福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

第七、 十種十住章(「真言宗義章」真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)より・・8

2019-01-08 | 頂いた現実の霊験

第七、    十種十住章(「真言宗義章」真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)より・・8

(「十住心」は大師が大日経、菩提心論等に依って建立し給る法門で、

1、顕密の浅深比較、

2、真言行者の心が第一住心から転昇するさま、

3、十住心は即十界を顕し、十界すべてが第十住心(密教の境地である秘密荘厳心)を含み実は大日如来の現れであるという究極の真理

の三つのことを説く。)

十住心は高祖大師、大日経、菩提心論等に依りて建立し給へる法門にして顕密仏法の浅深、浄菩提心の転昇、秘密曼荼羅の妙旨、みなこの中に包含せずといふことなし。今示せば、1.異生羝羊心 2.愚童持斎心 3.嬰童無畏心 4.唯蘊無我心 5.抜業因種心 6.他縁大乗心 7.覚心不生心 8.一道無為心9.極無自性心 10.秘密荘厳心なり。

・第一の異生羝羊心とは、違教背理の迷心なり。愚痴の凡夫は唯だ眼前の名利にのみ耽り恣に十悪業をつくりて微妙の善をも修せず。或は種々の外道、邪教の説を信じて一向に空華に似たる神我を執着し是によりて猛利の邪見を起こして因果を撥無し、自ら正智見の門を塞ぐ。これらの最下劣の心品を第一住心のひとといふなり。若しその果報を論ずれば永く三途の極苦に堕し、冥より冥に入りて生生に出期あることなし。しかるにかかる最劣の人にも本有の仏性は平等に具するゆえ、若し一旦仏性内に薫じ外、善智識教誘の縁に逢ふときは、迷をさまして善道に赴くことを得べし。

・第二の愚童持斎心とは、人乗の分際なり。大日経には世間の善心の次第、増進の相を草木の生長発育に喩へて種子・牙・疱・葉・敷華・ 結実・受用・無畏の八心を説きたまへり。(大毘盧遮那成佛神變加持經卷第一入眞言門住心品第一に「愚童凡夫の類は猶し羝羊の如し。或時には一法の想生ずることあり。所謂持齋なり。彼此少分を思惟して歡喜を發起して數數に修習す。祕密主よ。是れ初めの種子善業の發生するなり。復た此を以て因となし六齋日において、父母男女親戚に施與す。是れ第二の牙種なり。復以此施。非親識者に授與す。是れ第三の疱種なり。復以此施。器量高徳者に與ふ。是れ第四の葉種なり。復以此施。歡喜して伎樂人等に授與し及び尊宿に獻ず。是れ第五の敷華なり。復以此施。親愛心を發して之を供養す。是れ第六の成果(じょうか)なり。復次祕密主。彼れ戒を護って生天す。是れ第七の受用種子なり。復次祕密主。此心を以て生死流轉して善友の所において是の如くの言を聞く。此は是れ天なり、大天なり。一切樂を與ふる者、若し虔誠に供養すれば、一切の所願は皆な滿つ。所謂、自在天・梵天那羅延天・商羯羅天・黒天・自在天・日天・月天・龍尊等、及び倶吠濫・毘沙門・釋迦・毘樓博叉・毘首羯磨天・閻魔・閻魔后・梵天后、世の宗奉する所、火天・迦樓羅子天・自在天后・波頭摩・徳叉迦龍・和修吉・商佉・羯句啅劍・大蓮・倶里劍・摩訶尼・阿地提婆・薩陀・難陀等の龍、或は天仙・大圍陀論師なり。各各に應に善く供養すべしと。彼れ如是を聞て心に慶悦を懐きて殷重に恭敬し隨順し修行す。祕密主よ。是を愚童異生の生死流轉無畏依の第八嬰童心と名つ゛く。」)

初めの六心(種子・牙・疱・葉・敷華・結実)は人趣の善心、後の二種(受用・無畏)は天趣の善心なり。初めの六心(種子・牙・疱・葉・敷華・結実)の中の最初の種子心とは羝羊の凡夫がある時に宿善開発する故に善法の名字を開いて貧求の心已みて一念少欲知足の心を生ず、この心は賢善の行に順ずる最初にして世出世間の一切善根の体性なり。知足の心を生じぬねば益々歓喜して衣服・飲食・財物等を以て父母に孝養を尽くし兄弟親戚等に施して惜しむ意なし。猶し種子より芽を生ずるがごとく、之を第二の牙心と言ふ。次に親疎の別を見ずして博く他人にまで施すに至れるを第三の疱種心といふ。次に他人の中においても才能あり徳望ありて世を益する所多き境を選びて之に施さんとするを第四の葉種心といふ。次にはさらに、き宿・高徳の人を選びて之に施さんとするを第五の敷華心といふ。次にこの高徳を慕ひて親近供養して常に善道を行ずるに至れるを第六の結実心といふ。孔孟の仁義の類、釈尊所説の五戒八戒(五戒は雑阿含経三十三にある「不偷盗、不邪淫、不妄语、不飲酒。八戒は四分律等にある不殺生・不偸盗戒・不婬・不妄語・不飲酒・不香油塗身・不歌舞観聴・不高広大床」)等すべてこの六心の中に具せり。

 

・十住心の第三の嬰童無畏心とは天乗の分際なり。凡そ天には三界二十八天の勝劣の差あれども

(三界二十八天とは、欲界の六欲天(四天王、忉利天、夜摩天、兜率天、楽変化天、他化自在天)と色界の十八天(色究竟天・善見天・善現天・無熱天・無煩天・廣果天・無想天・福生天・無雲天・遍照天・無量浄天・少浄天・光音天・無量光天・少光天・大梵天・梵輔天・梵衆天)と無色界の四天(空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非非想処))総じてこれを人界に望むれば寿量長遠・光明自在にして福報の勝れたること輪王(全世界を支配する王)も及ぶところに非ず。その生天の因行を言はば十善戒を持し四禅定等を修行するにあり。第二住心の愚童持斎心の人、勉めて善を行い已まざれば因果を信ずること益々厚く或る時彼の天上の勝れたる所以を聞きて欣求の心を生ず。その因行を行ずるに至る。大日経にはこれを第七の受用心と説き給へり(大日経「復以此施。親愛心を發して之を供養す。是れ第六の成果(じょうか)なり。復次祕密主。彼れ戒を護って生天す。是れ第七の受用種子なり」)

次にこれ等の因行を行ずるが故に未来必ず生天の楽を得べしと知りて心穏やかにして動ぜざるに至る。大日経には之を第八の無畏心と説き給へり(大日経に「復次祕密主。此心を以て生死流轉して善友の所において是の如くの言を聞く。此は是れ天なり、大天なり。一切樂を與ふる者、若し虔誠に供養すれば、一切の所願は皆な滿つ。所謂、自在天・梵天那羅延天・商羯羅天・黒天・自在天・日天・月天・龍尊等、及び倶吠濫・毘沙門・釋迦・毘樓博叉・毘首羯磨天・閻魔・閻魔后・梵天后、世の宗奉する所、火天・迦樓羅子天・自在天后・波頭摩・徳叉迦龍・和修吉・商佉・羯句啅劍・大蓮・倶里劍・摩訶尼・阿地提婆・薩陀・難陀等の龍、或は天仙・大圍陀論師なり。各各に應に善く供養すべしと。彼れ如是を聞て心に慶悦を懐きて殷重に恭敬し隨順し修行す。祕密主よ。是を愚童異生の生死流轉無畏依の第八嬰童心と名つ゛く。」とあり)この二心(受用心と無畏心)は今この住心(十住心の第三の嬰童無畏心)の所依なり。しかるに天上の果報は本より有漏の所感なれば業力若し尽くるときは再び下界に沈淪して生死を出離すること甚だ難し。当に知るべし生天の因果は出世無漏の因果に比する時は其の劣弱愚矇なること猶し嬰童の如しと。

 

・十住心第四の唯蘊無我心とは声聞の分際なり。声聞の人、六道生死の境を厭ひて火宅の想ひをなし、佛に随ひて専ら四諦の法(苦諦・集諦・滅諦・道諦)を修行し

速やかにこれを出離せんと欲す。四諦の法とは苦集滅道の有漏無漏の因果を言ふなり。「苦」は三界六道の果報なり。「集」は その因果たる人執・煩悩及び業力なり。「滅」は苦を離れたる有余無余の涅槃なり。「道」は之に達する因行にして戒定慧の三学三十七道品なり。「苦」「集」の二諦は有漏の因果。「滅」「道」の二諦は無漏の因果なり。無漏の因を行ずるによりて有漏の因果を離れて無漏の果を証す。是れ四諦の大意なり。煩悩といふは、凡夫外道所起の我・我所の執にして是れ生死流転の本源なり。この本源を尽くして人無我の理を証す、即ちこれ涅槃なり。

・十住心の第五の抜業因種心とは「縁覚」の分際なり。声聞・縁覚の二乗は其の心品を言はば一向自制にして大悲の心欠けたり。其の断証(断惑証理)を言はば、共に人執を断じて人空を証す(我に対する執着を空じる)。行果大同なるゆえ諸経論の中は多く一連して之を説けり。しかるに少異の辺に就きては亦これを分離して勝劣を論ず。・・縁覚は専ら十二因縁の法門に依りて流転還滅の相を観じて断証得果す。無明・行・識・名色・六入・触・受・取・有・生・老・死、之を十二因縁といふ。前世の煩悩および業は次の如く無明と行とにして是を過去の二因とす。是に依りて現在の五果(識・名色・六入・触・受)を生ず。

母胎受生の一刹那の位を「識」といひ、

六根未だ生ぜざる位を「名色」といひ、

六根の相初めて生ずる位を「六入」といひ、之を胎門の三位とす。

次に出胎以降漸く苦楽寒熱を感ずるより二三才までの位を「触」といひ、

四・五才より十三・四才までこの触次第に増長する位を「受」といひ、

次に十五・六才より男女の愛欲始めて現ずる位を「愛」といひ、

次第に欲事を追求する位を「取」といひ、

愛・取の煩悩に依りて悪業を造る位を「有」といふ。

この、受・取・有を現在の三因となす。是に因りて又未来の両果を生ず。当来受生の位は生なり。遂に老死の境に赴くは老死なり。この如くの十二因縁無始無終に輪廻して絶えざるを生死流転の相といふ。既に生死流転の相を暁めることを得ば、之を滅するの道亦自ずから明らかなり。所謂、「無明」滅するがゆえに「行」滅し、「行」滅すれば「識」滅し、「識」滅すれば「名色」滅し、「名色」滅すれば「六入」滅し、「六入」滅すれば「触」滅し、「触」滅すれば「受」滅し、「受」滅すれば「愛」滅し、「愛」滅すれば「取」滅し、「取」滅すれば「有」滅し、「有」滅すれば「生」滅し、「生」滅すれば「死」滅すと。之を生死還滅の相といふ。この如くの十二因縁順逆の相を観じて詳らかに生死の源を知りて声聞には及ばざる人執習気の一分を抜きて涅槃に入る、断惑已に一重深ければ証理もまた一重深き所あり。是れ「縁覚」の声聞の上に位する所以なり。

 

・十住心の第六の他縁大乗心とは大乗の初門たる法相宗の分際なり。この住心に至りて始めて一切衆生を縁じて平等の大悲を起こし六度四摂(六度とは檀・戒・忍・進・禅・慧、四摂とは布施・愛語・利行・同事)の大行を行じて自他ともに同じく菩提涅槃の妙果を証せんとす。この大心已にはるかに二乗の境界を超過せり。またよく万法唯識の観に入りて諸法はことごとく第八阿頼耶識の影像なりと知りて人法の二執を離れて二空真実の理を証す。

 

・十住心の第七の覚心不生心とは、三論宗の分際なり。前の第六他縁大乗心は唯心の観に入りて差別の境を遮遣すといえども未だ唯心の体を空ずること能はず。是すなわち心有境空の義にしてなほ自ら有無の二辺に滞る所あり。また、その二空の理(心・境ともに空)を極と思ひて遂に有所得の見に陥れり。この住心(十住心の第七の覚心不生心)は無所得中道の智慧を以て心境二つながら遮遣し二空も不可得なりと知りて独空畢竟の理を証して心王自在なることを得。

 

・十住心の第八の一道無畏心とは天台宗の分際。この宗の極とするところは三諦無相の理なり。三諦無相の理といふは凡そ諸法は因縁和合して生ずるがゆえに有有として差別せり。而もこの差相は因縁に属して本来自性なきがゆえに空空として無相なり。有といはんとすれば即空なり。空とはんとすれば即有なり。有無の全体即中道なり。されば有も空・中を尽くし、空も有・中を尽くし、中も有・空を尽くし、三にして而も一、一にして而も三なり。法なくんば止みなん。法あらば皆この三諦の妙理ならざるはなし。之を又は一道無為の真理(一道は法華一乗、無為は主体客体一つをいう)ともいふなり。この理を証する時、心これ法、法これ心にして心・境消滅す。これを心の実際を尽くすと名つ゛るなり。

 

・十住心の第九の極無自性心とは、華厳宗の分際。この宗は縁起因分・性海果分(修行の世界と悟りの世界)の二分を立て、因分は普賢因人の境にして可説の法、果分は遮那果人の境にして不可説の法なりと定め、専ら因分の分際において事事無礙の理(一切の現象が相互依存で空である)を談ず。凡そ万法は無障無礙たる真如法界の縁起力なるがゆえに一塵縁起する時、同時に法界を具して諸法共に渉入無礙すること、たとへば帝釈の羅網の一珠に無量珠を映じ、珠珠互いに交換して重々無尽なるが如し。諸法の当相已にこの如くなるが故に行者の断証(断惑証理)につきて論ずるも一断即一切断、一証即一切証にして初発心の時にすなわち正覚を成ずべきものなりといふ。凡そ天台の三諦(宇宙は実体はないとする空諦,宇宙は縁起によって生じた現象であるとする仮諦,宇宙は実体があるとかないとかの考えを超えた絶対的真実であるとする中諦)も華厳の事事無礙も共に無自性真如の理を説くのみなれども、天台・華厳の二宗を相望するに華厳はさらに深く無自性(すべての事象は縁によるもので即ち有・無を離れている)の理を知れり、天台は三諦の理を至極と思へども華厳宗よりみるときは是れ因分果説の境のみ、未だこの上に果分可説の体あることを知らず。しかるにこの華厳宗は初めて果分可説をしりて之を求めてやまず。また大日経・金剛頂経の両部大経によらば総じて顕教にて修行する人、その極にかなひぬれば衆生・仏の二別を泯じて大悲の万行一時に休息す。この時、曼荼羅の諸佛空中に現じて懇ろにその未極なる所以を諭して真言最上の行果を示し給ふ。この驚覚に逢ひて始めて心の実際も亦、不可得なりと知りて遂に真言最上の仏果を証せんとす。・・先徳は天台は酔中に酔を知らず、華厳は酔中に酔いを知る、と判ぜられたり。

 

・十住心第十の秘密荘厳心とは真言密教の分際なり。前の十住心の第九の極無自性心は真如の極自性を証すといえども是れ遮情(否定)の極理なり。未だ心中無尽の寳藏を開かず。この故に顕教に於いては最極最尊なれども真言に望むる時は能入の初門なり。故に高祖大師の釈にいはく「此の宮に入ると雖も初発心の佛なり。五相成身追って尋ぬべし」(大師の秘密曼荼羅十住心論巻九「・・時に一切義成就菩薩、一切如来の驚覚によって、すなわち無色身三昧より起って一切如来を礼して申さく、世尊如来、我に所行の道を示し給へ、如何が修行し,如何がこれ真実なる。一切如来異句同音にかの菩薩に告げて曰はく、善男子、まさに自心を観察する三昧地ぬ住すべし。これより已後に五相成身の真言を説く。この五相成身の真言の加持によって大日尊の身となることを得。」)と。真言密教両部秘蔵といふは彼の言ふ処の果会不可説の法体を開きたるものにして是すなわち十住心の第九の極無自性心が遥かに認めて憧憬せし所のものなり。所謂一切衆生本有の無尽蔵荘厳両部曼荼羅の法体是なり。是れ即ち表徳真実の理、毘盧遮那法身如来の妙体なり。

 

十住心の分際大略此の如し。当に知るべし初の二・三の住心(愚童持斎心、嬰童無畏心)は世間の法門、第四の唯蘊無我心以降(4.唯蘊無我心 5.抜業因種心 6.他縁大乗心 7.覚心不生心 8.一道無為心9.極無自性心 10.秘密荘厳心)は出世間の法門なり。この中に四・五の二心(4.唯蘊無我心 5.抜業因種心)は小乗教、第六の他縁大乗心は大乗教なり。六・七(6.他縁大乗心 7.覚心不生心)の二心は菩薩乗、八・九(8.一道無為心9.極無自性心)の二心は権佛乗、第十の秘密荘厳心は秘密乗なり。・・・凡そ十住心は多義を論ずれども要をとらば三重の義門を出でず。所謂顕密合論に約する十住心、真言行者の菩提心の転昇に約する十住心、秘密曼荼羅に約する十住心、之を三重となす。

・所謂顕密合論に約する十住心とは世・出世一切の教法を浅深の次第によりて十種に分かち、前・前浅・権・後・後深・実も旨を示し、遂に第十の住心たる真言密教は一切教法の王にして最極最尊の法門なる所以を示すにあり。是れ即ち九顕一密の法相に依りて、その優劣浅深を判釈するにあり。

・次に真言行者の菩提心の転昇に約する十住心とは、真言行者未だ密教に値遇せざる以前を第一の住心とし、始めて真言に入りて三密を修行しその初めは心外に佛を見たるもの進みて心内に之を感見し、さらに進みて内外一如遍照法界の大毘盧遮那を証するに至るまで、浄心顕現の次第をば第二より乃至第十に至るまでの住心とす。

・秘密曼荼羅に約する十住心とは、十住心は即十界なり。十界の実相は即ち法身如来無上果徳の顕現なり。この故に大日経には十住心を摂して五種の三昧道(世間・声聞・縁覚・菩薩・佛)となして各々本有の三密を示し若しよくこれと相応するものは皆能く一生成仏の益を得べく、平等平等にして更に浅深の別なき旨を説きたまへり。

所謂第一には世間(十界のうち地獄,餓鬼,畜生,修羅,人,天)の三昧道、これは世間の三箇の住心(1.異生羝羊心 2.愚童持斎心 3.嬰童無畏心)なり、

所謂第二には声聞の三昧道、これは第四の住心(4.唯蘊無我心)なり。

所謂第三には縁覚の三昧道、これは第五の住心(5.抜業因種心)なり。

所謂第四には菩薩の三昧道、これは第六・七・八・九の住心(6.他縁大乗心7.覚心不生心 8.一道無為心9.極無自性心)なり。

所謂第五には佛地の三昧道、これは第十の住心(10.秘密荘厳心)なり。

今此の第三重の義は十住心各々の当所即曼荼羅いして万徳輪円の妙果なる所以を覚らしむるにあり。この故に十住心論にいわく「若し竪に論ずれば則ち乗乗差別にして浅深なり。横に論ずれば則ち智智平等一味たり」(十住心論巻一に「雖然知祕號者猶如麟角。迷自心者既似牛毛。是故大慈説此無量乘。令入一切智。若竪論則乘乘差別淺深。横觀則智智平等一味。惡平等者。未得爲得不同爲同。善差別者。分滿不二即離不謬。迷之者以藥夭命。達之者因藥得仙。迷悟在己無執而到。有疾菩薩迷方狂子。不可不愼。至如祕密曼荼羅金剛心殿。是則最極究竟心王如來大毘盧遮那自性法身住處。若有衆生生輪王種性。有大度勇鋭不樂前諸住宮。則許大日所乘一體速疾神通寶輅。具授潅頂職位令受用刹塵無盡莊嚴寶藏。淺深優劣具列如後。」とあり)

真言行者先ず第一に法門の浅深を了知して真言密教に於いて信心決定し、次に実修実行するに及びて彼の法門(十住心各段階)に比して己が観解の浅深をながめて無上の大果を得んと勉むべし。高祖大師十住心建立の本意全くここにあり。故に十住心論にいわく「今此の経に依って真言行者の住心の次第を顕はす。顕密二教の差別亦たこの中にあり」(十住心論巻一に「今依此經顯眞言行者住心次第。顯密二教差別亦在此中。住心雖無量。且擧十綱攝之衆毛」とあり)と。若しそれ修行して観解日に熟するに及びては遂に秘密曼荼羅の妙旨を自得し差別の義を知り実の如く自心を知るにいたることを得べし。

 

 

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