福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

お大師様のご足跡寺院 その7

2012-09-25 | お大師様のご足跡寺院
23、大師三十八歳、弘仁二年(811)、弘川寺留錫・・・弘川寺(葛城山にあります。大師三十八、弘仁二年、嵯峨天皇の勅命によって大師が中興されたと伝えられ、大師を祀る御影堂があります。西行はここで入寂しています。西行の歌碑「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月(もちづき)のころ」もあります。)

24、大師三十八歳、弘仁二年(811)、嵯峨離宮参上・・・大覚寺(嵯峨天皇の離宮であったが嵯峨天皇の信任を得ていた大師が、離宮内に五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったのが起源とされます。いまでも五大明王を安置する五大堂、嵯峨天皇の写経を納めた心経殿などがあります。

25、大師三十八歳、弘仁二年(811)乙訓寺別当・・・乙訓寺(当寺は長岡京の境域にあります。嵯峨天皇は弘仁二年(811年)十一月九日太政官符をもって弘法大師をここの別当にされました。弘法大師御伝には「乙訓寺」として「・・太政官符にいわく・・・別当を命じ、かの寺永く修造せしむるものなり・・」とあります。
また大師は八幡明神の霊告をうけ合体大師(秘仏)を造られました。このとき八幡明神が頭部を、大師が胴、手足を作られたとされます。また毘沙門天像を刻んでは国家の豊楽を祈られ、伝教大師と法論をかわされています。この法論のあった講堂や大師のご起居されたと考えられる単独僧坊跡が最近発掘調査されと公式ホームページにあります。またここの蜜柑を嵯峨帝に献上されたときの「柑子を献ずる表」(性霊集)に「・・乙訓寺に数株の柑橘の樹あり。・・・大柑子四小櫃,小柑子六小櫃・・例によりて奉献す・・」とあります。)
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