福聚講

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観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・2/27

2024-11-12 | 諸経

観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・2/27

一、穆王霊山に至る事。

此の品(観世音菩薩普門品)を當途王經と名けて(妙法蓮華経秘略要妙・観世音菩薩普門品第二十五(浄厳)「當途王經(とうずおうきょう)一、當品を當途王經と號する事は、當世 尊大の経と云義なり。途とは世の義なり。一説に周の穆王八駿の馬に乗て西方に遊歴せられしに、天竺に至て、佛の普門品を説玉ふを受持して歸られしが故に、王の行途に當て説玉へる經なれば當途王經と號するといへり。是は妄説にして取るに足らざるものなり。一、當品は化他に約して、流通を勧むる中の第二に命を受けて法を弘むる弟子を明かす二品あり。今は其の第二の一品なり。一、若し真言門の義に約すれば、観世音とは胎蔵界の八葉の東北の観自在即ち是なり。観自在とは成所作智の大悲方便の外用の至極なり。若し又観音の観心の義に例して云ば、観自在とは観達自在の義の故に。成所作智の利の中の自證の至極なり。猶確論せば観理(自證)観機(化他)二つ俱に自在の故に。實には二利を兼たる名なり。」)別して世に流布すること何の時代より始むると云ふに多くの故之あり。一義に云、昔大唐の周の穆王八疋の駒に乗りて遊行し玉ふ時、測らずも天竺の霊鷲山に至り、釈尊の法華を説き玉ふを聴聞し玉ふなり。其時釈尊天竺の五にては彼の王聞難かるべきと思召して、大唐の語を以て此の品を穆王に聞かしめ玉ふなり。されば此の品

は直説の漢語といふ事之在る也。仍って知らず測らず霊山説法の砌之を聞玉ふゆへに當途王經といふなり。一義に云く観音玄(ママ)に見えたり。

 

 

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