北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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一ヶ月を切った

2017-09-25 18:53:43 | 日々のもろもろ
来月21日~23日の日程で上京するが、今日からチケットが引き取り可能ということで、仕事帰りに旅行代理店に寄って受け取ってきた。
申し込んだ時にも書いたけど、今回はパックの中でも割引を最大限適用させ、総額で4万円を切るプランにすることができた。
当初、最終日の23日は昼の便で帰ってくることにしていたが、諸事情により、夕方17時台の便に変更してもらったので、23日は、天候さえよければ外での観光ができるようになった。
今のところ、寺社巡り、坂巡り、公園巡りの三つのうちどれにするか決めかねているが、函館にいる時と同じ視点で街歩きをしたいと思っているので、三つのうちどれになるとしても、ガイドブックに載っているような有名な場所に行くことはないと思う。
メインは「遠足」だけど、最終日のぶらり歩きに加え、久しぶりに会う人との交流も予定されているので、とても楽しみです。


ところで、そんな上京のさ中に、何やら一票を投ずるイベントが入ってしまったようですな。
まあ、期日前投票するから全く問題はないんだけど、当日はホテルのテレビで開票速報を見ながら「○○センタイ(選対)からお送りします」というアナウンスに反応しまくると思われる。(この時のように(笑))
NHKは(女性アナウンサーは)どなたが出るのかな?そこがちょっと気になる。
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鉄路予定地を歩く~その4~

2017-09-24 20:15:26 | 函館
この「鉄路」とは、1937年から1943年にかけて計画、施工されていた「旧国鉄戸井線」のことです。


(路線図が載っているサイトがありましたので、リンクを貼らせていただきます。)


この路線は、当時、北海道と本州の最短距離地点である「汐首岬」の近くに、津軽海峡の防備のために建設された「汐首岬砲台」という砲台が設置されており、そこへの物資の運搬目的や、津軽海峡を隔てた青森県の大間までの連絡船に接続させるという目的で計画されていたものの、1943年に、戦局の悪化による資材不足や、艦船攻撃が要塞の主たる任務であったところ、航空機主体の情勢となってその必要性が薄れたなどの事情で、2.8kmを残して工事は中断となってしまいました。

かくして、列車が一度も走ることなく終わってしまった戸井線でしたが、その跡地や遺構などは市内で確認することができ、これまで何度か紹介してきましたので、久しぶりに書いてみたいと思います。


(その1)
(その2)
(その3)





ここは、一般国道5号と、市道「本通富岡通」という、市内でも幹線道路に位置付けられる路線との交差点。
写真の先が市道ですが、この市道が、戸井線の跡地を整備し、作られた道路なのです。





信号を渡った所から反対方向へ一枚。
路線の形から考えて、写真先の市道(車が停車している)も、もしかすると戸井線の跡地なのかな・・・?





私の自宅の側も通るので、この路線は、ほぼ毎日利用させてもらってます。





この時間帯(土曜日の午前9時台)はそうでもないけど、朝夕の通勤時間帯には、時として渋滞になることもあります。





函館市内を南北に貫く「赤川通」こと道道赤川函館線との交差点。
もし鉄道が開通し、戦後になって普通に旅客の用に供されていたら、ここには踏切が設置されていたのかもしれません。





さらに東へ行くと、小さな公園がありました。





この場所、今はご覧のとおり公園として整備されていますが、元々は、五稜郭駅の次の「東五稜郭駅」の予定地となっていた所です。
ほぼ毎日何気なく前を通っていた場所にそんな歴史があったとは、全く知りませんでした。





そして、さらに東へ行くとこの場所に辿り着きます。
「本通富岡通」はここで終わりますが、この先、戸井線の跡地は遊歩道として活用されています。
その状況は、先にリンクを貼った「その1」と「その2」をご覧ください。
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日本遺産を構成する場所

2017-09-23 16:44:39 | 函館
昨日の北海道新聞夕刊の道南地域版に、ちょっと衝撃というか残念な記事が載っていた。

「はこだて検定 申し込み低調」というタイトルで、記事によると、今月21日時点での出願者数が、初級、上級合わせて124人と、前年同期比約50名の減なんだという。
29日まで出願期間があるとはいえ、合格者としては、このままではちょっと寂しいですね・・・。

そこでというわけではないけれど、ちょっと検定本番を見据えた記事を一つ。


先日の記事で、函館から日本遺産の認定が出た旨に触れた際、「市内にある日本遺産を構成する場所五箇所は、今年の検定の狙い目かもしれない」と書いておきながら、認定を伝える記事にリンクを貼っただけで、具体的な場所の紹介はしていなかったので、ここで紹介しておきます。

まずその前に、日本遺産のタイトルとストーリーから。


タイトル 「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 ~ 北前船寄港地・船主集落 ~」


ストーリー(函館市公式HPより引用)
「日本海沿岸には、山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。そこには、港に通じる小路が随所に走り、通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、京など遠方に起源がある祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。
これらの港町は、荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で、時を重ねて彩られた異空間として今も人々を惹きつけてやみません。」



「北前船(きたまえぶね)」とは、江戸時代から明治時代にかけて日本海海運で活躍した北国廻船の名称で、例えば北海道(蝦夷地)から東京(江戸)へ向かう場合、日本海側から津軽海峡経由で太平洋へ抜ける東廻り航路と、日本海から瀬戸内海へ抜ける西廻り航路とがあったところ、後者を航行する船をこう呼んだとされています。
北海道から日本海をひたすら西へ向かい、関門海峡~瀬戸内海を経て江戸へ向かうなど、果てしなさ過ぎて気が遠くなりそうで、東廻り航路の方が遥かに時間も短く効率的な気がしますが、東廻り航路は、太平洋を北上する黒潮の流れと反対方向になることから、当時の船では航行が困難ということで、西廻りである北前船による航海が主流になったと言われています。

今年5月に認定された日本遺産のストーリーには、そんな北前船のゆかりの場所が挙げられています。





まず一箇所目は、函館山。
ここは、北前船の船乗りたちが、出港前に、日和(天候)をみた場所とされています。





2010年に復元された「箱館奉行所」。
かつての奉行所には、笏谷石(しゃくだにいし)と言って、北前船で運ばれてきた、福井県足羽山周辺で採掘される凝灰岩が礎石として使われていました。








「高田屋屋敷跡」。








「高田屋本店跡」。

この二箇所は、北前船で財を成した、高田屋嘉兵衛と弟の金兵衛の足跡を今に伝える場所です。




最後は「厳島神社」。
大漁祈願の社で、1837年に寄進された鳥居には、「加州橋立浦廻船中」(現在の石川県加賀市地方)とあり、北陸の北前船主からも信仰を得ていたことが記されています。
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碧血碑の横に

2017-09-22 18:58:18 | 函館
昨日の記事を書いた後、写真を整理していて、まだ紹介していなかったが幾つかあることに気付いたので、順次紹介していきます。





谷地頭にある、箱館戦争での旧幕府軍の戦没者(約800人)を供養する「碧血碑(へきけつひ)」
ここで紹介したのはもう九年前ですが、谷地頭を歩く時は、何度かぶらりと行っていました。





その「碧血碑」の横に、ひっそりと建立されている小さな碑があります。





この碑は、柳川熊吉という幕末の侠客を称えるものです。

箱館戦争終結後、政府軍の戦死者が函館招魂社(現在の「函館護国神社」)で手厚く葬られ、祀られた一方、「賊軍」と呼ばれた旧幕府軍の戦死者は、弔うことも許されず、遺体が野ざらしにされていました。
そんな様子を見かねた柳川は、実行寺の住職であった松尾日隆や、箱館奉行所建築に携わった棟梁・大岡助右衛門らと共謀し、数日間をかけて遺体を集めて、実行寺の境内に合葬。1871年には、函館山山腹に土地を購入し、戦死者の遺骨を改葬したとされています。

その後新政府軍の取調べを受け、軍事裁判で死刑判決が出されましたが、柳川の侠気に感動した新政府軍の田島圭蔵の計らいで放免され、谷地頭で料亭「柳川亭」を開業。米寿(88歳)を迎えた1913年に、有志によってこの碑が建立されています。

目立たないといえば確かに目立たない場所にありますが、終結後とはいえ、箱館戦争を語る上では欠かせないエピソードだと思います。
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お宝資料

2017-09-21 20:12:50 | 函館
「函館」カテゴリの記事数が、もうすぐ400に到達しようとしている。
残り半年でどこまで数を伸ばせるかわからないけど、無理にネタ作りをしても仕方ないので、「はこだて検定」まで二ヶ月を切ったこともあるし、勉強しながらネタを見つける方向にシフトしていこうかなと思っている。

そんな私が最近よく見ているのが、こちらのHP。


函館市中央図書館デジタル資料館(函館中央図書館公式HP)


まだ固めていないけど、たとえば古地図を見ていて、「何だこれは?」と思った場所を幾つか見つけた。
資料によっては、図書館で縮小版を見ることができる(原本は閉架書庫にあるので、簡単には見られない)ので、今日も仕事帰りに何点か見て来た。
周囲(主に職場)で、函館の町名の由来や、道路、川の変遷なんかが話題になることもあるので、きちんと説明できるだけの知識を得ておきたいというのもあるので、時間を見て勉強してみたい。

先日の三連休は、台風の接近や用事などで市内散策ができなかったのだけど、次の週末は、日曜日は天気がいいみたいなので、また適当にぶらり歩きしてみよう。
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