福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

小学校時代は毎日踏切で死ぬことばかり考えていました

2024-07-23 | 頂いた現実の霊験

以前Tさんから頂いていた文章を再出しました。

 

【あきらめない】                      T.U    

 

私は弟2人の長女として生まれました。おばあちゃん子の甘えんぼでしたが、小3の時に一緒の布団で寝ていた祖母が心筋梗塞で他界し、半年後に突然声が出なくなりました。学校では声が出ないためかいじめられ、自分の居場所がなく、毎日踏み切りに行っては死ぬことばかり考えていた小学校時代でした。男の子は勉強して進学してもよいが、女の子には教育はいらないという父の考えで、毎日の夕飯の支度、手伝い、後片付けが終わらなければ机に向かえませんでした。「弟達はいいなあ」といつも思っていました。そんな私を励ましてくれたのが、モンゴメリの「赤毛のアン」です。孤児アンは明るく、くじけず、前向きで、育ての親までも元気にしていきます。辛くなると、自分がアンになり、想像の世界で立ち直りました。

中高では友達もでき、ロマンロランやボーボワールが勇気をくれました。大学進学も反対され、何回も話をしてやっと受験、入学させてくれました。学資だけ出すという条件だったので、週3回の家庭教師、長期休みのアルバイトで服代や小使いにしました。大学4年の教育実習で、生徒達が慕ってくれて感激し、先生になりたかったのですが、反対され、コンピューターの会社に就職しました。

卒業後も就職に反対されるだろうと思い、共学だったので就職ルームは殆んどの求職が男子ばかり、女子の求人は10分の1もありません。当時は学長推薦のある人から試験受けられたので、大学の成績は就職の下心もあり、殆んど「優」をとっていました。学長推薦をもらい、入社試験は受けられたものの、全国で30人の大卒女子の起用に、東京地区だけで中央大学の講堂に3000人以上の受験者がいて、外資系大企業であり、当時土日休みという会社はあまりなかったので、それにひかれて受験しましたが、合格の見込みはほとんどないと思いました。ところがどういうわけか合格してしまいました。半年間はトレーニング期間でした。女性主任、女性係長、女性課長の姿がきびきびして格好よかったです。ところがトレーニングが始まり、私以外はほとんどの人が理系出身、総勘定元帳の作り方など経理の勉強~コンピュータ(当時は一部屋に一台の大型コンピュータでした)の2進法など、わからないことばかりで理解が遅く、毎週金曜日に、その週に学習したことの試験があり、80点以下は追試で学生時代よりずっと厳しかったです。お金をもらって勉強させてもらうのですから。多分30人中の30位だったと思います。

父は公認会計士で会計事務所をしていましたが、意地でも父に経理のことは聞きませんでした。父の反対を押し切って就職したのですから。私には向いてないから5月の連休に辞めようと思いましたが、辞めれば父の会計事務所に入れられ、父と一緒にいなければなりません。100%やるだけやってみよう、苦手なこともできるかもしれないと思い、都心の会社まで1時間半かかりますが、往復の電車の中ではもちろん、夜遅くまで勉強しました。今までの人生であれほど時間惜しんで勉強したことはありません。そのためか他の人と同じに理解できるようになり、トレーニングが終わる頃は仕事できるようになっていました。今でも一緒に仕事した同期入社の人達とは仲良しでずっとお付き合いが続いています。

あの時あきらめなくてよかったです。苦手なことも努力すればなんとかなるものだと思いました。それも父が優しくて、いやなら辞めていいよなどと言われたら、今の私はなかったかもしれません。

その後結婚、夫の転勤、子育てで退職しました。近所の子に勉強を教えてほしいと頼まれたのがきっかけで、自宅で塾をしました。30人位教えている生徒のある親から高校教員の話があり、夢だった英語の教員になることができました。20年以上、高校と夜は中学生塾、PTA・・と本当に多忙な日々でしたが、10代の若者たちの可能性と未来を応援できるのは大きな喜びでした。高校の仕事は30年やりました。授業を1時間も手を抜かなかったのは自分の誇りです。生徒達がかわいく教えることより学ぶことのほうが多かったような気がします。生徒と先生の関係から、相性が悪いなどとは言えません。それで全員を好きになることにしましたこちらが好きになると相手も好きになってくれます。英語が2だった生徒が英語の先生になったり、赤点の子が保育士でがんばっていたり、自分が足をケガした時世話になったことに感激して理学療法士になった教え子、母親だけなので私立医学部に入れず4年浪人して国立大医学部に合格し、医者として活躍している子などなど・・・

2000年に独身だった上の弟が、ガンで入院して1ヶ月で逝きました。死後、多額の借金があること、1997年に脳梗塞で倒れ右半身麻痺、認知症で要介護5の母が包括保証していることがわかりました。銀行から母に訴状が届いたからです。母は預貯金全くなく、年金ももらっていません。父は1989年に他界しています。

弟が逝く時、「頼む」と私に言ったのは、母のことと思い「大丈夫、引き受けたよ」と答えたら、ほっとした顔で眠ってしまいました。その後裁判所からの特別送達が「被告人・・・」と書いてあるのを見た時、涙があふれ、立っていられなくなりましたが、弟と約束してあり、母の代理で戦う決心をしました。弁護士さんを頼んで成年後見人になりました。何もしないで競売になるより、「駄目元」でやるだけやってとられるなら、悔いはないと思いました。仕事しながらであり、私自身のことではなくわからないことが多く、睡眠2時間という日が続き、自分も死んでしまうかもしれないと思いましたが、父や弟が応援してくれたのでしょう、家族の応援もありました。2軒あった家土地の一つは残すことができ、母の家と弟の家の整理も辛い作業でした。学校帰りに真っ暗な家の片付け、督促状や残高0の何冊もの貯金通帳、弟のベッドの下には何箇所も吐いたあと、涙しながらの整理でした。ゴミにしたくなかったので、もらってもらったり、ガレージセールしたり・・母の施設にも持って行ったので、見慣れた食器で入居者の人達が食事しています。1軒ははいることもできず人の手に渡ってしまいましたが私自身の手で実家を整理できてよかったです。残った土地を売却し、銀行や弁護士さんに清算したあと、母の施設の費用を支払っています。

今思うことは「人生にはむだな経験はない」「強い夢を持ち続ければ叶う」ということです。

食事の支度を毎日したおかげで、結婚した日から料理はできたし、今も料理は好きです。安いもので栄養のある食事作るのは得意です。いじめの体験を生徒に話すことで、がんばってくれる生徒たちもいます。子供会やPTAの役員をしたおかげで、地域に友人ができました。祖母、大学1年のとき親友が、そして弟が、突然目の前で逝ってしまった悲しさから、「今」を、精一杯生きようと思うようになりました。苦しみは、少しの幸せを幸せに感じる心を与えてくれます。天気がいいこと、そよ風が心地いいこと、洗濯物が乾くこと、人が優しくしてくれたこと、そして生きていること・・

 

過去を振り返った時、「あれがあったから」と思えるのは幸せです。私もそれに恩返しできる人間になりたいと思います。不思議な経験もありました。病院から出るように言われていた母は、600人以上飛び越えて素晴らしい施設に入居できました。ある年のクリスマスの日、午前中に母の入居、午後銀行との決済ができ、問題が一挙に解決しました。あの年の12月25日は忘れられません。

仕事のあまりの多忙さに、定年より何年か早く退職しました。新しい道に踏み出した先に福聚講がありました。護国寺の涅槃会の日、高原師に悩みをお話したところすぐ行動にうつしてくれました。ありがたいことです。

今は謡を始めたり、好きな古典から学ぶこと多い日々です。兼好や西行や芭蕉が語りかけてくれます。自分の好きなことだけでなく何か人の役に立ちたいと思い、日本語指導員講座を受け、外国人に日本語を教えるボランティアもしています。母は、寝たきりで言葉を発することもほとんどなく、娘の私のこともわかりませんが、優しいスタッフに囲まれ、床ずれもなく穏やかに日々を送っています。何より、最愛の長男が逝ったことも、自分の家土地がなくなったことも知らないですんでいます。小学校時代、友達もほとんどなく孤独だった私が年を重ね、友人知人が年々増え、人のネットワークがだんだん大きくなりました。人生という道には、大嵐や大雨も降りますが、時々路傍に小さな草花や木があり、木の実が熟して落ちるように、人にも事にも出会うような気がします。それらを気付かないで通り過ぎるか、出会いとするかは、いつもアンテナを張っていなければなりません。福聚講のおかげで高野山結縁灌頂にも行けました。(目隠しで)目が見えないのに温かい空気に包まれているような体験は、自分が今、生きているのではなく生かされていると感じました。

生かされているのなら祖先から続く命は神さま仏さまがくださったものです。今も悩んでいることもあり、これからも何が起こるかわかりませんが、私自身の命の役割を精一杯果たしていきたいと思っています。(終わり)

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