桓武天皇が田植えを心配されて伊勢神宮等に祈雨され、大雨が降った日
続日本紀 / 延暦七年(788)「五月己酉(二日)(桓武天皇は)群臣に詔して曰 『宜しく伊勢神宮及七道名神に差使して祈雨すべし。』 是夕大雨 其後雨多 遠近周匝 遂に耕殖を得る矣」 . . . 本文を読む
皇統の存続を700年以上前に予見しておられた天皇の御遺言がありました。国宝後宇多法皇宸翰御遺告(大覚寺蔵) です。 後宇多法皇は英邁で知られた法皇ですが、この御遺告には恐ろしいことが書いてありました。後宇多法皇宸翰御遺告第二条に「・・血脈を継ぐ法資は天祚を伝ふの君主、盛衰を同うし、興替を伴ふべし。吾が法を断絶せば皇統共に廃ぶ。吾寺(大覚寺)を興す者は皇業安泰、努々吾此の意に背き悔ゆること莫れ耳。」 . . . 本文を読む
三代実録 / 元慶二年(878)五月「二日丁酉 摂津国旱飢す。(陽成天皇は )詔して播磨備前両国に不動穀(不動倉に保管された稲穀)各三千斛を転運し 百姓に班賦せしむ。」
天皇制はこういう一地方にまで行き渡る天皇のきめ細かいご配慮で続いてきています。 . . . 本文を読む
観音霊験記真鈔32/33
西國三十一番江州長命寺聖観音像御身長三尺(約91㎝)。
釋して云く、明眼論に云く、二には事の観音の用を述す。或は妙覚果満の世尊と為り、方城を示て西方に住し、國土を浄めて寶座を飾る。
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