福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

昨日「遷御」の儀が伊勢神宮で行われました。

2013-10-03 | 法話
「遷御」の儀が2日夜、内宮で行われました。今まで数えきれない程伊勢神宮にはお参りさせていただいておりますが、伊勢神宮の玉砂利を踏みしめるとき、いきとしいけるもの全てが平等に包み込まれているような何とも言えない有難さを感じます。
4年前に求聞持行を始めるときにも伊勢神宮をおまいりさせていただきましたし、行中も毎朝四国の太龍寺から遥拝させていただきおかげで無事成満できました。
もともと伊勢神宮と密教とは切っても切れない関係があります。お大師様作といわれる天地麗気記には巻三に「天照太神宮鎮座次第」として「天照皇太神 大悲胎蔵界八葉中台に五佛四菩薩、五大院に五尊、蓮華部院に二十一尊、眷属同じ。佛母院に五尊、薩埵院に二十一尊、眷属十四尊、虚空蔵院に二十尊、蘇悉地院に八尊、釈迦院に四十一尊、文殊院に二十五尊、除蓋障院に九尊、地蔵院に九尊、四大四神等の二院に二〇二尊、大悲胎蔵曼荼羅の中に四一〇尊の表体御形有ります。(この)四百余尊おのおの諸別宮を加え九億四万三千七百九十二神の上尊として娑婆界に帰す。大神力有ります云々・・。・・・
經に曰く、本体盧遮那、久遠に正覚を成じ、衆生を度せんがための故に大明神と示現す。
また曰く、本体観世音、常に補陀落にいまして衆生を度せんがための故に大明神と示現す。
・・首楞厳経に曰く、盡空如来国土浄穢の有無はみなこれわが心の変化して現わすところなり。・・円覚經に曰く、無上の妙覚、諸十方に遍じ、如来を出生す。一切法と同体平等なり。
・・天王如来衆生を度せんがために、・・大八州大日本国伊勢度会の郡宇治の里五十鈴川上に御鎮座これなり、・・密号は遍照金剛、神体は八咫鏡に坐ます。・・」とあります。要は大日如来が垂迹して天照大神となられているというものです。
 この神仏混淆の信仰が日本に根ついていたことは「伊勢神宮と神々の美術」(霞会館発行)の中にお大師様を外宮のなかに描きこんでいる伊勢曼荼羅の紹介や、伊勢神宮の禰宜延平の日記に「東大寺建立に当たり聖武天皇の夢に『天照大神は大日如来であり、本地は大毘盧遮那佛(大仏)である』」と記されていること、元寇に際して西大寺叡尊が三度伊勢神宮に参籠して元寇退散祈願をしていること、など様々な神仏一体の信仰の模様が紹介されていました。
 日本人が明治以来なにか浅薄な民族になり遂に第二次大戦で壊滅状態になった上に近年でも大地震に見舞れ、そのうえ諸外国の餌食にされようとしているのもこうした本来の神仏一体の信仰をおろそかにしているためではないかと思うこのごろです。
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