弘法大師全集にある「上宮太子廟参拝記文」です。
「上宮太子廟参拝記文
嵯峨天皇の御宇、弘仁元年河内の国の聖所に於いて道場を建立し、籠居の處を卜する之間、上宮聖王の御廟に参詣する事一百箇日也。第九十六日の夜半一霊建有。御廟洞之内に微妙の小音有りて大般若理趣分を誦す。音に応じて光明在り。爰に空海祈念すらく、この妙事誰人の所為ぞや。願わくは我に示せと。所願に応じて廟窟の前に一の光明輪あり。美妙の音有りて唱えて言はく、我は是れ救世大悲の垂迹なり。我昔安養世界において日本の衆生を利せんがために彼の安楽を捨てて此の穢土に来る。我が母后は是れ我が本師無量壽如来の化身垂迹なり。我が女妃は亦得大勢至菩薩の和光なり。三尊契りを結びて和国に於いて生を受け若干の寺院を建立し、若干の僧尼を化度して 己畢ぬ。遷化年久。彼三尊に擬し三処に遺骨を揃ふ。母公を中尊と為し、夫婦を脇侍と為すと。忽然として光明の中に弥陀の三尊を現し、法華、勝鬘等の大乗の要文を誦す。見佛聞法の力に依って空海三発光地を証し己畢ぬ。地位の力を以て我空海廟窟に入ってこの由来を註記し西方の石を削って朱子を入れる。その語に云う。
西方の三尊は権迹を馬台に垂れ
東家の四輩は菩提を安養に成す
三尊の位に擬して三骨を一廟に納め
三乗の教えを表して三床を一墓に並ぶ
母公は西界の教主なり
夫妃は東土の救世なり
この廟窟に参詣せし輩は 思念を九品の浄刹に成して 往生を安楽の宝池に遂ぐべし
誠に是れ濁世末代の規模、清浄無漏の霊陵也。
干時弘仁元年秋八月十五日夜半の時 遍照金剛注記」
(弘法大師全集編者曰く、右太子廟参拝記文は叡福寺所伝ならびに続群書類従第十一巻に載するところの法隆寺良訓補忘集にこれを写す。また年譜第五巻これを載するところ・・)
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