いよいよ、2年後の平成31年は新天皇即位です。半年前には新元号が発表され、元旦の大混乱は防げるようですが、ソフトの組み換えなど忙しくなります。今回の退位は一代限りの特例法案としていますが、❷の過去に遡ると実は、譲位の方が多かった。皇室典範を作った、崩御による継承は初代総理大臣、伊藤博文がこだわり書き改めたそうです。時代背景も平和第一に変わり、皇室典範も書き改める時期に来たようです。
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政府は、2019年1月1日に皇太子さまが新天皇に即位し、同時に元号を改める検討に入った。
新元号は改元の半年以上前に公表する方向だ。
平成30年(2018年)の区切りで天皇陛下の退位を実現するとともに、国民生活への影響を最小限に抑えるため、新元号は元日から始め、事前に公表することが望ましいと判断した。政府は一代限りの退位を可能にする特例法案を20日召集の通常国会に提出する方針で、陛下の退位日は政令で定めることを法案に明記する。
陛下の退位日を定める政令は、閣議決定前に、皇族や首相、衆参両院の正副議長、最高裁長官らがメンバーを務める皇室会議に諮ることも検討している。
❷歴代天皇は崩御より譲位による皇位継承の方が多い。特に初めて譲位をした皇極(こうぎょく)天皇(第35代)以来、歴代天皇は次々に譲位を行い、明治天皇が即位する前までの92代(重祚(ちょうそ)、北朝5代含む)のうち譲位は64代を数える。
皇室典範策定直後の明治22年4月に井上馨が伊藤博文の名で著した『皇室典範義解(ぎげ)』では、譲位が続いた中世をこう批判している。
「権臣の脅迫によって両統互立を例とすることがある。南北朝の乱は、ここに原因がある」
おそらく伊藤は、譲位を認めれば、いつか上皇や法皇による院政が復活し、皇統の危機を招きかねないと考えたのだろう。さらには、近代国家としての日本を不安定にしかねないと危惧したとみられる。