福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経

2023-03-04 | 諸経

聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経(しょうむどうそん だいゐぬおう ひみつだらにきょう)
金剛手菩薩説三蔵般若遮迦羅譯(こんごうしゅぼさつのせつさんぞうはんにゃしゃからの やく)



爾時、毘盧遮那大會(びるしゃなだいえ)の中に一人の菩薩摩訶薩あり
名ずけて金剛手という
妙吉祥菩薩と倶(とも)なりき
此の金剛手は是れ法身の大士なり、是故に普賢と名つ゛く。
即ち如来より金剛杵を得たり。
其の金剛杵は五智所成なり。 
故に金剛手と名つ゛く。              
又た妙吉祥菩薩は是れ三世の覚母なり、故に文殊師利と名つ゛く。 
かくのごとき菩薩は衆生を度せんがために菩薩身を現じ、 
戒・定・慧・解脱・解脱知見を成就して善能く諸陀羅尼門に通達せり。  
其心禪寂(ぜんじゃく)にして常に三昧に住し、
衆魔を降伏して正見に入れ、大智慧を得しむるに、障礙あることなし。
能く衆生に随って大法輪を転ず。 
解脱の風を吹かせて衆生の熱悩を除く。
大法の雨をふらし、衆生の心地に注ぎ、 善根の種を殖(うえ)しめ、           亦た能く秘密の蔵を具足せしむ。
其心自在にして 、或は多身を現じ、復た多身を合して 以って一身となし、
衆生の願に随って能く悉地を與え、
宿願の薬をもって衆生の病を療(いや)す。
是の大菩薩は五髻(ごけ)の冠を戴(いただ)きて五種の智慧を顯わす。        
智慧は日月のごとくにして諸(もろもろ)の暗冥を照らす。 
常に人天(にんでん)に恭敬せられんがために大法(だいほう)の船を設(もう)け
普(あまね)く苦海(くかい)を度して彼岸に至らしむに
心に傾動(けいどう)なく塵垢(じんく)に染まず、 
能く衆生を誘(いざない)て妙色(みょうしき)を見しむ。
是(かく)のごとくの功徳、甚深無量(じんじんむりょう)なり。
設(たとひ)多劫をへて讃(ほむる)とも盡くすこと能(あたわ)ず。
是の二菩薩は、 如上の殊勝功徳を成就したまへり。
是に於いて金剛手菩薩、火生三昧(かしょうざんまい)に入り、
其の光り、普く無邊世界を照らす。

火焔熾盛(かゑんしじょう)にして 諸の障(さわり)を焚燒(ぼんしょう)す。
内外の魔軍、恐怖馳走(きょうふちそう)して、
山中に入らんと欲すれども遠く去ること能わず。
大海に入らんと欲すれども亦た去ること能わず、聲を擧あげて大いに叫ぶ。            唯だ佛所に至りて請乞救護(くご)を請乞(こいこ)う。
釋堤桓因(しゃくだいかんいん)梵天王等(ぼんてんおうとう) 
深禪定(じんぜんじょう)の楽を捨て、此處(このところ)に來入(らいにゅう)し、
天龍八部(てんりゅうはちぶ)皆な悉(ことごと)く
菩薩の所に來至して、禮(らい)を作して坐す。
爾時、金剛手(こんごうしゅ)三昧(さんまい)より起ちて、
妙吉祥菩薩(みょうきちじょうぼさつ)に告げてのたまわく、
大威怒王(だいいぬおう)います名ずけて
阿利耶阿闍羅拏多尾地耶阿羅惹(ありやあしゃらのうたびち゛やあらんじゃ)という。
是の大明王は大威力あり。智慧の火を以て諸の障礙を焼き、 
亦た法水を以て 諸の塵垢(じんく)を漱(すす)ぐ。
或は大身(だいしん)を現じて虚空の中(うち)に満つ。
或は小身(しょうしん)を現じて衆生の意(こころ)に随い、
金翅鳥(こんじちょう)の如く諸の毒悪を喰らふ。
亦た大龍(だいりゅう)の如く、大智の雲を興して法雨(ほうう)を灑(そそ)ぐ。
大力劔(だいとうけん)の如(ごと)く 魔軍(まぐん)を摧破(ざいは)し、
亦た羂索(けんさく)の如(ごと)く 大力の魔(だいりきのま)を縛(ばく)す。
親友の童子の如く行人(ぎょうにん)に給仕す。
其心、驚かず。 不動定(ふどうじょう)に住すればなり。
是の大明王は其の所居(しょご)無し。だ衆生心想の中に住したまふ。
所以者何(ゆえいかんとなれば)虚空廣故世界無邊(こくうひろきがゆえにせかいむへんなり)、世界無邊故衆生界廣(せかいむへんなるがゆえにしゅじょうかいひろし)、
衆生界廣故法身體廣(しゅじょうかいひろきがゆえにほっしんのたいひろし)。法身體廣故遍法界(ほっしんのたいひろきがゆえにほうかいにへんず)。
法界に遍ずるが故に無相をもって體となし、 無相にして相あれば行者の意(こころ)にしたっがって其の形體(ぎょうたい)を現ず。
其身、有にあらず、無にあらず。因にあらず、縁にあらず。自にあらず、他にあらず。    方にあらず、円にあらず。長にあらず、短にあら。、出にあらず、沒にあらず。生にあらず、     滅にあらず。造にあらず、起にあらず、為作(いさ)にあらず。 坐にあらず、臥にあらず、行住(ぎょうじゅう)にあらず。動にあらず、轉にあらず。 閑静(かんじょう)にあらず、。
進にあらず、退にあらず。 安危(あんき)にあらず。
是にあらず、非にあらず。得失にあらず。彼にあらず、此にあらず。 去來(こらい)にあらず。青にあらず黄にあらず赤にあらず白にあらず紅にあらず紫にあらず種種色(しゅじゅのしき)にあらず。

唯だ大定智悲(だいじょうちひ)円満して、具足せざることなし。
即ち大定の徳の故に、金剛盤石(こんごうののばんじゃく)に座し、
大智の徳を以ての故に、迦楼羅焔(かるらえん)を現じ、
大悲の徳を以ての故に、種種の相貌(そうみょう)現ず。
其の形、青黒(しょうこく)にして暴悪の相に似たり。
智慧の剣を執りて貪瞋癡を害し、或は三昧の索(さんまいのなわ)を持して 難伏の者を繋縛(なんぶくのものをけいばく)す。
常に天龍八部(てんりゅうはちぶ)の為に恭敬せらる。
若し纔(わずか)に 是の威怒王(いぬいおう)を 憶念(おくねん)せば、      
能く一切の障難を作すものをして   皆な悉く断壊(だんえ)せしむ。
一切魔衆(いっさいのましゅ)敢えて親近(しんごん)せず、
常に當に是の修行者所住の処を遠離して、一百由旬(いっぴゃくゆじゅん)の内に、    魔事及び鬼神等あることなかるべし。
時に金剛手、 最勝根本大陀羅尼を説いて曰(のたまわ)く、
「なうまくさらばたた ぎゃていびやく さらばぼつけいびやく さらばたたらた 
せんだまかろしゃだ けんぎゃきぎゃき さらばびきんなん うんたらた かんまん」

纔(わずか)に是の真言を誦すれば大智火を出だして一切の魔軍を焚燒す。
三千大千世界 咸(ことごと)く大忿怒王(だいふんぬおう)の威光に焚燒(ぼんしょう)せられて大火聚(だいかじゅ)となる。
唯だ十地(じゅうじ)の菩薩等と一切の佛土を除いて諸(もろもろ)の冥衆を焼き、            後に法薬を以て安穏を得せしむ。
時に金剛手、而も偈を説いて言たまはく、

若し是の真言を持せば 無傾動を成就して 諸の徃昔(おうじゃく)の罪を焼き 大魔王を降伏せん 
所求の一切の事 持(たもつ)に随って成就を得ん
十二大天等 常に來りて加護し  

東北の伊舎那(いしゃな)     東方の帝釋天(たいしゃくてん) 
東南の火光尊(かこうそん)       南方の焔魔天(えんまてん)
西南の羅刹天(らせつてん)       西方の水雨天 (すいうてん)
西北の風雲天(ふううんてん)       北方の多聞天 
上方の大梵天         下方の持地天
日天照衆闇(にってんしょうしゅあん)  月天清涼光(がつてんしょうりょうこう)
是(かく)の如き大力の天    而も來って彼を圍遶せん
或は明王の伏を蒙むり 還って敬(つつしん)で擁護(おうご)を作(な)す
使者の矜羯羅(こんがら)及び制迦(せいたか)倶利迦龍王(くりかりゅうおう)薬廁使者(やくしにしゃ)是(かく)の如き大眷屬、或は隠れ、或は顯(あらわ)れ來って
修行者に奉仕(ぶじ)すること世尊を敬う如くならん  
若し大根の者(だいこんのもの)の為には聖者忿怒を現じ 
根性中根の者は二童子を見ることを得ん 
若し下根の行人(ぎょうにん)は 怖(おそれ)を生じて見ること能(あたわ)ず 
是の故に大明王、 為に親友の形(しんうのかたち)を現じたまふ 
かくのごときの根性に随って而も大利益をなし
漸漸に彼を誘進(ゆうしん)して阿字門(あじもん)に入(い)らしむ
爾時(そのとき)金剛手菩薩 是の偈を説き巳って
普く大衆(だいしゅう)を観て之に告げて言(のたまわ)く
善哉大會(よいかなやだいえ)皆な宿善(しゅくぜん)によるが故に 
今ま来って、是の如き明王及び大力の神咒を聞くことを得
若し是の大明王を見奉らんと欲せん者は 應に捨身修行の法を修すべし
復た真言を説いて曰(のたまわく)

なうまくさまんだばざらだん たらたあぼきゃ せんだまかろしゃだ
そはたやあなうや あそぎゃ あさんまぎに うんうんびぎなん うんたらたかんまん

真言を修する行人(ぎょうにん)は 是の真言を持誦すべし 
身より光明を放って諸の魔王を降伏(ごうぶく)し 
所求一切の事 持に随って成就することを得べし
是の故に護身と名ずく 能く恐怖なきことを得  
亦た真言明あり 加護住處(かごじゅうしょ)と名づく 
諸の恐怖(くふ)を遠離して 常に勝安穏(しょうあんのん)を得
彼の大真言に曰はく 
なうまくさんまんだ ばざらだん  たらた  あぼきゃ せんだまかろしゃだ
そはたやさらばびきんなん ままそはしゃち せんちしばんめい あさらとう
くろたらまや たらまや うんたら かんまん
金剛手言(のたまは)く一切衆生 意相同じからず
是の故に如来、或は慈體を現じ、惑は忿怒を現じて、
衆生を教化すること各各(かくかく)不同なり。
衆生の意(こころ)に随ひて而も利益(りやく)を作(な)し 
魔軍を破すと雖も後には法楽を與(あた)へ
忿怒を現ずと雖も内心は慈悲なり  
摩醯首羅(まけいしゅら)の如き者も第八地を得て慈善根(じぜんこん)の力あり
應に以って之を知るべし   
是の語(ことば)を説き己って 復た大衆(だいしゅう)に告げたまはく
若し是の如き法を成就せんと欲する者は山林寂静の處に入り清浄の地を求め 
壇場を建立して諸の梵行を修し念誦の法を作さば
即ち本尊を見奉り 悉地(しっち)を円満すべし
或は河水に入って念誦を作し、若しくは山頂樹下塔廟の處において 
念誦の法を作さば 速に成就を得ん 
或は般若経を安置する處において 之をなさば成就すべし 
是(かく)のごとく修する時は其の三業を整え衆罪を造らず
亦た諸餘の悪人に親近せずして諸の護摩の事を作さば速に悉地(しっち)を得ん
五辛酒肉(ごしんしゅにく)食らわずして之を作さば成就せん
偈を説いて言(のたまは)く
若し能く是の行を行ぜば  功徳量るべからず 
如法に念誦を作さば即ち大悉地を得ん 行者、苦行を修し或は心想清浄にして
三洛叉(さんらくしゃ)の數満せば 常に本尊を見奉ることを得ん 
欲法成(ほうじょう)を験(こころみん)と欲せば 能く山を移し及び動ぜしめ 
能く水をして逆に流さしめ 意(こころ)にしたがって諸事を作さん。
諸の佛土を見んと欲すれば 明王忽ちに出現して 行者を頂戴して 能く之を見るとことを得しむ。 
何に况んや(いかにいわんや)餘に求むる事をや 
持(じ)に隨いて成就を得ん。四悪趣に堕せず 決定の妙果を証せん。 
是の如くの諸の功徳 我れ讃すれども盡すこと能わじ。
唯だ大聖世尊のみ 能く知りて是の如きの法をしろしめせり

爾の時、佛 妙吉祥菩薩に告げて 是の言(ことば)を作(な)したまはく、 
若し未来世に 諸の行人(ぎょうにん)ありて宿福(しゅくふく)に由るが故に
是の如き明王の名號(みょうごう)を聞くことを得、
或は復た、是の聖無動尊大威怒王陀羅尼経(しょうむどうそんだいいぬおうだらにきょう)を受持せん者は、當に知るべし、是の人は横死(おうし)あることなく亦た恐怖なし。

諸天の護持を蒙りて諸の障礙なし

何况(いかにいわん)や如上(かみのごとく)念誦を作さん者をや。
其の福無量なり。
是の語(ことば)を作(な)し巳りて黙然として坐したまふ。
金剛手の言(もうさ)く、善哉善哉如(よいかなよいかな)大聖の説のごとし。 
是の言(ことば)を説き己って、其の本意を遂げて還って本座に着きたまふ。

爾の時に、大衆(だいしゅう)是の経を説き給ふを聞き己って、 
各(おのおの)勝位(しょうい)を得、皆な大(おおい)に觀喜して信受し奉行しき。
聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経(しょうむどうそんだいゐぬおうひみつだらにきょう)

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