今日は慈覚大師円仁ご入滅の日です。慈覚大師円仁は延暦13年(794年)生まれ で貞観6年1月14日(864年2月24日))に入滅されています。第3代天台座主です。若き日、不治の病を法華経の写経により霊夢を見て完治した円仁は横川の根本如法堂を建立しています。43歳から渡唐をはじめやっと45歳で入唐、54歳で帰国。招来した仏典は五八四部八〇二巻に及び、金剛界胎蔵界の両界曼荼羅などの密教法具を持ち帰って . . . 本文を読む
お釈迦さまが「法華経」「観無量寿経」等を説かれた霊鷲山は場所不明でしたが、1903年(明治36年)1月14日朝、大谷光瑞の第1次大谷探検隊が朝日に照らされたこの山を発見、仏典上の霊鷲山と確定しています。これは、数年後もインド考古局第3代目の長官ジョーン・マーシャルの調査によって国際的に承認されています。今から10年前には当方も浅井先生に引率していただき霊鷲山のお参りと清掃をさせていただきました。大 . . . 本文を読む
「公事根源」
「御斎會の内論議 十四日
十四日は御斎會の結願なり。内論議は御殿(清涼殿)にて行はる。御物忌の時は南殿にてあり。問者、講師などありて御前にて論議すれば内論議とは申すなり。孝徳天皇白雉三年652四月に恵隠沙門を内裏に召されて無量義経を講ぜらる。沙門恵資を論議者として一千人の沙門、作聴者たりと日本紀に記せり。又(醍醐天皇)天長十年833正月二十四日延暦寺の僧圓澄を召して論議ありと見 . . . 本文を読む
扶桑略記(天平二十一年一月十四日)「平城中島宮に於いて、大僧正行基を請して、其の戒師と為し、太上天皇(第四十五代聖武天皇)菩薩戒を受け、勝満と名く。中宮受戒し、徳太と名づく。皇后(光明子)受戒し、万福と名づく。即日、大僧正を改め、名づけて大菩薩という。」 . . . 本文を読む