G. K. Chesterton の The Innocence of Father Brown 読了、
と言いたいところだが、冒頭の3編で中断 (邦訳 『ブラウン神父の無心』)。
100年も前に書かれたことには敬意を表するが、朝の電車のなかで「今日はあの会議いやだなぁ」とか「あの宿題まだやってないなぁ」という気持ちを忘れ去るには、あまりにも英語が硬く読みづらい。
要するに自分の語学力と教養のなさゆえなのだが、読んで辛い本はさっさと本棚に戻すのが私の信条。
さ、次行こ、次。
G. K. Chesterton,
The Innocence of Father Brown
(Penguin)
我々の時代は米語より英語の時代でした。
今でも英語のほうに手が延びるようです。
チェスちゃんの「自叙伝」や「イタリア紀行?」
「ブラウンもの」を読んだ記憶があります。
「ブラウンシリーズ」ペーパ版のみが手元に残っているような気がします。
多くて2冊程度ですが
文泉
気がします。
「青い十字架」でヴァランタン、フランボウ、ブラウン神父が登場、
次の「秘密の庭」でヴァランタンのその後、そして
次の「奇妙な足音」で今度はフランボウのその後、と
何となく役回りは分かった気がします。
因みにブラウン神父は決してもう読まないということではなく、
ワトソン博士と同様、家で夜中にチビリチビリやりながら、
じっくり字面を追いたい、そんな気分です。
続いていま米語のペリー・メイスンを読み始めていますが、
安直ですみません、こっちの方が何倍も読みやすいです。
またレポートします