布施により福徳を積み、写経等で智慧を磨き自利利他行に励むことが覚りへの道である。
「もし善男善女ありて生死の苦根を断じ、菩提の妙楽にいたらんと欲せばまず福智の因を積んで、しかるのちに無上の果を感致せよ。福智の因といふは、妙経を書写し、深義を講思するは、すなわちこれ智慧の因なり。檀等の諸行はすなわちこれ福徳の因なり。よくこの二善を修し四恩を抜済し、衆生を利益するときは、自利利他の功徳を具し、速やかに一切智智の大覚を証す。これを菩提と言ひ、これを仏陀と称し、または真実報恩者と名く。(理趣経開題・弘法大師)」
「もし善男善女ありて生死の苦根を断じ、菩提の妙楽にいたらんと欲せばまず福智の因を積んで、しかるのちに無上の果を感致せよ。福智の因といふは、妙経を書写し、深義を講思するは、すなわちこれ智慧の因なり。檀等の諸行はすなわちこれ福徳の因なり。よくこの二善を修し四恩を抜済し、衆生を利益するときは、自利利他の功徳を具し、速やかに一切智智の大覚を証す。これを菩提と言ひ、これを仏陀と称し、または真実報恩者と名く。(理趣経開題・弘法大師)」