高野山往生伝「聖誉上人。之を西谷勝誉房と号す。元仁和寺の住僧也。永く彼の寺を離れ久しくこの寺に住す。不動明王を以て本尊と為す。大法を修し薫修積む。入壇灌頂油鉢傾けず。身漸く暮齢に及び、口に世事を言ず。爰に風疾相侵し天命殆危。仁安二年1167二月二十九日、弟子に示して曰く、『千坐千日の行法,已に九百九十九日を満ず。明日は是密厳国土の日也。運明日時今日終らんと欲す。残る所の時、総て是れ . . . 本文を読む
今日(正確には明日)は桂昌院が護国寺に初めて参詣した日です。天和三年二月二十九日(1683)桂昌院が初めて護国寺に参詣されています。護国寺は天和二年二月七日に上野大聖護国寺の亮賢が徳川綱吉より高田薬圓を与えられ桂昌院の祈願寺護国寺の建立を命ぜられて後、天和二年九月に観音堂の上棟が行われています。(護国寺史) . . . 本文を読む
治五年1130、2月28日は西院流大僧正信証が女院御祈祷のため大炊殿において孔雀経法を修し、法験あらたかで御願時即成就した日です。(仁和寺諸院家記)信証は平安末期の真言僧。後三条天皇の孫。仁和寺の寛助より灌頂をうけ廣澤流の奥義を窮め、西院流流祖。東寺長者,広隆寺別当,僧正。保延7年(1141)鳥羽上皇出家の戒師。永治2年4月8日死去。45歳。通称は堀池僧正・三宮僧正・法浄院僧正。著作に「阿字観鈔」 . . . 本文を読む
29日は一燈園創始者西田天香師が逝去された日です。昭和43(1968)年2月29日、96歳でした。「出家とその弟子」を書いた倉田百三は手紙で「・・・私は此の頃は、心の歩みのなかに渋滞と障礙とを感じて苦しんでゐます。 進みにくくて困ってゐます。 内に熟するものの力を切に祈り求めてゐます。 享楽的な生活をしてゐる人々のなかにゐると天香さんのやうな生活には直ちに、力さへあれば、入れるやうに感じますが、天 . . . 本文を読む
勝賢は藤原信西(保元・平治の乱の蔭の主役)の息で、醍醐寺座主・東寺長者・東大寺別当。保延4年、1138から建久7年6月22日、(59歳)遷化。守覚法親王と共に後白河法皇の六条殿に孔雀経法を修す。永仁3年、1295、2月29日宮中二間(天皇の私的仏間)において初めて勤行。 . . . 本文を読む
聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経(しょうむどうそん だいゐぬおう ひみつだらにきょう)金剛手菩薩説三蔵般若遮迦羅譯(こんごうしゅぼさつのせつさんぞうはんにゃしゃからの やく)爾時、毘盧遮那大會(びるしゃなだいえ)の中に一人の菩薩摩訶薩あり名ずけて金剛手という妙吉祥菩薩と倶(とも)なりき此の金剛手は是れ法身の大士なり、是故に普賢と名つ゛く。即ち如来より金剛杵を得たり。其の金剛杵は五智所成なり。 故に金剛 . . . 本文を読む