「一佛の名号を称して無量の重罪を消し、一字の真言を讃して無辺の功徳を得る。・・経法のあるところは諸仏護念し、諸天守衛す、かくのごとくの利益あげて計うべからず(秘蔵宝鑰)」
((条件の整っている者は)一体の仏の名をおとなえしても重罪が消え、数あるご真言の一句でもとなえれば無辺の功徳を得る。・・仏の教えを大切にしている人には諸仏が守り諸天が護衛して下さる。密教ではこのような霊験は数えきれない。 . . . 本文を読む
金剛般若波羅蜜經開題(弘法大師)
(京都国立博物館に大師筆の「金剛般若波羅蜜多経」(残巻)が国宝として残っています。
大師は遣唐使・藤原葛野麻呂が無事渡唐の御礼に『金剛般若経』187巻の書写をしたので大師がその供養をされたその際の願文を執筆されています。「・・弟子、去んじ延暦二十三年に天命を大唐にふくんで遠く鯨波を渉る。風波天に沃いで人力何の計かあらん。自ら思く、冥護(神仏の護り)によらずんば . . . 本文を読む
布施により福徳を積み、写経等で智慧を磨き自利利他行に励むことが覚りへの道である。
「もし善男善女ありて生死の苦根を断じ、菩提の妙楽にいたらんと欲せばまず福智の因を積んで、しかるのちに無上の果を感致せよ。福智の因といふは、妙経を書写し、深義を講思するは、すなわちこれ智慧の因なり。檀等の諸行はすなわちこれ福徳の因なり。よくこの二善を修し四恩を抜済し、衆生を利益するときは、自利利他の功徳を具し、速やかに . . . 本文を読む
大師は「我は一にして多である」とおしゃっています。
「善無畏三蔵は之(我即宇宙)を説明し、「我はすなわちこれとは、決定して我はすなわち法界であり、我はすなわち毘盧遮那であり、我はすなわち普門の諸神である(大日経疏)」等といっている。
この天地一切を自己の内容として完全に一体を生きているのが本当の我であり永劫の佛であり摩訶毘盧遮那であるのであるから、この大日如来に体達するというのも本当の我に生きる . . . 本文を読む
・仁王の国を治むるに封賞差あり。法帝の世を御するに摂引一に非ず。差あるは能治の不平にあらず、不一は還ってこれ所化の機の別れなればなり。(「真言付法伝」お陰が不平等なのは仏様のせいではない、受ける方の機根が相違するからである)
・人に愚と智とあり。器にまた頓と漸とあり。頓機は能く信ず、漸人はなんぞ得ん。(「真言付法伝」智がすぐれており深い信仰を持てる者はすぐにお陰を受ける。)
・洪鐘の響き 機に従っ . . . 本文を読む
「矛盾対立の差別を‥生かしこれを更新し、これを一段高き次元において包容し綜合することを大師は「二而不二」とか差別即平等とかいうのである。
かの金剛頂経に「二而の相を呈せる一切の諸法はそのままに不二である」と説けるごとくに不二といってもそれは決して矛盾対立の二而差別をなくしたうえでの不二でも平等でもない、・・大師はこれを「多にして不異でる。不異にして多である。ゆえに一如と名ける。一は一でなくして一で . . . 本文を読む
以前「死者は生者を助けようとしている」との記事を載せ、私の経験から死者は残されたものを大変慮っているという実例をあげました。今日改めて御大師様の性霊集に同じことが書かれていることを見つけ嬉しくなりました。
「逝者は烋楽(きょうらく、仏の世界をたのしむ)し、留とどまる人(のこされた者)は苦しむ」という文です。
以下引用します。
続性霊集八巻、藤左近将監、先妣の為に三七の斎を設くる願文
「先師に聞 . . . 本文を読む