡や日記、メモやノートを集めた『別冊』という巻が入っていたことです。断片的なメモや書簡の中にさりげなく小説の一場面を連想させるところがあったり、一人の人間漱石を色々勝手に想像することが出来ます。
他にこの漱石全集には最後に『漱石言行録』という巻があって、漱石の知人友人が漱石のことを書いた文章が載っています。写真がその別巻ですが、同世代の人の文章よりも、どちらかと言うと年下の、弟子筋に当たる人の文章の方が漱石を多面的に捉えているような感じがします。
面白かったのは『銀の匙』で有名な中勘助の「漱石先生と私」という文章で、一高の英文科の生徒だった中勘助が晩年の漱石との交友を、しっかりとした距離感で描いています。今日読み返して改めて思いましたが、多分私はこの文章を、以前どこかで読んだことがあるようです。いつどこでなのかはちっとも覚えていないのですが、ここら辺が少しずつ怪しくなってくるところが歳のせいなのかなと思ってしまいます。
書き出すときりがないのですが、長編の小説とは別に小品を集めた巻もあり、有名な「文鳥」や「夢十夜」、「硝子戸の中」など、小説か随筆かの区分けなどぶっ飛ぶような珠玉の文章が並んでいます。私の随筆好きの系譜は間違いなくこの漱石から始まっています。
・・・ということで、連想が連想を呼び、今日も気付くと机の周りに本が積み上がっていて、また片付けるのが面倒だなぁと思いながらこのブログを書いています。今日こそは巻き掛けのブランクのコーティングをしようと思っていたのですが、どうなりますことやら・・・
読んだタイミング(年齢・時期・季節)や、
その時の自分の精神状態、自分の周りの人々
なんてことも非常に重要だと思いますね。
時間を経て、昔読んだ本を読み返してみるというのも
面白いですよね(笑)
その時々の印象が出来上がっているのだと思いますね。
以前はよく「あ、これは多分、時間が経ってからもう一度読み返すだろうな」
という予感がしたのですが、最近はそういう風に思う本に出会うことが少なくなりました。
ちょっと寂しいですね。
もっぱらDVDばかりです。
そう言えば、DVDは映画館で観る映画と違って、繰り返し観れるし、時間がなければ止められますよね。そのへんは本のように栞をさせるかなしかし、本は創造を与えてくれますよね。
買って、古い映画のDVDを良く観ています。
ですが、やはり本は本。手放すことは出来ないですね。
漱石全集を個人で買うのはなかなか勇気がいりますが、購入を決意されたのは立派ですね。
小林秀雄と思うのですが、随筆のなかで「読書の上達には全集を読むことだ」と喝破していました。作家の書いた小文とか日記を読み込んでいくことで、作品の流れと作家の精神の軌跡のようなものをつかみ取ることが出来るから。というのが趣旨だったと思います。
自分が漱石の作品のなかで好きなのは「夢十夜」とか「草枕」のような空想的な作品です。「ぼっちゃん」は登場人物の純朴さと漱石のインテリ臭さが出ていて、好きになれませんでした。
全集の楽しみは仰る通りで、初めて目にする小品や随筆、書簡やメモ、それら全てが想像力を掻き立ててくれます。一番の問題は置き場所ですかね。私も岩波から月1冊ずつ配本されたから買えたようなものです。
空想的な作品と言えば、「夢十夜」に繋がるものとして、百の「冥途」も好きです。初めて読んだ時の怖気を震うような感覚は、今も忘れられません。