善財童子の訪問者と教え(華厳経入法界品)19
十八番目、南方満幢城 満足王
満幢城に着くと満足王は立派な獅子座に坐して容貌魁偉・威風堂々としていた。しかし王の前には醜悪な仕置人たちが罪人を王に前に引き立て王の判決により刑を執行していた。手足を切断され、眼を抉られ、火炙りにされている。処刑場には死体や捥ぎ取られた手足・頭・眼等が山と積まれ衆合地獄の様相を呈していた。善財はこの王は悪人であると思った . . . 本文を読む
普賢菩薩行願讃
開府儀同三司 特進試鴻臚卿
肅國公食邑三千戸賜紫贈司空
諡 大鑑正號大廣智大興善寺
三藏沙門不空奉 詔譯
所有十方世界中 一切三世の人師子
我今彼を禮し盡すこと無餘 皆清淨身口意を以ってす
身は刹土微塵數の如し、 一切如來を我れ悉く禮す
皆な心意をもって諸佛に對するに、 此普賢行願力を以ってす
一塵端において塵佛の如し、 諸佛佛子其中に坐せり
是の如く法界は . . . 本文を読む
内藤湖南「日本文化の独立」より
「・・北畠親房の神皇正統記を御覽になつて居ると思ひますが、正統記で後宇多天皇のことを拜見しますると大變ほめ奉つて居ります。昔から日本で名君と言はれた天皇方は延喜、天暦、寛弘、延久即ち醍醐天皇、村上天皇、一條天皇、後三條天皇といふやうなお方であつて、同時に此のお方々はいづれも宏才博覽に諸道をもしらせられたといふことを言つて居るが、後三條以後には後宇多天皇ほどの御才は聞 . . . 本文を読む
世経にも。始作俑者、其無後とある。((孟子・梁恵王上に「仲尼曰く、始めて俑を作る者は、其れ後無からんか、と。其の人に象りて之を用うるが為なり〔孔子は、初めて俑を作り出した者こそは、天罰によって子孫が絶えるだろう、と言ったが、それはあまりに、人間に似たものを作ってこれが後の殉死制度のもとになったからである〕」とあります。)俑を作り出せし者だに後なからんかとあるに由りて見よ。罪なき者を殺害すれば。决定 . . . 本文を読む