『続日本紀』天平宝字二年(七五八)八月十八日の条には、以下のような記述が見られる。
(淳仁天皇の勅令として、般若波羅蜜多を唱えることを命じたもの。『九宮経』という中国の暦学書によれば、来年は三合が会う不吉な年であり、様々な自然災害や疫病が流行する、よって国民みなが「摩訶般若波羅密蜜多」を念ぜよ、官吏は通勤の道路上でもこの「摩訶般若波羅密蜜多」を読誦して、災いを除去せよ,と)
「丁巳。勅す。大史(神祇官・太政官の主典のうち、少史の上に位するもの)の奏云く、九宮経を案ずるに来年は己亥なり。当に三合に会す。其経に云く、三合の歳は水旱疾疫之災あり。如聞。摩訶般若波羅密多は、是れ諸仏の母也、四句の偈等、受持読誦せば福徳聚を得る。不可思量なり。是を以って、天子念ずれば則ち兵革災害、国裏に入らず。庶人念ずれば則ち疾疫癘鬼、家中に入らず。悪を断じ祥を獲る、此に過ぎたるはなし。天下諸国に宜告す。男女老少を論ずることなかれ。起坐行歩口閑に皆尽く摩訶般若波羅密を念誦せよ。其文武百官人等、向朝に司に赴く道路の上で毎日常念せよ。空しく往来する勿れ。庶こいねがわくは風雨を随時ならしめ。咸ことごとく水旱之厄なからしめん。寒温調気し悉く疾疫之災を免れん。普く遐邇(かじ遠近)に告ぐ。朕(淳仁天皇)の意を知れ焉。」
『
(淳仁天皇の勅令として、般若波羅蜜多を唱えることを命じたもの。『九宮経』という中国の暦学書によれば、来年は三合が会う不吉な年であり、様々な自然災害や疫病が流行する、よって国民みなが「摩訶般若波羅密蜜多」を念ぜよ、官吏は通勤の道路上でもこの「摩訶般若波羅密蜜多」を読誦して、災いを除去せよ,と)
「丁巳。勅す。大史(神祇官・太政官の主典のうち、少史の上に位するもの)の奏云く、九宮経を案ずるに来年は己亥なり。当に三合に会す。其経に云く、三合の歳は水旱疾疫之災あり。如聞。摩訶般若波羅密多は、是れ諸仏の母也、四句の偈等、受持読誦せば福徳聚を得る。不可思量なり。是を以って、天子念ずれば則ち兵革災害、国裏に入らず。庶人念ずれば則ち疾疫癘鬼、家中に入らず。悪を断じ祥を獲る、此に過ぎたるはなし。天下諸国に宜告す。男女老少を論ずることなかれ。起坐行歩口閑に皆尽く摩訶般若波羅密を念誦せよ。其文武百官人等、向朝に司に赴く道路の上で毎日常念せよ。空しく往来する勿れ。庶こいねがわくは風雨を随時ならしめ。咸ことごとく水旱之厄なからしめん。寒温調気し悉く疾疫之災を免れん。普く遐邇(かじ遠近)に告ぐ。朕(淳仁天皇)の意を知れ焉。」
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