福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

法然上人百四十五箇条より

2019-12-04 | 法話
問、お蔭を受けるべく祈って、お蔭を得られないのはなぜか?
法然上人の答え、いのってもお蔭を受けられないと言うが、お蔭があるということは仏の嘘ではない。自分の思ったようにならないからといってお蔭がないとは言えないのである。しっかり拝めば必ずお蔭はある。観音様を拝んでも、一心に拝めばお蔭はある。もし一心に拝まなければお蔭はない。むかしの佛縁のあつき人は、定業すら転ずることができた。むかしもいまも佛縁の浅い人は、ちりばかりものくるしみを癒すのにもおかげはない。お蔭がないからと言って仏を恨んではならない。現世来世であろうとも仏に一心に拝み、真心いたせば、この世もおもふ事がかない、のちの世も浄土に生まれることが出来る。お蔭を得られなければ懈怠の自分の心をはづべきである

(一。現世をいのり候に、しるしの候はぬ人はいかに候ぞ。
答。現世をいのるに、しるしなしと申事、仏の御そらごとには候はず、わが心の説のごとくせぬによりて、しるしなき事は候也。さればよくするにはみなしるしは候也。観音を念ずるにも、一心にすればしるし候。もし一心なければしるし候はず。むかしの縁あつき人は、定業すらなを転ず、むかしもいまも縁あさき人は、ちりばかりものくるしみにだにもしるしなしと申て候也。仏をうらみおぼしめすべからず。ただこの世、のちの世のために仏につかへむには、心をいたし、ま事をはげむ事、この世もおもふ事かなひ、のちの世も浄土にむまるる事にて候也。しるしなくば、わが心をはづべし。)
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