観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・21/27
五、禅那維那姫の事。
昔天竺のある國に二人の長者あり。一人をば禅那長者と名く。一人は維那長者と名くるなり。各々姫を一人つ゛つ持ちたり。禅那長者の姫、無比の美人なり。維那の娘以外の悪女なり。此の二人の姫を内裏へ召されて帝王の近處に召仕へらる。而るに禅那の娘は美人なれば太子御寵愛なり。されば公卿殿上人も皆尊敬さるるなり。さて維那の息女は悪女なれば . . . 本文を読む
「高野春秋」「(貞観五年863)十二月、真如師の遺骨、羅越祇國より傳来す。是れ則ち在唐中瓘,書を寄せて送別する也。・・仍ち和州超昇寺に葬す。」
(マレーシアのジョホール・バルには、親王院が日本から御影石を運んだ高岳親王の供養塔があるようです。
超昇寺は、真如法親王が父・平城天皇が晩年住んでいた平城宮北側の楊梅宮を、835年に寺としたものです。) . . . 本文を読む
今日は大師の「三教指帰」が書かれた日です。三教指帰序末に「時に延暦十六年臘月の一日なり」とあります。三教指帰は、大師が24歳の延暦16年12月1日(797年12月23日)に成立、出家宣言の書とされています。序文の「支離懸鶉(不具・貧者)をみてはすなわち因果の哀しみ休まず。目に触れて我を勧む。誰か能く風を係がん」には大師のすべてが現れているように思います。「誰か能く風を係がん」とは逆に如何に親を含め . . . 本文を読む