今日は伏見稲荷還幸祭です。2021年については以下にあります。
還幸祭は毎年5月3日に行われています。還幸祭では伏見稲荷大社の5基の神輿(田中社・上社・下社・中社・四之大神)が東寺の東にある御旅所から伏見稲荷大社に戻る時、東寺の慶賀門に寄り、僧侶による神饌の献供(神供)が行われます。是は以下の「稲荷大明神流記・眞雅」にあるように大師とお稲荷さんの深い縁に始まっているようです。
「稲荷大明神流記 眞雅記
弘仁七年孟夏之比。大和尚、斗藪之時、紀州田邊宿に於いて異相の老翁に遇う。其の長は八尺許り、骨高く筋太く内に大權氣、外に凡夫相を示す。 和尚を見て快語して曰く「吾神道あり、聖に威徳在る也。方に今菩薩の到る此所、弟子の幸也」。和尚曰く「霊山に於いて面拝の時、誓約未だ忘れず此主他生と、形は異れども心は同じ。 予に秘教紹隆之願あり。神に仏法擁護之誓あり、諸共に弘法利生し、同じく覚台に遊ばん。 夫れ帝都の坤角九條一坊、一大伽藍あり、東寺と号す。鎮護国家の為に密教の霊場と為すべき也。必々奉待々々而巳」。 化人曰「必ず参会す」。守和尚之𣳬命等云々。 同十四年正月十九日。和尚忝けなくも東寺を賜う。密教道場と為す也、之に因りて請来の法文曼荼羅道具等、悉く大経蔵に納め畢んぬ。 其後同四月十三日、彼の紀州之化人来り、東寺南門に臨む。稲を荷ひ椙葉を提して、両女二子を率る。和尚歓喜して法味を授与し、道俗帰敬し備飯献果す。爾後暫く二階柴守に寄宿す、其間点当寺杣山。定利生勝地。一七ヶ日夜之間、依𣳬鎮壇法示荘厳。額然而円現矣、為後生記綱目耳。」