「矛盾対立の差別を‥生かしこれを更新し、これを一段高き次元において包容し綜合することを大師は「二而不二」とか差別即平等とかいうのである。
かの金剛頂経に「二而の相を呈せる一切の諸法はそのままに不二である」と説けるごとくに不二といってもそれは決して矛盾対立の二而差別をなくしたうえでの不二でも平等でもない、・・大師はこれを「多にして不異でる。不異にして多である。ゆえに一如と名ける。一は一でなくして一である。無数を一と為す(吽字義)」と示されている。「真言宗読本(栂尾祥雲)」」
かの金剛頂経に「二而の相を呈せる一切の諸法はそのままに不二である」と説けるごとくに不二といってもそれは決して矛盾対立の二而差別をなくしたうえでの不二でも平等でもない、・・大師はこれを「多にして不異でる。不異にして多である。ゆえに一如と名ける。一は一でなくして一である。無数を一と為す(吽字義)」と示されている。「真言宗読本(栂尾祥雲)」」