一党独裁体制は、みずからの長期発展を推進するような、より優秀な指導者を選択することが出来ず、組織的な腐敗、衰退を通して衰退していく。それに対して、民主主義は、政治的な創造と破壊を通して、みずから生まれ変わる。トランプ大統領がいい例です。日本では『都民ファースト』を掲げ、東京都の創造と破壊を行っている小池百合子都知事に注目が集まります。小池新党がそこそこ勝ち上がり、都知事は依然自民党員の侭というシナリオがベストでしょう。その場合には自民党総裁選を目指し、衆議院選挙で若狭勝氏と都知事のイスとチェンジという超ウルトラCもありえます。いずれにしても国民は、現状追認の政治家よりも創造と破壊をおこなう政治家を支持する。そして、その政治家を支えるのが『良いポピュリズム』。腐敗に満ちた専制エリート政治よりはマシな2・3世政治家やメディアや知識人が嫌う国民の声を吸い上げる『良いポピュリズム』が今後、更に強まるでしょう。
以下 橋下徹氏 抜粋コピー
国民の多数意思で政治をやっていくのが民主政治です。その場合、国民を徹底的に信じなければなりません。しかし国民の声も絶対的に正しいものではない。だからこそ修正を繰り返しながら正しいものに近づけていく姿勢が必要です。一部の知識人が主導するのではなく、国民多数の意思で修正していく。良くなるも悪くなるも全て国民次第。ゆえにポピュリズムが全て悪なのではなく、良いポピュリズムを目指さなければならない。
ところがメディアも知識人も昨今、ポピュリズムというワード(言葉)を、自分の考えと異なる政治への批判の言葉として使っていますよね。政治の中身の分析、評価をすることなく。ポピュリズムを大衆迎合主義という意味で使う場合には、国民をバカにしている。
ポピュリズムを悪とするなら、それと反対側にある「専制エリート政治」の方がいいのか。ポピュリズム、民主政治にはいろんな問題があり、ヒトラーを例に「民主政治は独裁政治につながる」という批判もある。しかし、専制エリート政治を振り返ると、旧ソ連のスターリン、北朝鮮の金一家、アフリカの独裁体制、そして中国と、これらの体制の方がはるかに弊害がある。ポピュリズムの方がマシであることは間違いないでしょう。そもそも民主政治においては「絶対的に正しい政治」なんて想定しちゃいけないんですよ。
もちろん政治を批判することも民主政治にとって重要ですが、多くの国民の支持を取り付ける行為そのものをポピュリズムと批判するなら、それは民主政治の否定です。国民の教育レベルによって、民主政治を採用すべきかどうかはその国の判断の分かれ目ですが、それでも民主政治を選んだのなら、国民多数の意思を徹底して尊重しなければなりません。
昨年大みそかのNHK紅白歌合戦では、200万人規模の会場入場者と視聴者は圧倒的多数で白組を支持しました。ところが10人ほどの審査員のうちの多数支持で最終的に紅組(あかぐみ)が勝った。典型的な専制エリート政治ですね。多くの視聴者は違和感を覚えたと思います。この場合に白組を勝たせることはポピュリズムとして悪でしょうか? メディアや知識層がいうポピュリズム批判は、紅組を勝たせよ!と主張しているようなもの。そりゃ国民の意識からどんどん離れていきますよ。