十善業道經
大唐于闐三藏實叉難陀奉制譯
如是我聞。一時佛、娑竭羅龍宮にいまして、八千大比丘衆三萬二千菩薩摩訶薩と倶なりき。爾時世尊龍王に告げて言く。「一切衆生心想異るが故に業を造ることも亦異なり。是の故に諸趣に輪轉すること有り。龍王、汝此會および大海中に形色種類各別なるを見るや不や。是のごとく一切は心によりて善と不善とを造らざるなし。身業と語業と意業との致すところなり。而も心は無色にして見取すべか . . . 本文を読む
問、お蔭を受けるべく祈って、お蔭を得られないのはなぜか?
法然上人の答え、いのってもお蔭を受けられないと言うが、お蔭があるということは仏の嘘ではない。自分の思ったようにならないからといってお蔭がないとは言えないのである。しっかり拝めば必ずお蔭はある。観音様を拝んでも、一心に拝めばお蔭はある。もし一心に拝まなければお蔭はない。むかしの佛縁のあつき人は、定業すら転ずることができた。むかしもいまも佛縁の . . . 本文を読む
弘法大師の護国精神 別所弘因(智山学報)・・・
大師が高野山を「鎮國安民の道場」となし、東寺を「教王護国寺」と称し、かの高雄山を「鎮護国祚寺」と号せられたのも如上の精神(護国の精神)からである。
東寺について考えるに・・・その下賜された趣旨は「東寺毎年安居し守護経を講ずべき表」のなかに「それ東寺は遷都のはじめ国家を鎮めるため柏原先朝建立の所なり。乞う・・禍を転じ福を修し国を鎮め家を護らんことを . . . 本文を読む