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文庫本で19巻。一気に読ませる力はさすがです。それでも拭い切れない、この複雑な後味。これは一体何なんでしょう?読み終わって1ヶ月以上経つのに、自分の中でまだ整理出来ずにいます。
私が初めて「水滸伝」に接したのは中学生の頃で、吉川英治版でした。私の吉川英治体験はまず「三国志」、次いで「宮本武蔵」「太閤記」と来て、「水滸伝」は随分と後の方でした。「三国志」と「宮本武蔵」があまりにも強烈な印象だったので、「太閤記」は話が冗長に過ぎ、「水滸伝」に至ってはその独特の語り口が肌に合わなかったこともあり、恐らく1回しか読んでいません。
そんな訳で、この北方版が相当なリメイクだと聞かされても、そもそもオリジナル(にまだ近い吉川版)をよく覚えていないので、かえって気楽に楽しめるかなと思っていました。実際、読み始めると一気に読んでしまったので、面白くなかったと言えば嘘になります。これを私に薦めてくれた友人は、「北方謙三が書くと、何でも『人間ドラマ』になる」と自信満々でしたが、確かにその点は認めます。
しかし、何と言うか、格調が足りないのです。どこに?それは文章であったり、登場人物の吐く台詞だったり。恐らく、北方謙三の行間を読ませる感覚と、私が行間に感じる格調との間に、何か決定的な開きがあるのでしょう。男臭い、いやあまりにも人間臭い人々の熱気はむんむんと伝わってくるのですが、親友や部下を死なせて涙ながらに盃をあおる呼延灼の男臭さは伝わってきても、そこには吉川英治が「三国志」で描いた諸葛孔明の気高さ、関羽の高潔さは出てこないのです。あまりにも「人間臭すぎる」とでも言いましょうか。
確かにその戦の場面の描写や、百八の豪傑それぞれに独特の役回りを持たせた人物配置は素晴らしいとは思うのですが、何と言うか、ストーリーと展開の面白さ以上の深みが出てこないのです。ここら辺は例によって私の独断と偏見ですので、北方謙三がお好きな方には叱られるかもしれないのですが、ともあれ私が感じたのは以上のようなことです。
という訳で、何となく消化不良になってしまった私は、それが何ゆえかを理解する為に、何年ぶりかで吉川英治の「三国志」を手にとったのでした。
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魏・呉・蜀の3チームでマセラティをブッ飛ばすっつー
ストーリーなんすかね?
…今日も仕事です
水滸伝じゃなくて三国志でボケちゃったじゃんwww
古典につきものの格調というか趣きというか、
そんなものが足りないような気がするのです。
こんな風に思うの、私だけかなぁ・・・?
お仕事、お疲れさまです。
私の方はいつでもスタンバイOKですので
北方「水滸伝」只今8巻読んでます
「楊家将」「血涙」そして「水滸伝」
いいですよね
5月17日に神戸「梁山泊の会」に参加して益々北方ファンになりました
水滸伝の続きの「楊令伝」を読むのはいつの事やら?
読むスピードが遅いので・・・
続編の「楊令伝」は文庫が出たら読んでみようかな
とは思っています。