『ブレンワルドの幕末・明治ニッポン日記』を読みました。幕末の混沌とした時代を第三者スイス人商人の目から垣間見る第一級の図書です。内容は、筆者が子供のころに映画など見て抱いていた幕末とはかなり違い庶民はきちんと規則正しく生活していた様子でありますが、日本国のために命を投げ出したイメージと異なり、外人であれば見境なく殺す攘夷派には嫌悪感を感じました。このような時代、幕臣でありながら、維新の武士を啓蒙し続け江戸城無血開城した「勝海舟」はやはり偉人です。幕末以降が入試でも重点的に取り上げられる理由はこのような重要資料や写真が残っており、歴史の信ぴょう性が保たれるところにあります。
『ブレンワルドの幕末・明治ニッポン日記』以下コピー スイス人商人カスパー・ブレンワルドが、1862年12月から78年2月にかけて記した日記を翻訳してきました。ブレンワルドは1863年にスイス政府の通商使節団の一員として来日し、スイスと日本の通商条約の締結に尽力した人物です。また、彼は、その後、一時帰国したことはありましたが、そのまま横浜に滞在し続け、1865年にはヘルマン・シイベルとともにシイベル・ブレンワルド商会を設立し、この商会は横浜を代表する外国商館になりました。
彼の日記は、現在、スイスの連邦公文書館などに保管されていますが、当館ではシイベル・ブレンワルド商会の業務を継承するDKSHジャパン株式会社(本社、東京都港区)の協力を得て、日記の複製を入手し翻訳作業を進めてきました。
日記の内容は多岐にわたりますが、スイスと日本が通商条約を締結する過程でどのようなことがおこっていたのか、生麦事件の発生後、幕府と西洋諸国の外交団がどのような交渉を繰り返したのか、居留地に住む外国人の暮らしぶりはどのようなものだったのかを具体的に知ることができます。また、シイベル・ブレンワルド商会の経営がどのようなものだったのかを記した部分もあります。なかにはブレンワルドがスイス製の小銃を幕府に売り込むために苦労した様子などを記した箇所もあり、日記は、これまで知られていなかった貿易の実態を知るための一級資料になっています。 横浜開港資料館蔵