福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

アゲハの幼虫が教える3つの厳しさ・・その3(最終回)

2010-08-23 | 法話
3点目は食物連鎖、弱肉強食の現実に対する考え方です。
芋虫達はみかんの葉を食べつくしますが、それらもほとんどアゲハになる前に雀か蟷螂かに食べられてしまいます。その蟷螂は鳥に食べられさらに鳥は焼き鳥であっという間に人間に食べられます。アゲハの幼虫の行く末は弱肉強食の冷厳な事実を改めて私に見せ付けました。人間はこうした食物連鎖の頂点に立って傲慢に食べ散らかしていますがこの意味は何かということを考えさせられました。

栂尾祥雲師の「密教の生活・・密教の酒肉問題」には
「文殊問経には『自ら深く、此の犠牲によりてのみ、生かされていることを、感謝すると共に、自らもまた、より大きなもののためには喜んで犠牲になるべきことを念じつつ、これを食すれば罪にならない』とし、それには『執すべき我体のないものよ、限られたる寿命なきものよ、造ったとか造られたとかといふ因縁対立の有為法を消失せよ、焼除せよ、搉破せよ、しかれば大生命として永遠をいきぬく実相が展開されるであろう。』 といふいみの真言(あとでいずれかの回に載せます)を三度誦するやうにすればよいといふのである。・・」とありました。

ここで戦慄すべきは他者の生命を食する時は自分も自らの生命を投げ出す事を覚悟せよということです。これは考えるとあたりまえのことですがこの覚悟無く他の命を食べつくす人間界に言いようの無い空しさを感じていたのです。食物連鎖、弱肉強食の世界に身をおくものは自らも他者に行ったことと同じことが身にふりかかることを甘んじて受ける覚悟をしておれというのが文殊問経の意味です。そしてそのことによってのみ罪は免れることができるということです。
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