上野の東京都美術館で開かれている「日本の美術館名品展」に行ってきました。
日本の公立美術館の所蔵品のなかから名品ばかりが集められて展示されるという、まさに眼福。東京に居ることの利をつくづく感じた1日でした。展示は西洋絵画、日本近現代洋画、日本画、版画、彫刻に分かれていましたが、ともかく人の多いこと。先週たまたま金曜日に休みが取れたので朝も割と早く出かけたのですが、上野駅の公園口で下りた人がみんなやって来たのではないかと思うくらい、そこは人、人、人。やはり上野の美術館はいつ来ても混みますね。
私の目当ては洋画と決まっていたのですが、何だかそこが一番混んでいたような気がします。しかし、さすがに選りすぐりの名品揃い。人の山をかき分けかき分け、しっかり見てきました。
印象に残った作品を4点。
1枚目はミレー。先日、青山ユニマット美術館でミレーを再発見し、いつかはその館蔵品で名高い山梨県立美術館に行ってみたいと思っていましたが、何とそこからミレーの代表作が来ていました。
(ジャン=フランソワ・ミレー「ポーリーヌ・V・オノの肖像」1841-42年頃、山梨県立美術館蔵)
その繊細なタッチ、画面右からの柔らかな光、艶やかに光り輝く黒髪、全てが雄弁にミレーの妻に対する愛情を表しているように感じます。
2枚目はボナール。私はルノワールのどことなく人工的とも言える豊満さにあまりグッと来ない方ですが、ボナールのこの裸婦には言いようのない色気があって、肉感的というよりも芸術的。見とれてしまいました。
(ピエール・ボナール「浴室の裸婦」1907年、新潟市美術館蔵)
3枚目は今回のイチ押し。エゴン・シーレです。
(エゴン・シーレ「カール・グリュンヴァルトの肖像」1917年、豊田市美術館蔵)
シーレは今まであまり実物を見たことがなかったことと、手元にある朝日美術館の画集の印象から、どちらかと言えば色彩の画家だと思っていたのですが、この絵を見て吃驚仰天。背景と同化して殆ど見えない椅子に座り、今にも立ちあがりそうなその構図。しかし、不安定になりがちなその構図に、しっかりとしたデッサン力と体全体、特に体の前で組み合わされた両手に込められた力が、どっしりと安定感を与えていいます。圧倒的な迫力。迫りくる力とはまさにこのことです。本当に良いものを見ました。
最後に、日本の洋画界から1枚。黒田清輝です。
(黒田清輝「ポプラの黄葉」1891年、島根県立石見美術館蔵)
この日はピサロもいくつか展示されていましたが、それと並べても引けを取らない、黒田清輝の逸品です。この人ともう一人、浅井忠(残念ながら絵葉書は売っていませんでした)は私の中では別格、決して外すことの出来ない巨人です。
と言う訳で、短い時間ではありましたが、すっかり満ち足りた気分で初夏の上野をを後にしました。たまにはこういう平日の休日もいいですね
日本の美術館名品展
東京都美術館
2009年4月25日~7月5日
地の利 ウラヤマシイとしか表現できません。
負け惜しみの弁です。
日本画並びに彫塑はいかがでしたでしょうか?
多分、再度にわたり、ウラヤマシクなりそうですが
文泉
それでも狩野芳崖、春草、栖鳳にはじまって
大観、御舟とひと通りの流れが分かるように
なっていました。
彫刻では、高村光太郎の「手」が印象的でしたね。
もっと早くに行っておけば、もう一度くらい
行くことが出来たのにと、ちょっと残念です。
やっぱりウラヤマシイです。
美術の教科書どうりですが、
ロダンの影響を大いに受けている
と思われる光太郎や守衛の生命感の
溢れている作品にひかれます。
光太郎の<手>をも鑑賞されたとは
ウラヤマシイ限りです。
文泉
いま手元に目録がないのですが、
守衛はなかったと思います。
ロダンは(これまた贅沢ですが)いつも
ブリヂストンで見慣れているのですが、
光太郎の「手」はそれに劣らず緊迫感が
ありますね。
いい目の保養をしました(笑)